アメジローのつれづれ(集成)

アメリカン・ショートヘアのアメジローです。

大学受験参考書を読む(13)高橋善昭「英文読解講座」

大学受験指導の英語に関し、私は駿台予備学校・英語課の伊藤和夫と高橋善昭の英語指導が信頼できて好きだった。とにかく伊藤、高橋両師の英語参考書はよく読んだ。

例えば、伊藤和夫「英語長文読解教室」(1983年)巻末に所収の「私の訳出法」など、あのような英文の構造を完全に見切った上での自然な日本語訳を作る網羅的な訳出技術・方法論の提言は貴重だ。大学で英語の研究を長年専門的にやっている学者や研究者が「私の訳出法」のような実用的で即効性のある柔軟な訳出の知恵の方法論的なものを果たして書けるか、の疑問はある。他方、実務で英訳に従事しているプロの翻訳家が「私の訳出法」のようなことを頭で分かって日々実践できてはいるけれど、伊藤師のようにパターン化して整序網羅し客観的に文章にして学生に説明教授できるかの疑問も残る。ゆえに伊藤和夫「私の訳出法」は必読といえる。

「伊藤和夫は構文主義、高橋善昭は生成文法」と私は昔から思っているのだが、伊藤師の場合、英文を左から右に読んでいってできるだけ返り読み少なく「直読直解」を目指し、その都度次に来る文要素を予測し、しかし時に予測が外れれば適時に修正を繰り返して英語の構文の自然な流れに出来るだけ忠実に読みの流れを止めず、ネイティプの感覚に近い形で英文を読み進めようとする。

かたや高橋師の場合は、ある意味、英文の自然な流れを無視した非常に精密分析的な英語の構造把握の読みで、名詞構文でも不定詞の形容詞用法でも強調構文でも今ある形を逆算して、その生成変化の過程を逐一示し最終的に「S+V」の基本文にまで毎回、律儀(りちぎ)に戻して解説したがる。「文とその変形」の生成(変成)過程に異常にこだわる人だ。だから高橋師の英語参考書では、例えば名詞構文があったら「まず所有格の人称代名詞を主格の主語に戻し、それから次に動詞の名詞形を元の動詞に戻して…」というように英文の生成変化の逆算過程を段階別に丁寧にかなりしつこく解説する所が毎度の読み所となる。

そうした高橋善昭が執筆の参考書の中でも「英文読解講座」(1986年)は昔から割合、好きな書籍だ。「××と読むのは、まったくの勝手読みで誤訳」と厳しく叱(しか)る高橋師の厳格な指導が、しばしば紙面にある。本書は「中級以上の英文が読めるようになりたい」と願っている人のための独習用読解力養成講座である。この参考書では特に最終章の「破格文の構造」が面白い。

「破格文」とは、本来は文法・語法上正しいものであることが原則なのに、言語自体が変化しつつあるため何をもって誤りとし何をもって正しいとするか議論の余地が残る文をさす。しかし、受験英語の文法・語法・作文の問題では明らかに誤りと判定される英語の基本や原則ルールから逸脱した英文である。

大学受験の英語では、わざと文法・語法的に「破格」な文を問題文中にいくつか混ぜておいて、破格文の誤り指摘をさせる「誤文訂正問題」があったりする。ただ高橋師の「英文読解講座」の場合、破格文をそのまま和訳させる。そもそも受験生が入試問題の英文を見た時に、「普通に下線部訳の指示が出ているけれど文法・語法的におかしな英文である。もしかしたら、これは破格文?」と気づいた上で和訳できるか、それとも英語の知識が不十分で明らかに文法的間違いがあるのに「破格」と全く気づかず、そのまま見過ごして無邪気に日本語訳を組み立ててしまうのか。「破格」と気づいた時でも気づかなかった場合でも、入試の下線部訳や大意要約問題の場合には、「英文に対する細かな観察の気づき」云々より、要は答案の日本語訳や内容把握が出来ていれば必ず点数はもらえるから結果の作成答案がよければ、それこそ文字通り「結果オーライ」なわけである。しかし、やはり英文解釈は結果の「日本語訳を完成させて解答を作ること」ではなく、英文に接し解釈して訳出する際の個人の思考の過程こそが英文読解の本領だと私は思う。何のヒントもなしに「破格」を含む英文を突然に見せられた時、「あーこれ破格だわ」と普通に気づけるかどうか英語に対する嗅覚は案外大切だ。

結局のところ、英文解釈のみならず、物事で大切なのは判断の結果でなくて思考の過程である。