アメジローのつれづれ(集成)

アメリカン・ショートヘアのアメジローです。

特集ドイル(1)「シャーロック・ホームズの冒険」

コナン・ドイルの「シャーロック・ホームズ」は、探偵小説の短編連作シリーズものの創始の草分けで基本である。昔から何度も繰り返し読み返しているが、最近これまた読み返してみたので、いつも読んでいる新潮文庫、延原謙訳の定番本にのっとって話を。まずは短編連作集の第一作「シャーロック・ホームズの冒険」(1892年)から。

(以下、「シャーロック・ホームズの冒険」各話の核心トリックに触れた「ネタばれ」です。「ホームズの冒険」を未読な方は、これから本作を読む楽しみがなくなりますので、ご注意下さい。)

最初に結論からいうと「ドイルはスゴい。ホームズ・シリーズは一冊目の『冒険』から、すでに完璧だ」。短編連作形式の定着、話の叙述の仕方、話の構成・展開のさせ方、キャラクターの立て方など、おそらくドイルが初めて考えたものもあるだろうし、今まであったものをドイルが改良・発展させて大々的に使ったものもあるだろう。探偵小説において素晴らしい嚆矢(こうし)で偉大なコナン・ドイルである。

まず「短編連作形式の定着」とは、初出が雑誌に定期連載なので全部一話完結の読み切りで毎回同じ分量(一話がほぼ40ページ程度)である。事件の解決までサラリと話が進む。ゆえに手軽に読めて楽しめる。

また「話の叙述の仕方」が、ホームズの親友で助手のワトソンが彼と共に解決した事件を記録・整理して後日、読者に披露する「事実談」の形式を常に守り貫いてるのでシリーズ全体で各話の連続性の整合性がある。しかも「この年には同時に××事件もあって××事件もあったが、いずれも公開に差し支えあるから、今回は××事件について書くことにする」など未だ発表されていない事件や、関係者への配慮から小説にして発表できない、お蔵入りの「書かれざる事件」があることを暗に匂わす「思わせぶりな記述」(?)を各話の語り出しの冒頭によく挟みこんでおり、ホームズ事件簿の広がりと深まりを読み手に意識させることに見事、成功している。だからこそ、このドイルの周到な書きぶりに助けられて後の人たちがお蔵入り事件のファイルを勝手に創作して公開する、いわゆる「贋作(がんさく)ホームズ」が可能となるわけだ。

ホームズ・シリーズにおける「話の構成・展開のさせ方」で、何よりも一番に挙げなければならないのは「奇妙な発端」である。最初に盗難や殺人の事件が起こって、それから警察と探偵が解決に乗り出すというマンネリ展開を避ける工夫であり、むしろ最初に事件にすらなりえない不可解で理解不可能な「奇妙な発端」の事柄が起こり、依頼人は警察に行かず、いや警察に行っても相手にされないから私立探偵ホームズの所に相談を持ち込む。そこでホームズが「奇妙な発端」の不可解さに合理的な解釈を与え、あらかじめ事件を予測し手際よく解決に導く。読者は最後まで読むと、冒頭のモヤモヤした「奇妙な発端」の奇妙さの意味の本意が氷解して辻褄が合うあうから、うれしい読後の爽快感が強く残る。

「奇妙な発端」の典型話として、例えば「赤毛組合」がある。その話の概要はこうだ。ある赤毛の質屋店主が新聞にて「赤毛組合員募集」の広告を見つける。赤毛の富豪による慈善事業の資産贈与の一環で、同じ赤毛の人に簡単な事務仕事をするだけで高給を約束する。ただし仕事中は絶対に事務所を出てはいけない。この規則を破れば組合員の資格は即剥奪される。赤毛の質屋店主は「赤毛組合」の審査に見事合格する。しばらく組合に通い高給を貰っていたが、ある日、事務所に行ったら部屋はもぬけの殻で「赤毛組合」は跡形もなくなくなっていた。非常に不思議で奇妙な話だ。ここまでが話の前半の「奇妙な発端」である。探偵小説なのに殺人も盗難も何も「事件」は起こっていない。

そこで、私立探偵ホームズの所に相談に出向く。ホームズは質屋の店主の「奇妙な」話を聞き、いくつか質問しただけで、推理を働かせて「赤毛組合」の本意を見抜く。実は質屋の裏に銀行があり、質屋の地階から地下トンネルを掘削しての金庫破りの犯罪が人知れず進行していた。つまりは質屋の地階から地下トンネル掘削のため日中に店主を外出させたいために、「赤毛組合」の募集広告は質屋店員ら犯罪一味が仕掛けたものだったのだ。これが前半の「奇妙な発端」に対する「合理的解釈」の種明かしとなる。このように最後まで読み進めて、このラストが分かると、冒頭のモヤモヤした「奇妙な発端」の不可解さの本意が氷解し辻褄が合うため読者にうれしい読後の爽快感が強く残る仕組みなわけである。

また「話の構成・展開のさせ方」として、ドイルがホームズ・シリーズにてもう一つ常套なものに「事件由来の外部世界への遡及(そきゅう)」というのがある。現在進行形で発生してる事件は、実はイギリス以外のアフリカ、インド、アメリカの外部世界での事柄や、かなり時間を遡(さかのぼ)った過去の諸行が関係しているという遡及のさせ方の話展開である。目の前で起こってる事件が昨日今日に突然に降って湧いたインスタントな出来事ではなく、実はイギリス以外の遠い外国や、はるか昔の過去にまで因縁由来があるということで、話全体に非常な深まりと重みを与える効果がある。探偵小説において記述物語の事件そのものが軽くならない叙述の工夫である。

そして「キャラクターの立て方」もドイルは優れている。短編連作のシリーズ化にあたり、毎回登場するレギュラー陣の魅力的なキャラクター作りは作品を書き続ける上で非常に重要だ。ドイルはこれまた上手い。シャーロック・ホームズの独創的キャラ、ずば抜けた推理はもちろんのこと、変装の名人であったり、化学の実験マニアであったり、コカインの常習者であったり、日本の武道(「ジュージュツ」)の体得者だったり。

特にホームズ・シリーズを最初から通読すると気づく。ホームズが鋭い観察によって相手の出身や職業、当日の行動を即座に見抜く定番なやり取りが初期のホームズ短編には毎回ある。容姿や持ち物からわかる、観察のネタばらしをされたら何てことはない普通に類推推理できる事柄なのに、観察推理の過程を説明せずに読み取れる結論だけをいきなり言うので相手が非常に驚く。「ホームズさん、なぜ私が何も言わないのに分かったんですか!?」というように。この卓越した観察・推理で人を驚かせる一連のやり取りをドイルはホームズのキャラクター作りの要(かなめ)として、初期の頃から一貫してかなり意識的に、ほぼ毎回継続してやっている。だから、そうした容姿や持ち物の観察から初対面の人の生まれや職業や外国への渡航歴などを類推推理するパターンのネタのストックをドイルは日頃から努力して集めていたのだと思う。

最後に「シャーロック・ホームズの冒険」に収録の各話について。

「ボヘミアの醜聞」は、ポオの古典の名作「盗まれた手紙」(1844年)の延長にあるような話だ。すなわち、「意外な隠し場所」のパターンである。ウソの火事を演出して隠し場所を探るというホームズによる機転の策略だ。

「赤髪組合」は「奇妙な発端」の典型の傑作である。ホームズ連載初期のかなり早い段階から「奇妙な発端」のパターンを完璧に自分のものにしている。恐るべしドイル、やはり、この人は天才だ。また「赤髪組合」は、どこかユーモラスさもあって、組合加入の面接のとき、組合加入条件の赤髪がカツラではないか、地毛かどうか念のために髪の毛引っ張ってチェックするところが昔から笑いのツボで、私はいつも爆笑する。ついで「ぶな屋敷」も「奇妙な発端」のエピソードである。この話では昔から定番で引用される、「殺伐としたロンドンの都会の都市部よりも、田園のどかな田舎の方が陰惨な事件が起こっても人々は気づかないし、犯罪は隠されてしまう」云々のホームズの口上が秀逸だ。

「花婿失踪事件」と「唇の捻れた男」は、ネタばれで申し訳ないが、「一人二役」のトリック話である。前者は義父と婚約者の「一人二役」に極度に近視の新婦が全く気づかないところが少し与太話で馬鹿っぽい。後者は高収入で高所得者の夫の意外な「職業」の秘密と、夫が建物密室にて消失のトリックが「一人二役」というものだ。「唇の捻れた男」はシリーズの中でも上位にくる屈指の傑作だと思う。

「ボスコム谷の惨劇」と「オレンジの種五つ」と「花嫁失踪事件」は、いわゆる「事件由来の外部世界への遡及」な話だ。いずれもアメリカ、オーストラリアなど、イギリス以外での過去の出来事が事件に関係している。「オレンジの種五つ」の最後、脅迫犯らの船が遭難して沈没する因果応報なラストは、さすがに読後感がよい。

「青いガーネット」は盗んだ宝石の「意外な隠し場所」、英国人のクリスマス好き、気弱な犯人に対するホームズの激昂(げきこう)、ラストの警察とは異なる私立探偵なりの事件の処し方が読み所である。

「まだらの紐」は密室プラス動物利用のトリック殺人の話で、寝室の密室に、となり部屋からの換気口を利用し、蛇すなわち「まだらの紐」を使って毒殺する密室殺人のエピソード話である。この話を名作と高く評価する人が多いが、私はイマイチな感想である。だいたい第一の最初の殺人があったとき、蛇が噛んだ跡に誰か気づくとか、検死で蛇の猛毒が検出されることが普通はあるはず。それを「どんな分析試験にあっても見破れないですむ東洋仕込みの毒物」設定で無理矢理に強引に切り抜けるとは(苦笑)。だから、警察や検死官ら捜査関係者の誰も気づかず、ホームズの出馬にまでなってしまう。「まだらの紐」は「話が素朴すぎて初歩的すぎる」の感慨だ。

ここからしばらくはコナン・ドイルのシャーロック・ホームズの記事で。