アメジローのつれづれ(集成)

アメリカン・ショートヘアのアメジローです。

大学受験参考書を読む(12)伊藤和夫「予備校の英語」

駿台予備学校の伊藤和夫の書籍は名著「英文解釈教室」(1977年)を始めとして数多く出ているが、数ある著作の中で強く私の心に響いたのは「予備校の英語」(1997年)だ。これは大学受験の英語の参考書ではなくて、伊藤和夫のエッセイ集である。

最期に自身の病状を赤裸々に記し本書をまとめるきっかけを書いた、「はしがき」の「『悪役』の退場と『色男』の悲哀」を巻頭に置く、おそらくは伊藤師の絶筆を含む「予備校の英語」は、伊藤和夫の英語教育指導に関心がある人なら、その他日本語による英語教育に携わっている人ならば一度は読んでおくべき書籍なのかもしれない。

とりあえず一読して「予備校の英語」は、「悪役」=受験英語・予備校の英語と「色男」=会話英語・カルチャー英語の二元体制において、前者の本格的に英語が読めるよう厳しく指導する受験英語の「悪役」が「退場」し、後者の英語の表面だけを安易に示して人々の歓心をかう実体のない薄っぺらいカルチャー英語の「悲哀」な「色男」のみが残って、あとに残された者も皆が「悲哀」という日本の将来の英語教育を伊藤師が憂う、大変に皮肉を込めた絶妙タイトルな「はしがき」である「『悪役』の退場と『色男』の悲哀」を含み、氏のこの絶筆の重さが加味されて、特に私のような今まで人に英語を教えた経験もなければ、日本の英語教育の将来について全く深く考えたこともない、別に学生への英語教育や他の人の英語のスキルアップに何ら興味・関心がなくて、自分以外の他の人々が学ぶ英語教育など内心、どうでもよいと思っている(笑)、日々人に英語を教えてお金稼いでそれでご飯を食べていない私のような不真面目で無責任な「英語教育の部外者」からして、内容についてあれこれ突っ込んで軽々しく述べるには明らかに手に余る、自身の関心と能力を遥かに越えた内容の書物である。

「悪役」=「受験英語・予備校の英語」=「長年『予備校の英語』に尽力した私・伊藤和夫」の言い換え等式が明確にあって、つまりは死を覚悟した余命少ない伊藤師みずからが「悪役の退場」=「私・伊藤和夫の死」という等式の絶妙なレトリックを使って、日本の将来の英語教育の行く末に絶望する非常にシニカルな考えを「絶筆」として示しており、さらには「悪役」=「受験英語・予備校の英語・伊藤和夫」の「退場」に際し、「やがて、おそらくは四半世紀を隔てて、なぜあの時代、つまり二十世紀の一部の日本人は、あの環境であんなに英語が読めたのかという問いかけがなされる時が必ずやってくるであろう」(将来の日本人は前の時代よりも確実に英語が読めなくなるだろう)といった捨てゼリフまで伊藤師が自身の死の去り際に吐(は)いてるので、この書籍は読む者に対してかなり深刻で内容が重い。