アメジローのつれづれ(集成)

アメリカン・ショートヘアのアメジローです。

太宰治を読む(2)「惜別」

書簡か何かの作品か、どこに書いていたのか思い出せないが、太宰治が「日本には芥川龍之介という短編小説の大変な名手がいるが、その後この分野でいい人が出ていないので、ひとまず自分が頑張ってみたい」という旨のことをいっていた。短い中でエッセンスを凝縮して、まとめる手腕が問われる短編である。太宰治は上手いと思う。特に「惜別(せきべつ)」(1945年)は本当によい作品だ。

内容は、魯迅が仙台医専に清国留学生として来て、いわゆる「幻燈事件」で医学から文芸に転身して帰国するまでの日本での同窓との交友を描いたものである。おそらくフィクションの脚色を交えているとは思うが、主人公と魯迅の周さんが知り合って交友を深める「二人の間の友人の軸」と、この二人が大学の藤野先生の下で勉学に励む「師弟の間の尊敬の軸」が小説の基本的な構造を成している。

しかしながら、主人公と周さんが常に親しく、またこの二人の学生がいつも藤野先生との信頼関係を保っていたら単なる「美談」で小説にならないので、話の途中でお節介で勘違いで早とちりな変な世話焼きのクラスメート・津田氏がコメディ・リリーフ役で頻繁に出て来たり(笑)、試験問題漏洩事件があって周さんが疑われたりして、主人公との「二人の間の友人の軸」や、藤野先生との「師弟の間の尊敬の軸」が不信や誤解の試練にさらされる。だが、最終的には太宰の見事な筆捌(ふでさば)きにより、友情と師弟のつながりはより強固になり、漏洩事件に関しても別のクラスメートが泣いて詫(わ)びを入れ、「よく考えてみると周さんを最も愛していたのは、この津田さんではなかったかしら」など、本当は友情に厚いが早とちりで不器用ゆえの津田氏ら関係者の誤解で登場人物の中の誰も悪人にせず、全てよい人で丸く平和に収める、読み手にさわやかな読後感を与える小説になっている。

また、なぜ周さんが医学を志し日本に留学するようになったか、彼の父親の死の臨終間際の「父の霊魂を引きとめようと喉も破れんばかりに叫んだ、自身のあさましい喚き声」のくだり。周さん同様、日本に留学してた同国の仲間たちは欧米列強に蹂躙(じゅうりん)されまくる祖国の清国やアジアの将来のことを何ら真剣に考えない。帰国したら日本で学んだ知識で商売でもやり一儲けなど、たくらんでいる。そんな中での留学生・周さんの同国の留学生仲間に対する不信感、ゆえに留学先の日本での彼の孤立の孤独。いずれにも力点入れ、多くの字数を割(さ)いて太宰は丁寧に書いている。

この小説の中で昔から私が好きなのは以下の場面だ。夜遅くに周さんが主人公の下宿に話に来る。「もう、おそいんじゃありませんか?」「も少しお邪魔さしてもらってもいいですか?」「この下宿では、こんなにおそくまで、僕なんかが話込んでいると、いやがるんじゃないですか。大丈夫ですか?」周さんが、あまりに気を使って卑屈になるので主人公は辟易(へきえき)して不快になる。異国の地で周りの人に気遣いが絶えない周さんを気の毒にも思う。

そこで、別れ際に周さんに「お願いがあります。玄関の外で、一分間だけ立っていて下さい」。周さんを玄関の外に立たせて、わざと大声で「小母さん、周さんは帰ったよ」「あら、傘をお持ちになればよかったのに」。下宿の小母さんとの会話を外にいる周さんに聞かせる、ただそれだけ。ここで下宿の小母さんが「やっと帰ったか、全く尻の重い客だね。これじゃ戸締まりして早く寝れないよ」とか言ったら、全てがぶち壊しなわけだが(笑)。

しかしながら、この「惜別」は究極の性善説の小説であり、作家・太宰治の支配下のもと善良な人達のみで邪悪な心の持ち主は一人もいないから、「あら、傘をお持ちになればよかったのに」。つまりは「下宿の人は、夜遅くの周さんの訪問や滞在を何ら不快には思ってませんよ」の裏メッセージだ。そして、主人公がわざと小母さんとの会話を外の周さんに聞かせて「わが意を得たり」のもくろみの後、「私は、玄関の外に立ってこの私たちの会話を聞いているはずの周さんに逢いに行ったら、周さんはいなくて、暗闇にただ雪がしきりに降っていた」。

太宰、小説書くのが上手いね(笑)。