アメジローのつれづれ(集成)

アメリカン・ショートヘアのアメジローです。

再読 横溝正史(34)「悪魔の降誕祭」

横溝正史の探偵小説には「悪魔」の冠(かんむり)がつく作品が多い。例えば「悪魔が来りて笛を吹く」(1953年)や「悪魔の手毬唄」(1959年)や「悪魔の設計図」(1938年)や「悪魔の家」(1938年)といった具合だ。そして本作「悪魔の降誕祭」(1958年)である。「降誕祭」とはクリスマス祭典のことだから、より平易に「悪魔の降誕祭」は「悪魔のクリスマス・パーティー」ともいえる。

「悪魔」と名がつく横溝作品にあって横溝正史が優れているのは「悪魔」に関し、物語中で誰が真の「悪魔」であるのか連続殺人事件の犯人や、さらにその犯人を背後で巧妙に操る黒幕人物たる「悪魔」の正体の意外性と、なぜその人物が「悪魔」たりうるのか「悪魔が他ならぬ悪魔である」理由の明確な説明が毎回あることだ。特に後者の「悪魔の理由についての説明」に関し、横溝は非常に優れている。探偵小説にて「悪魔」といっても横溝の場合、ただ単に何となく漠然と恐ろしい戦慄な「悪魔」のオカルト演出ではないのである。作中に出てくる「悪魔」は何となくの雰囲気演出ではなくて、反倫理的な出生の秘密や隠されていた悪徳罪業(あくとく・ざいごう)の過去、実は事件全体を背後にて操(あやつ)る黒幕的役割遂行や世間の人には知られていない人知れずの裏の性癖など、明白に「その人物が悪魔に他ならない」理由まで横溝は毎作、考えて律儀(りちぎ)に書いている。横溝正史は非常に優れており、優秀である。

人はあらかじめ自身の中で強く意識していないと、いざ実際にそのことを実践し遂行できない。横溝正史は「悪魔」のタイトルがつく作品を執筆する際には、いつも「悪魔の正体の意外性」と「なぜその人物が悪魔たりうるのかの理由」の二つの要訣を必ず押さえ事前に構想して意識的に毎回、書き抜いているに違いない。よって私たち読者は、横溝の「悪魔」のタイトル・シリーズを読む際には書き手の横溝の意図に沿って、作中にて「一体、誰が悪魔であるのか」と「その人物がなぜ悪魔といえるのか」の二つのポイントを意識して読み進めるべきであり、「悪魔」に関するそれら二点の要訣を味わって読むべきだ。

横溝正史「悪魔の降誕祭」のあらすじは以下である。

「昭和32年12月20日、金田一耕助が等々力警部の持ってきた事件の関係で外出しようとした刹那(せつな)、小山順子と名のる女性から相談の電話が入った。等々力警部の件を優先することにした金田一は、彼女に夜9時までに緑ヶ丘荘の自分のフラットに来るように伝える。しかし、等々力警部の件にだいたい目鼻をつけて、ジャスト9時にフラットへ戻ってきた金田一を待っていたのは、地味なスーツを着た女性の死体であった。自分に事件の相談に来た依頼人が自身の探偵事務所にて殺害されるとは私立探偵・金田一耕助にとって全くの手落ちであり、激しい屈辱である。それは犯人の『悪魔』からの堂々たる挑戦であったのだ。 緑ヶ丘荘管理人から女性が小山順子と名乗ったことや、所持品から小山順子は偽名で本名は志賀葉子であり、ジャズシンガー・関口たまきのマネージャーであること、さらに死因は青酸カリによる毒殺であることなどが判明する。彼女のバッグには新聞記事の切り抜き写真が残されており、その写真には関口たまき(本名は服部キヨ子)とその夫・服部徹也、ピアニストの道明寺修二、道明寺の知人である未亡人、上半身が切られた柚木繁子が写っていた。さらに殺害現場の壁の日めくりカレンダーは5日分が剥(は)ぎ取られて25日を示していた。つまり、それは犯人の『悪魔』による12月25日の『降誕祭』(クリスマス会)の殺人予告であった。また、その後の調査で服部徹也の前妻の加奈子も以前に青酸カリを飲んで死んでいたことが判明した。

そして25日当日、西荻窪の服部夫妻の家で新居披露のクリスマス・パーティーの最中に、たまきの夫・服部徹也が彼女の部屋で刺殺体となって発見される。発見したのは、たまきと道明寺修二で、二人はお互いを名乗るにせ手紙で、たまきの部屋におびき寄せられたこと、徹也はたまきの部屋と浴室の脱衣場に通ずる小廊下で背後から不意にナイフで刺され、絶命していたことが判明する。当初は、たまきと道明寺が疑われたが、脱衣場で徹也と話をしたという徹也の娘・由紀子とそれを目撃した女中の浜田とよ子の証言、たまきと道明寺の仲を嫉妬し疑って二人を監視していた柚木繁子の証言などから、たまきと道明寺の二人に犯行機会がないことが判明し、捜査は行き詰まる。それから一ヶ月後の1月下旬、たまきの家で彼女と道明寺の婚約披露の宴が催されたその席で、最後の惨劇とともに事件は一挙に解決する」。

「悪魔の降誕祭」の登場人物のうち、事件の捜査に当たる探偵の金田一耕助や等々力警部ら警察関係者、二つの連続殺人の被害者以外で、誰が事件の犯人たる「悪魔」であるのか。犯人の「悪魔」の可能性がある怪しい人物をすべて書き出してみると、 関口たまき(ジャズシンガー)、服部徹也(たまきの夫、第二の殺人にて刺殺)、服部可奈子(徹也の先妻、すでに故人)、服部由紀子(徹也と可奈子の娘)、関口梅子(たまきの伯母)、志賀葉子(たまきのマネージャー、第一の殺人にて毒殺)、浜田とよ子(たまきの弟子兼女中)、道明寺修二( ピアニスト、たまきの恋人)、柚木繁子(未亡人で道明寺の知人)

まず関口たまきが怪しい。たまきのマネージャー・志賀葉子が殺害される第一の殺人は青酸カリによる毒殺だが、たまきが現夫の服部徹也と以前に交際時には、徹也は既婚者で可奈子という妻がいた。だが、妻の可奈子は関口たまきに誠に都合がよい具合に、やがて青酸カリによる服毒「自殺」を遂げている。世間的には可奈子の「自殺」で処理されたが、服部徹也を自分のものにしたい関口たまきが青酸カリを混入して可奈子を毒殺した疑いも実は拭(ぬぐ)えないのだ。よって、志賀葉子の第一の殺人の犯人は関口たまきか!?加えて、今は服部徹也と夫婦になっていたが、ジャズシンガーの関口たまきは夫・徹也に内緒でピアニストの道明寺修二と陰で交際している。たまきにとって第二の殺人の被害者である徹也も、今では邪魔な存在であった。

服部徹也が邪魔な存在であることは、既婚者の関口たまきと極秘に交際している道明寺修二にとっても同様だ。道明寺修二にも殺害動機はある。第二の殺人にて、たまきと道明寺は、にせ手紙で殺害現場に呼び寄せられたことになっているが、関口たまきないしは道明寺修二が、にせ手紙を自分で書いて呼び出されたふりをした自作自演の可能性も否定できない。また未亡人であり、道明寺修二の知人である柚木繁子は密(ひそ)かに道明寺に思いを寄せている。彼女は、たまきと道明寺の交際に激しく嫉妬していた。何よりも第一の殺人で殺害された関口たまきのマネージャー・志賀葉子の所持品の中に上半身が切られた柚木繁子が写った新聞記事の切り抜き写真があった。柚木繁子は関口たまきのマネージャー・志賀葉子に何らかの秘密を握られ結果、彼女を殺害したとも考えられる。よって、殺人動機と状況証拠からして柚木繁子も怪しい。

その他の関係者、徹也と前妻・可奈子の娘であり、関口たまきと義理の母子関係にある一人娘の服部由紀子、たまきの伯母である関口梅子、たまきの弟子兼女中である浜田とよ子に関しても、殺害時刻に確固としたアリバイ(現場不在証明)がなかったり、彼女らの所持品がなぜか殺人現場近くに不自然に落ちていたりで、彼女らも疑おうと思えば果てしなく疑えるのである。連続殺人の犯人である「悪魔」は一体、誰なのか!?

(以下、犯人の正体を明かした「ネタばれ」です。横溝の「悪魔の降誕祭」を未読の方は、これから新たに本作を読む楽しみがなくなりますので、ご注意下さい。)

さて、二つの連続殺人にて実際に殺害された志賀葉子と服部徹也以外、全ての関係人物が犯人の「悪魔」の可能性がある非常に錯綜(さくそう)した事件である。真の「悪魔」は誰なのか。実は犯人の「悪魔」は何と、やがて十六歳になる可憐な娘の服部由紀子だった!ことし十六歳を迎える由紀子は、軽い顔面神経痛がある神経質で繊細な性格で、普段より演劇舞台のシナリオ執筆に熱中するなど文学的才能ある早熟な娘である。彼女は、実母・可奈子を捨てて関口たまきに走った派手な男女交際を繰り返す実父の徹也を嫌悪していた。徹也の新しいパートナー関口たまきも嫌悪していた。そろそろ思春期へ入っている由紀子にとって、父も母も憎悪の対象以外の何物でもなかったのである。かつ娘の由紀子は、たまきの財産を狙っていた。仮に事態がこのまま推移して、道明寺修二と交際中の義母の関口たまきは実父の服部徹也と離婚し、やがて道明寺と再婚するだろう。そうすれば自分は継母・たまきの財産を相続できなくなる。特に第二の服部徹也の殺人事件は巧妙な奸智(かんち)に長(た)けて、関口たまきに夫・徹也殺害の罪をなすりつけようとする由紀子による策略だったのだ。由紀子は金田一に「どの点からみても一点も同情する余地のない鬼畜性」をはっきり有していると言わしめる、「悪魔」たるに十分であった。

この見た目は「可憐な」十六歳の少女、服部由紀子が連続殺人の犯人というのは、後々「悪魔の降誕祭」の殺人事件の概要を振り返ってみると「なるほど」と合点(がてん)がいく。毎回、絞殺や撲殺や遺体がバラバラや遺体の顔面が毀損(きそん)など出来るかぎり派手な殺害を好む横溝正史の探偵小説である、時に華美な見立て殺人の趣向まで凝らして。それがどうしたわけか、今回の「悪魔の降誕祭」に限って青酸カリによる毒殺とか背後から不意討ちのナイフによる刺殺など、如何せん地味な殺害方法に終始している。これもまだ十六歳の「悪魔」、少女で力の弱い服部由紀子が実は犯人であることを遠回しに示唆する事件解明の伏線であったと読後には思えなくもない。

また第一の殺人の被害者、金田一耕助に事件の相談に行き、金田一の探偵事務所内で殺害された関口たまきのマネージャー・志賀葉子が所持していた新聞の切り抜きは、関口たまきや服部徹也、道明寺修二、上半身の切られた柚木繁子の新聞写真を金田一に見せたかったのではなく、実はその裏面にある「世田谷松原方面一体で犬の奇怪な集団中毒が発生」の新聞記事を金田一に読ませて志賀葉子は、今から起こるであろう殺人事件の相談をしようとしていたのであった。すなわち「犬の奇怪な集団中毒」というのが、服毒自殺を遂げた亡き実母・可奈子から「かたみ」として毒物を密かに譲り受けた娘の由紀子が、父の徹也と義母のたまきを近々毒殺しようとして、その予行演習のために近所の犬に青酸カリを飲ませ中毒にさせていたことに関口たまきのマネージャー・志賀葉子は気づいていたのである。近日中に徹也とたまき夫婦は娘の由紀子に毒殺される。その相談のために金田一の事務所に赴いた志賀葉子は、これまた葉子の行動を事前に察知した服部由紀子により金田一の事務所にて、葉子が常用の薬に由紀子が混入した青酸カリで毒殺されたのであった。

金田一耕助の推理によって連続殺人事件の犯人と指摘され悪行が露見した由紀子は、金田一ら衆人環視のなか自ら毒を飲んで自害した。「まったく恐るべき少女」であり、「悪魔の申し子」たる服部由紀子の最期は以下である。まさに「悪魔の断末魔」に相応(ふさわ)しい壮絶なラストの幕切れであった。

「由紀子はねじれた顔をいよいよひきつらせ、口からあぶくを吐きながら、『だれが…だれが…おまえなんかにつかまるもんか。…おまえなんかに…おまえなんかに…おまえなんかに…』それから由紀子はまるで、害虫に食いあらされつくしていた木が倒れるように、音もなく、ふわりと床のうえに倒れていった。これが悪魔の申し子のようなこの娘の最期だったのである」

横溝正史「悪魔の降誕祭」は、そこまで有名な人気作というわけでもなく、金田一耕助の探偵譚として世間的にはあまり広く知られていない作品なのかもしれない。だが、横溝の「悪魔」のタイトル・シリーズたるに相応しく、「悪魔の正体の意外性」と「なぜその人物が悪魔たりうるのかの理由」の二つの要訣を押さえ上手く創作されている。特に本作にての「悪魔の正体の意外性」は、ほとんどの読者が予測できず、初読時には多くの人が驚くのではないだろうか。