アメジローのつれづれ(集成)

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東京スカパラダイスオーケストラ大百科(11)「SPEED KING」(冷牟田竜之・その2)

冷牟田竜之さんのことなど(その2)。「東京スカパラダイスオーケストラ」の冷牟田さんに関しては、近年2013年に行われた「冷牟田竜之・独占インタビュー」が大きかった。

冷牟田竜之がいた時代のスカパラの内情について、前から知ってた事柄で再確認した項目もあったし、考え違いで自分の中で訂正したり、今まで自分が知らなかった新たな情報もあった。何だか「テストの答え合わせ」をしているような感覚だ。「前から知ってた事柄で再確認した項目」といえば、例えば「冷牟田、スカパラ脱退の事情」だ。タイの海外ツアー中にバイク事故で足を負傷して手術とリハビリやってバンド復帰したけれど足の具合がよくなくて、また精神的にも長い鬱(うつ)状態に入ってしまって、いつの間にかバンド内に立ちこめる重い空気、知らず知らずに出来た冷牟田とメンバーとの壁。以前に語っていた内容はこうである。

「最後の4年くらいは鬱の状態がずっと続いていたんです。そのせいで、メンバーのみんなに迷惑をかけたところがあって。…それがみんなの中に蓄積して、非常に空気を悪くしてしまったし。…それでメンバーと話し合ってくうちに、バンドから1回外れて足を治してください、治療に専念してください、って話になったんですよ。だから、脱退という形はとりましたけど、僕としてはあのとき完治したらスカパラに戻るつもりでいたんです。…手術・リハビリを経て、ある程度歩ける状態になったので、スカパラに戻ろうと思ってメンバーに会ったんです。でもそこで、待ってたよって空気にはならなかったんですよね…。迷惑かけたのはこっちだし、今のスカパラがあるからそれはよくわかるんです。でも、ああ、もう一緒にできないんだなと。だからそこで方向転換して、自分で一からやろうと」

この辺の「冷牟田・スカパラ脱退の事情」について、今回の独占インタビューでもインタビュアーと冷牟田との非常に印象深い、以下のようなやり取りがある。

「(ライブ自体も精力的になり、アジテーターとしての冷牟田さんへの負荷も大きかったのでは?)ちょうど歌モノに移行した辺りでは、もう自分的にはやりきっていたというか、燃え尽きた感じで。何も出来ないっていうくらい、もう力が残っていなかったと思う。体もすごいムリをしていたし、精神的にも自分で負荷を掛けてやっていたので、一旦リーダー的な役割を離れてっていう風になってからはモチベーションも維持できなくなっていった。維持できなくなってからは、欝が酷くなっていって、辞める直前までそういう状態が続いていたかな。…(そして、脱退という選択をされますが、冷牟田さんご自身での決断だったのしょうか?)いや、どちらかというとメンバーが決めたようなところが大きい。」

スカパラ脱退に関して自分から進んで決断したというよりは、「いや、どちらかというとメンバーが決めたようなところが大きい」。「やっぱりね」といった感じが率直に私はした。「本当は冷牟田さん本人は全然スカパラを辞めたくなかったのだけれど、やむにやまれず本人の意志に反して、いつの間にか何となくの流れで結局は脱退」という。

その他、ドラムの青木達之が亡くなって、元「ブランキー・ジェット・シティ」(Blankey・Jet・City)の中村達也を新たに正式メンバーとしてスカパラに迎えたいとする冷牟田の意向と、他メンバーの「中村さんはハードな攻める曲のときはいいけど、その他の曲をやることも考えたら欣ちゃんの方が色々なパターンの曲に広く対応できるから」で茂木欣一を強く推す意見とで結果、茂木がスカパラの正式メンバーになる事情は「前から知っていた事柄の再確認」の改めての答え合わせで正解の解答に合っていた。

「(またメンバー構成も加藤さんや茂木さんも加入されて、新たなスカパラとしてのタイミングだったと思います)そうだね、元々は前のツアーで中村達也の名前を出したのは自分なんだけど、他からは欣ちゃんが良いんじゃないかって話は当時から挙がってて。その流れで決まったかな。」

私が一番驚いたのはアルバム「Arkestra」でクリーンヘッド・ギムラの弟の杉村ルイを正式メンバーで常設のフロント・ボーカルに迎え、スカパラがデビュー以来、結構上手く行っていたスカのインスト路線だけでなく、歌モノ要素も単発コラボではないパーマネントな活動として新たにバンドに加えることになった事情に関してだ。

「(そこからスカパラも大きな変化を遂げることになります。レコード会社の移籍と杉村ルイさんの加入)そのあたりはね、ぶっちゃけていうとavexに移るにあたって、ボーカルがいることが条件だったんです。なので当時は必然性っていうことも考慮するとルイしかいなくて。ギムラの弟だし。」

なんと!バンドのフロントとしてボーカルを新しく加入させるアイデアは、スカパラ本体のバンド側からの自発的意志ではなく、新しい移籍先のエイベックスから提示された移籍条件の一つだったとは驚きだ。当時リアルタイムでアルバム「Arkestra」が出た時、「ギムラさんの弟のルイさんをボーカルでスカパラに迎えるの結局は、新しい血を入れてバンドを常に活性化させたい、いつも先の先を読んで『スカパラ次の一手』を新たに打ちまくる冷牟田発のアイデアだろう。例えばスカパラのメンバーに、そのまま無理やり『スピード・キング』の新バンドをやらせる強引突飛な、それが失敗な時もあれば非常に上手くいく場合もある、あの冷牟田流のいつものバンド荒治療の一環だろう」とずっと私は思っていたので。

そうそう「スピード・キング」(Speed・King)というのは一時期やってたスカパラの別名義の新バンドで、杉村ルイがスカパラに入って、だが一緒にやれなくてすぐに脱退してしまう後の話になるのだが、スカパラが「今世紀最後の隠し玉、新バンド、スピード・キング登場」といった感じで音源が出る前からやたら煽(あお)っていた正体不明の覆面バンドがあった。それでホールツアーのライヴ中盤で谷中敦が、「いよいよ次はスピード・キングの登場です」と言葉を残してスカパラ・メンバー全員がステージ上を去る。

当時、実際そのライヴを観に行って私は非常にドキドキした。「スカパラがプロデュースの新バンドか。堂島孝平さんみたいなスカパラがサポートの期待の新人なのか。これって破格の扱いの大型新人だな」とか普通に思って期待していた。そしたら、いよいよ登場した正体不明の新バンドのスピード・キング、全員そのまんまスカパラのメンバーで度肝を抜かれた(笑)。それに「ファンタスティック・プラスチック・マシーン」(Fantastic・Plastic・Machine)の田中知之らが加わって、おまけにスカパラ・スーツではなくて全身つなぎにバイクのヘルメットをかぶって、舞台上のスクリーンにバイクが猛スピードで疾走する映像をリピートで何度も流しながら「スピード・キング」な楽曲、スカパラ曲でいえば「モンスター・ロック」のような速いハードな曲をスカパラの面々がやりまくる。「あーこれ絶対に冷牟田さんによる冷牟田発のアイデアだわ。このスピード・キング。『今世紀最後の隠し玉の新バンド』とか煽った割には微妙だ。『常に何かしら新しいことをやりたい』で冷牟田さんがスカパラ本体に持ち込むアイデアは見事はまって成功の時もあるけど、同時に失敗のリスクも大きいからな」。少なくともスピード・キングに関しては「スカパラの歴史の中では失敗」と正直、私は思った。何よりも、いつものスカパラ・スーツでなくて全身タイツ的なつなぎにバイクのヘルメットをかぶったガモウの貧弱な体型(失礼!)、捕獲された宇宙人のような姿に大爆笑。「スピード・キング、カッコいい」とは少なくとも私には思えなかった。

そういったスピード・キングのようにスカパラの新しい試みは主に冷牟田発で頻繁にあったので、ボーカル・杉村ルイ正式加入で永続的に歌モノをやるのも冷牟田発のアイデアとしてやった、しかし結果上手く行かずにルイが早々に脱退してしまい、またボーカルなしのバンドに戻った。多分そんなことだろうと長年思っていたら、冷牟田竜之いわく「そのあたりはね、ぶっちゃけていうとavexに移るにあたって、ボーカルがいることが条件だったんです」。本当に驚いた。当時は冷牟田以外のメンバーからも、例えばドラムの青木達之も「そのままインスト・バンドとして極める道もあったんだけど、スカパラはルイを入れて歌モノに力を入れてやる。今回は、あえてそういう選択をした」趣旨の発言、「自分たちの主体的判断でボーカルを入れて歌モノを積極的にやる」を匂(にお)わせるコメントをしていたので。

結局、「移籍の条件としてボーカルを入れなければダメ」というのはレコード会社の売り方の事情で正直、インストで歌のないバンドだとドラマやCMタイアップ、カラオケ配信がなかなか取れないし、チャートのシングル順位も上がらず、手っ取り早く効率的に売れないという売り出すレコード会社側の都合が明らかにあったと思う。どぶ板で全国の小さい箱も海外のライヴハウスもフェスも隈無くまわって、日々ライヴを重ね現場の客が満足して「知る人ぞ知る良バンド」のようなジワジワくる小規模な、決して効率がよいとは言えない良心的な売れ方は、やはりインディーズではないメジャーの、特にメジャー最大手のエイベックスでは無理なのか。

これは特に日本では昔からそうで、歌詞や歌なしのインスト・バンドはメジャーではなかなか売れないし、売り出すのは難しい。例えば1990年代に石野卓球の「電気グルーヴ」がテクノの名盤「ビタミン」のアルバムを作るのだけれど、アルバム収録曲の半数以上が最初は歌詞のないインスト曲で、発売元のソニー・レコードと電気グルーヴが非常にモメる。「歌なしのインストは売れない。売り方が難しいからダメ。このままじゃアルバム発売できない。とりあえず歌ありの曲を入れて」といったことを会社から言われ、本来は歌詞などなくてもどうでもよい、ヨーロッパ本場のテクノやダンスミュージックに傾倒していた石野卓球が、日本の歌中心の音楽市場の壁にぶち当たって落ち込んで悩む。

今でもスカパラが歌モノのコラボでゲスト・ボーカルを迎えシングルを何度も切りまくるのも、さらに近年は他バンドとの合体コラボで共同で大人数でやるのも、先の冷牟田のインタビューを読んでいると「誰とやりたいか」のコラボの選択権はスカパラ本体にあるらしいが、「インストのスカじゃなくて歌詞がある歌モノ・コラボをずっと続けてシングルで切る」というのは、どうも「メーカー主導のアイデア」らしい。そうした「メーカー主導」の歌モノ・コラボの連発に少なからず違和を感じていたという冷牟田の、例えば以下のような発言がある。

「(新メンバーの元、新しいアプローチとして歌モノ3部作になっていきますが、メンバーからのアイデアだったのでしょうか?)あれはメーカー主導のアイデアですね。自分としては歌モノをやるというよりかは、インストでやりたい、貫いていきたいという気持ちがあったので。スパイス的に歌モノをやるっていうのは全然アリなんだけども、歌モノありきになっていくのが、ちょっと『それは違うんじゃないか?』っていう気持ちでいたんだけど。でも、もうその時点で自分がやりたい事っていうのは全てやりきって、いろんな事を振り切ってやったっていう満足感もあったし、新しい道をいくのも良いかなという判断を当時はしていた。」

「歌詞がないと手っ取り早く効率的に売れないからダメ」的な昔からある日本の音楽ビジネスの伝統的なあり方、何が何でも「歌モノありき」に対する冷牟田竜之の中途からの違和感を私は共感し納得できて非常にうなずける。

この記事は次回へ続く。