アメジローのつれづれ(集成)

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大学受験参考書を読む(23)高橋正治「古文読解教則本」

駿台予備学校の高橋正治「古文読解教則本」(1988年)は、副題が「古語と現代語の相違を見つめて」であり、この参考書は古典文法の主な意味・用法を難易別の典型古文の例文を集めて収録した英語の構文集のような体裁をとっている。著者の高橋師によれば、「『古文読解教則本』と名づけたのは、ピアノ教則本・バイオリン教則本などの名前を踏襲した」ためで冒頭の「まえがき」にて、さらに氏は以下のように述べる。

「本書は助詞・助動詞・敬語を中心とする学習をするために編集したものである。『古文読解教則本』と名づけたのは、ピアノ教則本・バイオリン教則本などの名前を踏襲したのである。楽器の教則本は、その順序に従って学習すれば、自然に進み、動きにくかった指も他の方法にくらべれば楽に動くようになってゆく。文法も、個々の単語の意味の理解の最初の段階ではこのような方法がよいと考える。現行の教科書では、例えば助動詞の学習の場合も『る・らる』あたりからはじまり、意味の説明があって、用例になるが、その用例の中にまだ学習していない助動詞が入ってしまっている。これでは学習の充実感は得られない。そこで、助詞・助動詞に関しては、それを混合して、ある助詞・助動詞の学習のときには、あとで学習する助詞・助動詞が含まれない例文によることができるようにした。あとに出てくる例文は前に出てきた助詞・助動詞が繰り返し現れ、さらに反復・補強されつつ学習が進行し、おのずから習熟できるようになっている」

こうした楽器技術修得の教則本形式に則(のっと)り、全362文の短文な基本文とそれへの現代語訳と軽い文法解説がある。内容は易から難へ、本質基本から枝葉応用なものへ。しかも学び始めの段階では未修な文法事項を含む例文はあえて出さず、逆に一度学んだ既修項目は後に何度も重複で繰り返し載せて定着強化の習熟をはかる。すなわち「ある助詞・助動詞の学習のときには、あとで学習する助詞・助動詞が含まれない例文によることができるようにした。あとに出てくる例文は前に出てきた助詞・助動詞が繰り返し現れ、さらに反復・補強されつつ学習が進行し、おのずから習熟できるようになっている」。確かに、この要領で古典文法を項目別に順番に学んでいくと、あたかもピアノやバイオリンの教則本にて自然と指運びが出来るようになるのと同様、易から難へ筋道立てて無理なく古典文法を体得し自然な形で古文が読めるようになっていけそうだ。

本書は改訂にあたり、高橋師が「簡単な解説を新たに付した」旨を述べてはいるが、氏の文法解説が比較的淡白で簡略なため一読して難しい。一度は詳しく古典文法の学習をやって、「しかし文法を学んではみたけれど実際の古文読解にて文法知識を活用・駆使できない」や「教えられた文法事項がバラバラで自分の中で有機的に上手くまとめられない」の悩みを持つ、すでに古典文法を一度は学んでいる人向けのいわゆる「二周目の参考書」といった感じはする。本書の後半で格助詞「の」の用法解説にて、三浦つとむが「日本語はどういう言語か」(1956年)で昔よくやっていた時枝誠記の時枝文法での「風呂敷型統一形式」をいきなり載せて、例の風呂敷展開図にて高橋師は説明している。しかし、時枝文法の風呂敷図式における客体的表現と主体的表現の区分を土台とする展開図式の読み方の詳しい解説はなく、時枝文法など、おそらくはまだ知らないであろう10代の大学受験生が果たして初見でこの参考書を独学で使いこなせるかの疑問は正直、残る。

しかしながら、そういった細かな難点はありつつも高橋正治「古文読解教則本」は、全体によく考えられ執筆された古文の大学受験参考書の名著であり、何より「教則本」の内容配列のアイディアが古典文法教授の他著よりも断然に優れている。

加えて「まえがき」にて、高橋師が自身の大学受験の往時を振り返り、恩師の古文の受験指導に対する恩義に謝する回顧の文章がこれまた良いのだ。学問の世界では師匠に対する弟子筋からの師の学恩に謝する回顧文や追悼文は日々よく書かれ頻繁に目にするが、弟子・高橋正治による恩師・山岸徳平へ向けての回顧文は数あるそれら類型の文章群の中でも相当に上手い。師への感謝の気持ちの細やかさが読み手の心に重く伝わる、かなりの名文だ。

「旧制高校のことであったので、将来のことをゆっくり考えながら三年間を過ごし、三年の十二月に古典の専攻を決定した。古典読解に関してはそれまほど熱心ではなかったので、ことばの見分けがつく程度であった。それから二か月間が受験勉強である。当時は初心者のためのよい学習書はなかった。そのときの東京教育大学(現筑波大学)の国文科主任教授であった山岸徳平先生が徒然草・大鏡・枕草子の添削をしてくださることになった。ただでさえ専門の研究がお忙しい先生であるのに、東大の国文科を受けるという話題になったとき、では正当に勉強できるように見てあげようと言われたのである。人に及ぼすことの好きな先生の愛情と活力は今の私の心のともし火でもある。…問わず語りになんでも説明してくださる先生のことばを忠実に実践し、読めない状態から読める状態までを短い時間で経験し、実感として初心者の方法を意識化したのであった」

「人に及ぼすことの好きな先生の愛情と活力は今の私の心のともし火でもある」。簡潔で的確な心のこもった名文を昔の人は、さりげなくサラリと書く。