アメジローのつれづれ(集成)

アメリカン・ショートヘアのアメジローです。

フリッパーズ・ギター 小沢と小山田(13)コーネリアス(小山田圭吾)「ファースト・クエスチョン・アワード」(その3)

(前回からの続き)「フリッパーズ・ギター」(FIippers・Guitar)解散後のソロ活動における、小沢健二と小山田圭吾の笑ってしまうくらい分かりやすい思考のコントラスト。「フリッパーズ解散後のソロが同じバンドでやってたにもかかわらず、小沢と小山田でなぜあんなにも違ってくるのか?」この2人の大きく違いすぎるほどの違いは果たしてどこから生じ、一体何に由来するのか。

この点についてフリッパーズ・ギターの時代にまで、さかのぼってよくよく考えたら、2人のソロ活動における明確なコントラストの違いの由来も「フリッパーズ解散の背景理由」と同様、フリッパーズにおける異常に偏(かたよ)った変則的な分業体制に求められる。

すなわち、フリッパーズ・ギターの作詞は全て小沢健二が担当して、彼が全曲の詞を奔放自在に書いていた。もちろん、アルバム「カメラ・トーク」収録曲も全部、小沢が詞を書いていたし、アルバム以外のシングルも最後のコンセプト・アルバム「ヘッド博士の世界塔」も全曲、小沢が作詞担当していた。特に「カメラ・トーク」では、本来「─であるべきはず」なのに「─ではない」NOT構文の否定の欠落の甘いモラトリアムな青春の詞世界を小沢は散々書いて縦横無尽に十全にやり尽くし、経験を重ねて学びやがてステップ・アップして次作の「ヘッド博士」で、これまでの否定の欠落の青春モラトリアムではない「確かに何かがある!」のポジティヴな救いの存在示唆のBE動詞の文型思考を新たに見つけるわけである。

かたや小山田圭吾の場合、フリッパーズ時代の作詞は全部、小沢が担当してやる異常に偏った変則的な分業体制ゆえに「ヘッド博士」制作の時点でアルバム詞世界の「確かに何かがある!」の存在思考を心底から自覚して小沢と立場共有できていなかった。のみならず、フリッパーズを解散してソロになって初めて自分で詞を書かなくてはならなくなった時に、これまで作詞経験の蓄積がないから、以前に小沢が「カメラ・トーク」ですでにやり尽くしたような否定の欠落の甘く、せつないモラトリアムな青春世界の歌詞を書き出す地点から始める。

小沢と小山田、同じバンドで共同で創作活動していたにもかかわらず作詞経験キャリアの有無で、以前に小沢が「カメラ・トーク」でやっていたような作詞をフリッパーズ解散後のソロで小山田が今更ながらに後追いでなぞってやる。ちょうど小沢の周回遅れを小山田が走るような形だ。事実、小山田にはフリッパーズ時代から今まで確固たる作詞の経験キャリアがないから、ソロになって初めて詞を書き出して彼は非常に苦戦する。私の記憶に間違いないなら、小山田圭吾が最初に歌詞を手がけたのはフリッパーズを辞めた後に小泉今日子に提供した楽曲「華麗なる休暇」のはずだ。この「華麗なる休暇」の詞は、非常に苦心してひねり出して、やっと書き上げた小山田の「作詞初心者感」が異常に漂(ただよ)う(笑)。未聴な方は探して聴いてみて。とにかくフリッパーズ時代の小山田は作詞経験がなく1曲も詞を書いていない。

結局、2人組の同じバンドで小沢と小山田はフリッパーズ・ギターでやっていたのだけれど、歌詞を全部小沢ひとりが書きまくる偏った分業体制だったためにアルバム新作ごとにどんどん歌詞を書き継いでいく小沢が一方的な人間的変化をきたし独り先に行く結果になって、バンド内で2人の間にズレができて、それが「フリッパーズ解散の背景理由」となり、さらに解散後はソロでそれぞれの各自が、その時に自分が正しいと思ったり自身の好きなことを全開でやって、もろに音楽性の好みが出るから「ヘッド博士の世界塔」の制作過程にて生じた2人のズレが、さらに増幅され双方の違いのコントラストがより明確になり、「フリッパーズ解散後のソロが同じバンドでやってたにもかかわらず、小沢と小山田でなぜあんなにも違ってくるのか」の驚愕の結果になってしまうのである。

さて、当時リアルタイムでフリッパーズ・ギターの解散を目の当たりにし解散後の2人のソロ活動を追跡していた私にとっての大きな関心は、それぞれソロデビューして互いの新作に対し何と言うかだった。当時の音楽雑誌は、小沢の「コーネリアス」(CorneIius)新譜に対するコメントと小山田の小沢ソロ活動についてのコメントの双方を異常に取りたがっていた。そして、小山田は「最終的にポジティヴな救いはある!」と歌う小沢ソロに関し「なんか尾崎豊みたいだった…ちょっと心配になっちゃうっていうか…」と言うし、小沢は小山田ソロのコーネリアスの新譜に対し「ピチカート・ファイヴの音にフリッパーズ・ギターの歌詞が好きな人が作ったものみたいだった…そんだけ」と、ぶっきらぼうに言う。

小沢健二による、この小山田・コーネリアス評はかなり傑作だ。特に後半の「フリッパーズ・ギターの歌詞が好きな人が作ったものみたい」云々のところ、「ホント小沢健二って頭がキレて賢い人なんだなぁ」と私はしみじみと思い感心した。つまりは小沢のコメントを言葉を補って解釈すると、「フリッパーズ・ギターの歌詞が好きな人が作ったものみたいだった」=「小山田のコーネリアスの新譜の歌詞って昔、俺がフリッパーズの時代に『カメラ・トーク』で散々やり尽くしたことじゃん。一緒に『ヘッド博士』まで作って、本当はNOT構文からBE動詞の新たな次のステージへ行くべきなのに小山田の奴、何を今さら」みたいな。

「あらかじめ分かっているさ、意味なんてどこにも無いさ」とか「他人の言葉つなぎ合わせて、イメージだけに加速度つけ話すだろう」(「太陽は僕の敵」)など、いまだに否定のNOT構文が全開なコーネリアスの小山田に対し、「意味なんて何も無いなんて僕が飛ばしすぎたジョーク」で「本当はなんか本当はあるはず」(「天気読み」)と歌う存在示唆のBE動詞な小沢である。しかも「本当のことへと動きつづけては、戸惑うだけの人たちを笑う」(「カウボーイ疾走」)の嘲笑で、後の「ライフ」の頃のような完全「善人」ではまだなく、いくぶんタチの悪い昔のフリッパーズ時代の小沢健二がファースト・ソロの「犬は吠えるがキャラバンは進む」の時にはまだ少しばかり残っているから(笑)、「ヘッド博士」を作り上げてフリッパーズを解散させる必然性があった小沢からすれば、コーネリアスの再デビューがフリッパーズ・ギター「カメラ・トーク」時代の歌詞世界のリバイバルで「小山田の奴、何を今さら」なのである。

だが、それでも小山田ソロのコーネリアスの1枚目のアルバム「ファースト・クエスチョン・アワード」を私は昔も今も好きだ。アルバム・タイトルを日本語訳すると「第1回質問大賞」になる。ここでの「クエスチョン」の「質問」とは、アルバム収録曲「サイレント・スノウ・ストリーム」の中の「僕に聞こえてくる大げさな言葉にそっと湧(わ)き上がる少し悪意のある疑問」なわけだ。「意味なんてどこにも無いさ」と歌う小山田にとっての「ファースト・クエスチョン・アワード」、すなわち「第1回質問大賞」の栄(は)えある大賞受賞「質問」は、「なんか尾崎豊みたいだった」小沢に対する「この世界に意味があるとか神様がいるとか、本当にそんなこと簡単に言ってしまっていいの?」という小山田による、「僕に聞こえてくる大げさな言葉にそっと湧き上がる少し悪意のある疑問」であることは、かなりの確率で間違いない(笑)。

この時の小山田圭吾の作詞の歌詞の元ネタは1990年代に流行ったダグラス・クープランド(Douglas・Coupland)の小説「ジェネレーションX」や「シャンプー・プラネット」である。当時、私もクープランドの「ジェネレーションX」など一通りは読んだ。それで「ジェネレーションX」の後に、イギリス映画「トレインスポッティング」が確か日本公開されたはずだ。1990年代の若者の社会に対する不信や苛立(いらだ)ち、モラトリアムな甘くせつない青春が、そこにはあった。

何よりもフリッパーズ・ギターが未練なく呆気なくさっさと解散してしまって、そのことを皆が非常に残念に思っていて、「カメラ・トーク」のようなポップな音楽をもっと聴きたいと渇望していた。そんな時に小山田圭吾がコーネリアスのソロで再び、かつてのフリッパーズの「カメラ・トーク」のような青春ポップなアルバムを作ってくれたので、私は非常にうれしくて正直ありがたかった。

特集「フリッパーズ・ギター・小沢と小山田」、これにて終了の完結。フリッパーズの「世界塔よ永遠に」、もしくは「全ての言葉はさよなら」。