アメジローのつれづれ(集成)

アメリカン・ショートヘアのアメジローです。

大学受験参考書を読む(11)伊藤和夫「英語長文読解教室」

駿台予備学校の伊藤和夫による英語参考書の「教室三部作」といえば、「英文解釈教室」(1977年)と「英文法教室」(1979年)と「英語長文読解教室」(1983年)であるが、三冊目に当たる「英語長文読解教室」は「英文解釈教室」の続編の扱いで、「できることなら『解釈教室』の次に続けて読むべき本」の位置づけになっている。「長文読解教室」の「まえがき」にて伊藤師いわく、

「筆者の前著『英文解釈教室』の『あとがき』で筆者は同書を読了した人の取るべき道の1つとして、『この書物から得た知識をもとに原書を読む道』へ踏み出すことをすすめた。しかし、以来6年、『解釈教室』がその性質上止むを得ぬことであるにはしても、そこで説かれた方法の実践練習となるべき例題の量と数に乏しいことからすると、同書と原書の間にもう一冊、同書で示した方法を基礎に長文に対する内容的読解の訓練をする書物を入れてもよいのではないか…と考えるようになった。…本書は以上の考慮から生まれたもので、過去の入試問題から適当な長さと内容を持つものを精選し、これを内容に関するテーマ別に20章に分けてある」

確かに「英語長文読解教室」は、前著「英文解釈教室」の続編的実践演習の位置づけで、この二冊を連続して読むとよい。

伊藤和夫「英文解釈教室」に関し、昔から私がやや不満に感じるのは、例題にて出される英文に文語的で古典な、古い変な英語がたまに混じっていることだ。例えば第14章の「共通関係」の例題にヘミングウェイ(Hemingway)の「武器よ、さらば」の原文を読ませる問題が旧版に、また最新の改訂版にもそのまま掲載されてある。「あのような変則的で例外的な不規則なand並列を連発する変な英文、ある意味クセがあって非常に味わい深い(?)英文を英語の勉強を始めて間もない10代の大学受験生にわざわざ読ませるが必要があるか」、少なくとも私はそう思う。「解釈教室」にて伊藤師が持ってくる英文が時に大学受験の試験対策の実用性に欠ける面がある。それに比べたら続編の「長文読解教室」に掲載の英文は全て実際に出題された大学入試の過去問であり、文末に必ず出題大学名の明記がある。また伊藤師によって明快なテーマごとに分けられ絶妙に配置された長文問題群は表現と内容ともに非常に良質で、英文解釈の実践演習の経験を積む受験勉強への実用性がある。伊藤師も「長文読解教室」の「まえがき」にて同様に述べている。

「筆者のように入試問題を中心とする教材で教えることを長期にわたって続けていると、入試問題の英文の多くが苦心の結果選ばれたものでありながら、入試問題という性質上、一度使われたあとは空しく捨てられてゆくことに一抹の哀惜を覚えざるを得ない。これらの文章の中には不必要な固有名詞の除去、学生にはあまりに難解な単語の言いかえ等、適当な改変が施され巧みにまとめられていて、学生が『原書』の一歩手前の段階で読む文章として好適なものが多いのである」

なるほど、大学入試の過去問に採用の英文には出題者の工夫や配慮が見られ、英語表現、論説内容ともに偏(かたよ)りのない標準的な良い文章が確かに多い。

前著の「解釈教室」には、いわゆる「ネタばれ」という内容構成上の欠点があって、「長文読解教室」には、その欠点が出てこない点も有益だ。「解釈教室」は文法項目ごとの章立て構成なので、例えば「倒置関係」の章を読めば、その解説後の問題演習には間違いなく倒置文が出てくることがもう最初から「ネタばれ」で分かってしまう。同様に強調構文の解説後の問題演習に「It…that」の英文があれば、「もうこれはItが形式主語でthat以下が真主語のIt…thatではなくて、本の構成上この場合は強調構文でしかあり得ないだろう」という問題を解きながらのツッコミが自然と出てしまう(笑)。しかしながら「長文読解教室」は「解釈教室」とは違って何が出てくるか、どのような型のどんな文法注意事項を持つ英文が出てくるのか事前に分からない、そうした所がよいと思う。

そもそも英文解釈というのは初見の未読の英文を見せられて、その場で正確に適切に、しかもどれだけ素早く対応できるかが勝負なわけだ。人によって英文読解アプローチの方法論的違いは多少あれど、普通の人ならおそらくは誰でも必ず英文を左から右に読んで、まずは「S+V」を探すに違いない。そんな時、例えばいきなり名詞の連続で「N+N」が来る。私の感覚では名詞の連続は一種の「破格」で、関係詞の省略や同格の言い換え具体化をまずは考えるが、しかし、どうしてもそれでは説明がつかない場合もある。その時に初めて「もしかしたら、これは倒置?」と思って考え直してみたら案の定「O+S+V」の語順になっていて、先の「N+N」は倒置の「O+S」だったと気付くことがある。特に倒置文はそう頻繁に日常的に出てくるわけでなく、しかしながら困ったことに忘れた頃に出くわしたりするから、「ネタばれ」のないニュートラルな白紙な頭の状態で初見の英文を読む際どれだけ正確に対応し処理できるか、その思考の過程にこそ英文読解の本質があるように思える。

ついで言うと、よく英語の参考書では倒置文について「これはOの語句が長いから英文の全体のバランス取って『O+S+V』の倒置の語順になっている」とか、「倒置で前に持って来ている語を書き手が強調したいため、もしくはその語が前文の内容と非常に親和性がある旧情報なため、言葉のつながりを保ちたいために倒置になる」云々の解説があるが、しかし、そういうのはあくまでも「後づけの事後的な説明」でしかなく、倒置文解説をする英語の先生は既読で、「これは倒置文である」と最初から知っているので後づけで得々と説明できるだけのことだ。その英文を初見の学生は、「旧情報であり、前文との語句内容の親和性であえてここは倒置の語順になっている」云々の解説以前に「もしかしたらこれは倒置?」と最初に独力で気づけるかどうかが英文解釈の勝負所であるので、そのため日頃から「ネタばれ」のない初見の英文に数多く当たる訓練は必要となる。

そうした点も含めて伊藤師の「英文解釈教室」あれはさすがに名著だけれど、この「英語長文読解教室」も同様に英語学習に有用性があって重宝する、ありがたい参考書だ。そういったわけで伊藤和夫の「教室三部作」は昔から評判がよく、近年では三冊とも「名著復刊」、出版元の研究社いわく「全国からの熱い要望におこたえして」見事、復刊を果たしている。その復刊の「英語長文読解教室」の帯にある「推薦の言葉」、日本語による英文解釈の教授法を確立し大学受験英語指導の道を切り開いた伊藤和夫くらいの人物になると、現役の予備校の先生が先人に敬意を表して直々に推薦文を書く。

大島保彦先生(駿台予備学校講師)「読むことによって『知識を増やす』だけでなく『自分を変える』参考書。源泉を、ここに、今、もう一度。」

西きょうじ先生(代々木ゼミナール講師)「思考なき時代に。英文を読むことは単なる情報獲得の手段ではなく、その行為自体がひとつの思考となりうることを示してくれる著作です。ゆっくり取り組んでみてください。」

特に当時の代々木ゼミナール在籍の西きょうじの推薦文、「思考なき時代に。英文を読むことは単なる情報獲得の手段ではなく、その行為自体がひとつの思考となりうる」とは、英文解釈の本質を押さえた至言で深みのある良い文章だと私は思う。