アメジローのつれづれ(集成)

アメリカン・ショートヘアのアメジローです。

再読 横溝正史(36)「人面瘡」

「人面瘡」とは、以下のようなものだと言われている。

「人面瘡(じんめんそう)は、妖怪・奇病の一種である。体の一部などに付いた傷が化膿し人の顔のようなものができ、話をしたり物を食べたりするとされる架空の病気。薬あるいは毒を食べさせると療治するとされる」

横溝正史「人面瘡」(1949年)の概要はこうである。「『わたしは、妹を二度殺しました』。ある事件解決の折りに岡山と鳥取の境にある田舎の山奥の湯治場・薬師の湯に金田一耕助が岡山県警の磯川警部と投宿した際、金田一が遭遇した夢遊病の女性が、奇怪な遺書を残して自殺を企てた。妹の呪いによって、彼女の腋(わき)の下にはおぞましい人面瘡が現われたというのだ。そして妹の溺死体が発見された。妖異譚に科学的な解決と深層心理の解明を加えた金田一探偵譚の中編」。

いわゆる「人面瘡」を題材にしたミステリーやホラー話は昔からよくある。実際に人面瘡なる病があるのかどうか、私は知らない。だが、人面瘡に対して呪いのオカルト・ホラーではない、科学的な合理解釈で話の辻褄を合わせて結末を落とすとなると、身体の一部にできた腫瘍やアザが、たまたま目鼻がある人間の顔のように見えただけであったとか、もしくは人面瘡が勝手に話し出したりする場合、当人の精神作用の多重人格によるもので決着をつける古今東西の人面瘡トピックの話が多いようである。

横溝の「人面瘡」は確かに殺人事件が起きて劇中のある女性が、しかも彼女は夢遊病の病歴を持ち本人は気づかないままに、しかし当人の深層心理下の無意識に従って夜中にフラフラと夢中歩行し、時に殺人まで犯す疑いの状況のなか、「わたしは、妹を二度殺しました」という「同一人物を二度も殺す?」といった誠に不思議な告白までして、山奥の湯治場にて金田一耕助らが事件の解明に乗り出す話である。

(以下、人面瘡の正体や殺人トリックを明かした「ネタばれ」です。横溝の「人面瘡」を未読の方は、これから本作を読む楽しみがなくなりますので、ご注意下さい。)

横溝正史「人面瘡」は100ページ弱の中編であり紙数は決して多くないが、そうしたなかでも「人面瘡」という病の正体を科学的根拠から横溝が全くごまかすことなく書いて説明しており、その点がまずは読み所である。本作での横溝による「人面瘡」の合理的解釈といえば金田一いわく、

「戦後こういう記事が新聞に出たことがあるんです。あるところのお嬢さん…そのひとのわきの下に原因不明のおできができた。それで、お医者さんに切開してもらったところが、人間の歯や髪の毛が出てきたんですね。そこであらためて鑑定を請うたところが、そのお嬢さん、双生児にうまれるべきひとだったんですね。ところが、摂理の神のいたずらで、双生児のひとりがそのお嬢さんの胎内に吸収されていたんだそうです。それが生後二十何年かたって、歯となり、髪の毛となって、お嬢さんの体の一部から出てきたというんです」

つまりは、女性の腋(わき)の下に不気味に現れた人面瘡は、「本来は双生児にうまれるべき人で、双生児の一人が片方の胎内に吸収され結果、それが生後何十年か経って、歯となり髪の毛となって体の一部から出てきたもの」という実に科学的根拠に基づいた合理的なものであった。そうして自身は妹を殺害していないのに、あたかも「夢遊病中の無意識下にて、もしかしたら私が妹を殺したのかも」と不思議なほど強い罪悪感に彼女が苛(さいな)まれてしまうのは、実際に今回の事件で殺害された妹に対する罪の意識ではなくて、実は「人面瘡」として自身の腋下に現れた、本来は別々に生まれてくるはずであった自分の身体に吸収されたもう一人の、まだ見ぬ双子の妹に対する彼女の深層心理下の罪悪感に由来するものであったのだ。

また「人面瘡」での殺人の方法や現場不在証明(アリバイ)のトリックも、犯人の意外性があって面白い。女性殺害の犯人は老齢で身体が不自由で動けない宿の大女将(おおおかみ)の御隠居なのだが、金田一が指摘するように「人間を溺死させるには、なにも大海の水を必要としないのです。そこにある盥(たらい)いっぱいの水でも、十分に目的を達することはできる」のであり、川淵での溺死に見せかけて、実はたった一杯の盥(たらい)の水に顔を押しつけて室内にて溺死させ殺した。それから窓外の川に遺体を投棄し、川の激流に任せて遺体は遥か下流まで勝手に流され、ついには川渕にて溺死体となって発見される。当然「死体の移動」により犯行現場がズレて錯覚されているから殺害推定時刻に犯人の大女将の御隠居は遠方の屋内におり、しかも彼女は老齢で体力なく身体が一部不自由なため「まさか御隠居が犯人であったとは!」の驚きの意外性があるわけである。

そうした老齢で身体が不自由な大女将が若い被害者の女性の顔を耳盥(みみだらい)に不意に背後から押しつけ溺死させる絶好な犯行機会に恵まれたのは、被害者女性が眼病で眼を患(わずら)っており、日常的に盥に顔をつけ洗眼する習慣があったことによる。それは何よりも、「当地の山奥の湯治場が昔から眼病によく効くことで定評がある」の舞台設定にて、話の冒頭から丁寧に伏線を張る横溝正史の周到さによるものであった。

再読 横溝正史(35)「貸しボート十三号」

横溝正史「貸しボート十三号」(1957年)は、基本は陰惨・猟奇な殺人事件なのだけれど、なぜか読後にはさわやかな(?)読み味の余韻が残る不思議な探偵小説である。本作は名門大学ボート部を舞台にした金田一耕助が活躍する探偵推理であり、「学園もののカレッジ(大学)青春小説」といった感がある。話の概要はこうだ。

「隅田川の河口に浮いていた貸しボートの中で、豊満な肉体をレインコートに包んだ女性と裸の男の死体が発見された。女は絞殺された上で左の乳房を鋭利な刃物で抉(えぐ)られ、男は逆に首に紐(ひも)の跡を残しながらも心臓をひと突きされているのが致命傷であった。しかも、不審なことに二つの死体の首が、どちらも半分切られていたのだった。女は某省某課に勤める大木健造の妻の藤子、男はX大学ボート部のチャンピオン・駿河譲治ということが分かった。そして殺害現場が合宿のボート・ハウスであることも判明した。ボート部員を巻き込んだ『生首半切り擬装心中事件』と称される、この連続殺人の謎に金田一耕助が挑む」

貸しボートの中で男女の惨死体が別時刻にそれぞれ殺害されたにもかかわらず、あたかも同時に心中したように見せかけた殺人事件である。ボートの中はおびただしい血の海、しかも男女ともに生首を半分だけ切りかけの状態にて放置するという誠に陰惨・猟奇な殺人事件であった。本作タイトル通り、死体発見現場の「貸しボート」が「十三号」という不吉な数字であるのも、なるほど納得だ。

書き手の横溝は、「なぜか遺体の生首が半切り状態であること」の謎を本編記述にて異常に煽(あお)る。探偵推理小説の常識からして、おそらく犯人は遺体の身元を隠すために首を切り落として首なし死体にしようとしたのだが、何らかの事情で首切断作業を中止せざるを得なかっただけのことだろうと予測される。しかし、その事情が微妙に異なる所が何よりも本作の読み所である。実のところ「半分首を切断されかけた死体、頸部(けいぶ)をノコギリかなにかで引かれて、しかもまだわずかに胴体とつながっている男女ふたりの死体」というのは、「被害者の身元を隠すためではなくて、むしろ…」云々の殺害現場発見時を見越しての犯人による、あらかじめの誤誘導(ミスディレクション)策略という点が「貸しボート十三号」という作品の肝(きも)であり、話の面白さの源泉といえる。

そして、その複雑操作の死体処理の背後には「伝統ある大学ボート部の母校の名誉を守るため、同じ合宿所にて共同生活を送るボート部学生同士の友情やボート部員のある若者の挫折、部員の皆が好意を寄せる令嬢ヒロインへの献身」の青春群像が幾重にも絡(から)んである。実はこの点こそが、前述の「基本は陰惨・猟奇な殺人事件なのだけれど、なぜか読後にはさわやかな(?)読み味の余韻が残る不思議な探偵小説」に本作をするに至るのである。ゆえに探偵の金田一耕助が、事件関係者の皆が招かれた夕食会の席上にて、事件の全容を語って犯人が明らかにされる「最後の晩餐(ばんさん)」たるラストの場面は陰惨な「生首半切り擬装心中事件」の見かけにもかかわらず、どこまでも明るくさわやかで救いのある希望に満ちた結末なのであった。

このように事件の犯人が明かされても不思議とさわやかで明るい救いの希望があるのは原理的に言って、つまりは殺害された被害者の男女の方に大いに問題があるからであって、いわば「勧善懲悪」の筋書きだからである。実際、殺害したり生首を切り落とそうとした犯人よりも、殺害された男女二人の方が断然に「悪」であり、殺害した犯人の方は比較的「善」である。被害者には殺害されても致し方ない「身から出たサビ」の自業自得な印象が読んで私には正直、強く残った。

再読 横溝正史(34)「悪魔の降誕祭」

横溝正史の探偵小説には「悪魔」の冠(かんむり)がつく作品が多い。例えば「悪魔が来りて笛を吹く」(1953年)や「悪魔の手毬唄」(1959年)や「悪魔の設計図」(1938年)や「悪魔の家」(1938年)といった具合だ。そして本作「悪魔の降誕祭」(1958年)である。「降誕祭」とはクリスマス祭典のことだから、より平易に「悪魔の降誕祭」は「悪魔のクリスマス・パーティー」ともいえる。

「悪魔」と名がつく横溝作品にあって横溝正史が優れているのは「悪魔」に関し、物語中で誰が真の「悪魔」であるのか連続殺人事件の犯人や、さらにその犯人を背後で巧妙に操る黒幕人物たる「悪魔」の正体の意外性と、なぜその人物が「悪魔」たりうるのか「悪魔が他ならぬ悪魔である」理由の明確な説明が毎回あることだ。特に後者の「悪魔の理由についての説明」に関し、横溝は非常に優れている。探偵小説にて「悪魔」といっても横溝の場合、ただ単に何となく漠然と恐ろしい戦慄な「悪魔」のオカルト演出ではないのである。作中に出てくる「悪魔」は何となくの雰囲気演出ではなくて、反倫理的な出生の秘密や隠されていた悪徳罪業(あくとく・ざいごう)の過去、実は事件全体を背後にて操(あやつ)る黒幕的役割遂行や世間の人には知られていない人知れずの裏の性癖など、明白に「その人物が悪魔に他ならない」理由まで横溝は毎作、考えて律儀(りちぎ)に書いている。横溝正史は非常に優れており、優秀である。

人はあらかじめ自身の中で強く意識していないと、いざ実際にそのことを実践し遂行できない。横溝正史は「悪魔」のタイトルがつく作品を執筆する際には、いつも「悪魔の正体の意外性」と「なぜその人物が悪魔たりうるのかの理由」の二つの要訣を必ず押さえ事前に構想して意識的に毎回、書き抜いているに違いない。よって私たち読者は、横溝の「悪魔」のタイトル・シリーズを読む際には書き手の横溝の意図に沿って、作中にて「一体、誰が悪魔であるのか」と「その人物がなぜ悪魔といえるのか」の二つのポイントを意識して読み進めるべきであり、「悪魔」に関するそれら二点の要訣を味わって読むべきだ。

横溝正史「悪魔の降誕祭」のあらすじは以下である。

「昭和32年12月20日、金田一耕助が等々力警部の持ってきた事件の関係で外出しようとした刹那(せつな)、小山順子と名のる女性から相談の電話が入った。等々力警部の件を優先することにした金田一は、彼女に夜9時までに緑ヶ丘荘の自分のフラットに来るように伝える。しかし、等々力警部の件にだいたい目鼻をつけて、ジャスト9時にフラットへ戻ってきた金田一を待っていたのは、地味なスーツを着た女性の死体であった。自分に事件の相談に来た依頼人が自身の探偵事務所にて殺害されるとは私立探偵・金田一耕助にとって全くの手落ちであり、激しい屈辱である。それは犯人の『悪魔』からの堂々たる挑戦であったのだ。 緑ヶ丘荘管理人から女性が小山順子と名乗ったことや、所持品から小山順子は偽名で本名は志賀葉子であり、ジャズシンガー・関口たまきのマネージャーであること、さらに死因は青酸カリによる毒殺であることなどが判明する。彼女のバッグには新聞記事の切り抜き写真が残されており、その写真には関口たまき(本名は服部キヨ子)とその夫・服部徹也、ピアニストの道明寺修二、道明寺の知人である未亡人、上半身が切られた柚木繁子が写っていた。さらに殺害現場の壁の日めくりカレンダーは5日分が剥(は)ぎ取られて25日を示していた。つまり、それは犯人の『悪魔』による12月25日の『降誕祭』(クリスマス会)の殺人予告であった。また、その後の調査で服部徹也の前妻の加奈子も以前に青酸カリを飲んで死んでいたことが判明した。

そして25日当日、西荻窪の服部夫妻の家で新居披露のクリスマス・パーティーの最中に、たまきの夫・服部徹也が彼女の部屋で刺殺体となって発見される。発見したのは、たまきと道明寺修二で、二人はお互いを名乗るにせ手紙で、たまきの部屋におびき寄せられたこと、徹也はたまきの部屋と浴室の脱衣場に通ずる小廊下で背後から不意にナイフで刺され、絶命していたことが判明する。当初は、たまきと道明寺が疑われたが、脱衣場で徹也と話をしたという徹也の娘・由紀子とそれを目撃した女中の浜田とよ子の証言、たまきと道明寺の仲を嫉妬し疑って二人を監視していた柚木繁子の証言などから、たまきと道明寺の二人に犯行機会がないことが判明し、捜査は行き詰まる。それから一ヶ月後の1月下旬、たまきの家で彼女と道明寺の婚約披露の宴が催されたその席で、最後の惨劇とともに事件は一挙に解決する」。

「悪魔の降誕祭」の登場人物のうち、事件の捜査に当たる探偵の金田一耕助や等々力警部ら警察関係者、二つの連続殺人の被害者以外で、誰が事件の犯人たる「悪魔」であるのか。犯人の「悪魔」の可能性がある怪しい人物をすべて書き出してみると、 関口たまき(ジャズシンガー)、服部徹也(たまきの夫、第二の殺人にて刺殺)、服部可奈子(徹也の先妻、すでに故人)、服部由紀子(徹也と可奈子の娘)、関口梅子(たまきの伯母)、志賀葉子(たまきのマネージャー、第一の殺人にて毒殺)、浜田とよ子(たまきの弟子兼女中)、道明寺修二( ピアニスト、たまきの恋人)、柚木繁子(未亡人で道明寺の知人)

まず関口たまきが怪しい。たまきのマネージャー・志賀葉子が殺害される第一の殺人は青酸カリによる毒殺だが、たまきが現夫の服部徹也と以前に交際時には、徹也は既婚者で可奈子という妻がいた。だが、妻の可奈子は関口たまきに誠に都合がよい具合に、やがて青酸カリによる服毒「自殺」を遂げている。世間的には可奈子の「自殺」で処理されたが、服部徹也を自分のものにしたい関口たまきが青酸カリを混入して可奈子を毒殺した疑いも実は拭(ぬぐ)えないのだ。よって、志賀葉子の第一の殺人の犯人は関口たまきか!?加えて、今は服部徹也と夫婦になっていたが、ジャズシンガーの関口たまきは夫・徹也に内緒でピアニストの道明寺修二と陰で交際している。たまきにとって第二の殺人の被害者である徹也も、今では邪魔な存在であった。

服部徹也が邪魔な存在であることは、既婚者の関口たまきと極秘に交際している道明寺修二にとっても同様だ。道明寺修二にも殺害動機はある。第二の殺人にて、たまきと道明寺は、にせ手紙で殺害現場に呼び寄せられたことになっているが、関口たまきないしは道明寺修二が、にせ手紙を自分で書いて呼び出されたふりをした自作自演の可能性も否定できない。また未亡人であり、道明寺修二の知人である柚木繁子は密(ひそ)かに道明寺に思いを寄せている。彼女は、たまきと道明寺の交際に激しく嫉妬していた。何よりも第一の殺人で殺害された関口たまきのマネージャー・志賀葉子の所持品の中に上半身が切られた柚木繁子が写った新聞記事の切り抜き写真があった。柚木繁子は関口たまきのマネージャー・志賀葉子に何らかの秘密を握られ結果、彼女を殺害したとも考えられる。よって、殺人動機と状況証拠からして柚木繁子も怪しい。

その他の関係者、徹也と前妻・可奈子の娘であり、関口たまきと義理の母子関係にある一人娘の服部由紀子、たまきの伯母である関口梅子、たまきの弟子兼女中である浜田とよ子に関しても、殺害時刻に確固としたアリバイ(現場不在証明)がなかったり、彼女らの所持品がなぜか殺人現場近くに不自然に落ちていたりで、彼女らも疑おうと思えば果てしなく疑えるのである。連続殺人の犯人である「悪魔」は一体、誰なのか!?

(以下、犯人の正体を明かした「ネタばれ」です。横溝の「悪魔の降誕祭」を未読の方は、これから新たに本作を読む楽しみがなくなりますので、ご注意下さい。)

さて、二つの連続殺人にて実際に殺害された志賀葉子と服部徹也以外、全ての関係人物が犯人の「悪魔」の可能性がある非常に錯綜(さくそう)した事件である。真の「悪魔」は誰なのか。実は犯人の「悪魔」は何と、やがて十六歳になる可憐な娘の服部由紀子だった!ことし十六歳を迎える由紀子は、軽い顔面神経痛がある神経質で繊細な性格で、普段より演劇舞台のシナリオ執筆に熱中するなど文学的才能ある早熟な娘である。彼女は、実母・可奈子を捨てて関口たまきに走った派手な男女交際を繰り返す実父の徹也を嫌悪していた。徹也の新しいパートナー関口たまきも嫌悪していた。そろそろ思春期へ入っている由紀子にとって、父も母も憎悪の対象以外の何物でもなかったのである。かつ娘の由紀子は、たまきの財産を狙っていた。仮に事態がこのまま推移して、道明寺修二と交際中の義母の関口たまきは実父の服部徹也と離婚し、やがて道明寺と再婚するだろう。そうすれば自分は継母・たまきの財産を相続できなくなる。特に第二の服部徹也の殺人事件は巧妙な奸智(かんち)に長(た)けて、関口たまきに夫・徹也殺害の罪をなすりつけようとする由紀子による策略だったのだ。由紀子は金田一に「どの点からみても一点も同情する余地のない鬼畜性」をはっきり有していると言わしめる、「悪魔」たるに十分であった。

この見た目は「可憐な」十六歳の少女、服部由紀子が連続殺人の犯人というのは、後々「悪魔の降誕祭」の殺人事件の概要を振り返ってみると「なるほど」と合点(がてん)がいく。毎回、絞殺や撲殺や遺体がバラバラや遺体の顔面が毀損(きそん)など出来るかぎり派手な殺害を好む横溝正史の探偵小説である、時に華美な見立て殺人の趣向まで凝らして。それがどうしたわけか、今回の「悪魔の降誕祭」に限って青酸カリによる毒殺とか背後から不意討ちのナイフによる刺殺など、如何せん地味な殺害方法に終始している。これもまだ十六歳の「悪魔」、少女で力の弱い服部由紀子が実は犯人であることを遠回しに示唆する事件解明の伏線であったと読後には思えなくもない。

また第一の殺人の被害者、金田一耕助に事件の相談に行き、金田一の探偵事務所内で殺害された関口たまきのマネージャー・志賀葉子が所持していた新聞の切り抜きは、関口たまきや服部徹也、道明寺修二、上半身の切られた柚木繁子の新聞写真を金田一に見せたかったのではなく、実はその裏面にある「世田谷松原方面一体で犬の奇怪な集団中毒が発生」の新聞記事を金田一に読ませて志賀葉子は、今から起こるであろう殺人事件の相談をしようとしていたのであった。すなわち「犬の奇怪な集団中毒」というのが、服毒自殺を遂げた亡き実母・可奈子から「かたみ」として毒物を密かに譲り受けた娘の由紀子が、父の徹也と義母のたまきを近々毒殺しようとして、その予行演習のために近所の犬に青酸カリを飲ませ中毒にさせていたことに関口たまきのマネージャー・志賀葉子は気づいていたのである。近日中に徹也とたまき夫婦は娘の由紀子に毒殺される。その相談のために金田一の事務所に赴いた志賀葉子は、これまた葉子の行動を事前に察知した服部由紀子により金田一の事務所にて、葉子が常用の薬に由紀子が混入した青酸カリで毒殺されたのであった。

金田一耕助の推理によって連続殺人事件の犯人と指摘され悪行が露見した由紀子は、金田一ら衆人環視のなか自ら毒を飲んで自害した。「まったく恐るべき少女」であり、「悪魔の申し子」たる服部由紀子の最期は以下である。まさに「悪魔の断末魔」に相応(ふさわ)しい壮絶なラストの幕切れであった。

「由紀子はねじれた顔をいよいよひきつらせ、口からあぶくを吐きながら、『だれが…だれが…おまえなんかにつかまるもんか。…おまえなんかに…おまえなんかに…おまえなんかに…』それから由紀子はまるで、害虫に食いあらされつくしていた木が倒れるように、音もなく、ふわりと床のうえに倒れていった。これが悪魔の申し子のようなこの娘の最期だったのである」

横溝正史「悪魔の降誕祭」は、そこまで有名な人気作というわけでもなく、金田一耕助の探偵譚として世間的にはあまり広く知られていない作品なのかもしれない。だが、横溝の「悪魔」のタイトル・シリーズたるに相応しく、「悪魔の正体の意外性」と「なぜその人物が悪魔たりうるのかの理由」の二つの要訣を押さえ上手く創作されている。特に本作にての「悪魔の正体の意外性」は、ほとんどの読者が予測できず、初読時には多くの人が驚くのではないだろうか。

再読 横溝正史(33)「三つ首塔」

横溝正史「三つ首塔」(1955年)は「横溝の暗黒時代」と目される1960年代間近の連載長編であり、しかも本格の探偵推理雑誌「宝石」に掲載の作品ではないため(戦後の横溝は「宝石」に連載のものは力を入れた本格推理をしっかり書くが、「宝石」以外の一般誌にはあからさまに力を抜いた案外いい加減な通俗物を執筆提供する悪い癖があった)、「どちらかといえば出来の良くない横溝作品」というのが昔からの私の率直な感想だ。

戦後に私立探偵・金田一耕助を創出し、謎解きトリックの本格の探偵小説の傑作を次々と果敢(かかん)に世に出したが、やがて1960年代になると戦後に新しく出てきた論理的な謎解きトリックよりも現代社会との接点のリアリティを重んじる「社会派」の推理小説に押され、横溝のような昔からの本格志向の探偵小説の書き手は不人気で干(ほ)されになっていく。後に多数の横溝作品の映像化にて1970年代に「昭和の横溝ブーム」が再び訪れる以前の、いわゆる「横溝の暗黒時代」である。

本作「三つ首塔」も、そうした横溝の人気の陰(かげ)りの暗黒時代に突入前夜に執筆連載されたものだけに、確かに探偵の金田一耕助と等々力警部のいつものコンビは登場するものの何だか横溝の筆の迷いが感じられる通俗長編の悪印象が一読して残る。この時代の横溝は、世間的には社会派の推理小説が大人気であり、自身が以前に書いてきた伝統的な本格の探偵小説が世間ウケしないことを(おそらくは)知っていて変に腰が引けて妙に遠慮して、もはや金田一ものであっても練りに練ったトリック趣向の本格の探偵小説は書けないのである。それで迷いに迷って中途半端な風俗小説のような通俗長編を時に書いてしまう。

横溝正史「三つ首塔」の話の概要は以下だ。

「宮本音禰(みやもと・おとね)は、13歳のときに両親を亡くし、伯父の某私立大学文学部長で英文学者である上杉誠也にひきとられた。 昭和30年9月17日、音禰は、遠縁に当たる佐竹玄蔵・老人の百億円に近い財産を、高頭俊作という見知らぬ男と結婚することを条件に譲られることになっていることを告げられる。その1ヵ月後の10月3日。上杉伯父の還暦祝いの夜に、連続殺人の最初の事件が起こる。その連続殺人事件は、玄蔵老人が、かつて死に追いやった2人の男と自らの合せて3人の首を供養するために建てたという供養塔『三つ首塔』に起因していた」

本作記述は主人公の宮本音禰が語る一人称表記である。自身の幼少の記憶の中にかすかにある日本のどこかに実在する、今回の一連の連続殺人事件のカギとなっている三人の死者の首を模して祀(まつ)ってある供養塔「三つ首塔」の前に立ち、この因縁の場所に至るまでの自分の波乱な数奇の出来事の連続を彼女が語り出すのであった。

本作についての定番評価で「推理小説とメロドラマの融合を試みた作品」というのが昔からあるが、なるほど、そうした読み心地の内容である。トリック重視の本格の探偵小説とは程遠く、男女の肉欲や同性愛や特殊な性的嗜好趣味(SMやハプニング・バーなど)が入り交じる風俗小説である。この事件に巻き込まれる以前は、良家の世間知らずな品行方正な清楚な箱入りのお嬢様であった主人公の宮本音禰が、誠に気の毒なまでに肉体的にも精神的にも女として堕(お)ちていく。こうした長編小説を楽しんで読める読者層とは一体、どういう人達であろうか。良家の清楚な子女を背徳の罠に陥(おとしい)れたい邪悪な欲望を密(ひそ)かに隠し持っている女性調教願望(?)に苛(さいな)まれている仮面の紳士か。もしくは逆に、本作の主人公・宮本音禰と同様な境遇の清純な良家のお嬢様が、「もし彼女が自分だったら!」と危険な背徳の妄想をしながら感情移入してハラハラドキドキで読み進めるのだろうか。

「ある日、突然、音禰は遠縁に当たる佐竹玄蔵老人の百億円に近い財産を、高頭俊作という見知らぬ男と結婚することを条件に譲られることになっていることを告げられる」。見知らぬ謎の男、高頭俊作と結婚しなかった場合、音禰は百億円の遺産を相続することはできない。彼女は遺産相続の権利を失ってしまう。また不幸にも(!)、仮に宮本音禰ないしは高頭俊作の当事者が亡くなった場合には、残された佐竹家の人々の間で百億円の遺産は等分される。もちろん、残された親族の人数が少なければ少ないほど一人分の相続額は増えるわけである。最悪、自分以外の遺産相続権利者が全員亡くなってしまえば百億の遺産は独り占めできるわけだ。そうして「高頭俊作」を始めとして、音禰の周りの佐竹家の人々が次々と何者かに殺害されていく。しかも、肝心な殺害犯行時刻に当の音禰は毎度、謎の男に連れ回され、夜の都会の怪しい会員制の秘密の風俗会合に案内されその度に堕落して、このため「犯行時刻にどこにいたか」家族や警察に真実を告げられず、現場不在証明(アリバイ)が出来ず、かつ毎回、殺害現場に行った覚えはないのになぜか彼女の所持品が現場に残されてあるという犯人の周到さである。

「三つ首塔」を初読の際、多くの人は今回の連続殺人犯人の正体とその殺人動機を見抜くことはなかなか難しいのではないか。それほどまでに犯人は見事な「盲点」となっており、殺人動機もなかなか推測しにくいものだ。

横溝正史「三つ首塔」は横溝作品の中でも過去に割合よく何度も映像化されている。テレビドラマによくなっている。私はいずれの「三つ首塔」のドラマも未鑑賞なのだが、機会があれば視聴してみたい。それにしても原作に忠実に映像化するとなると、「三つ首塔」の主人公・宮本音禰にキャスティングされ演じる女優は肌の露出が多すぎて大変だ(笑)。

再読 横溝正史(32)「殺人鬼」

横溝正史「殺人鬼」(1948年)は金田一耕助が登場する金田一シリーズの初期短編であり、「殺人鬼」という大してひねりのない凡庸タイトルに不思議と符合するかのように「いかにもな探偵小説の基本の型。探偵小説とは、このように書くものだ」の見本の典型話の印象が私には強い。

敗戦直後に執筆連載されたもので、話の設定も敗戦後の世相の混乱、当時の人々の人心荒廃、戦地への軍事動員(出征)とその後の復員の悲劇を踏まえたものとなっている。しかし、そうした敗戦後の社会色が強い話ながら、昨今のストーカー殺人を連想させる現代風なストーリーでもある。

横溝正史「殺人鬼」のおおよその、あらすじはこうだ。

6人もの女性を殺した連続「殺人鬼」が世間で騒がれているある晩、会合で帰りが遅くなった推理作家の八代竜介は、駅から吉祥寺の家に向う途中、美しい女性から家の近くまで同道を頼まれる。八代は夜道の一人歩きは不安だということで、その女性を自宅まで送り届けるが、彼女は「殺人鬼」を連想させる黒い外套と黒眼鏡に義足を付けた男に後をつけられていたようだった。その一週間ほど後の夕方、八代の家にその女性、加奈子が飛び込んできた。義足の男に付きまとわれたのだという。加奈子が語るには、義足の男は出征前に一晩だけ共に過ごした彼女の戸籍上の夫・亀井淳吉だという。亀井の出征後、加奈子は空襲で家を焼かれ、亀井の親戚筋の賀川家に世話になるうちに亀井のいとこの賀川達哉と恋仲になり、二人で大阪から東京に出て事実上の夫婦となった。やがて終戦後、復員した亀井は加奈子を探し当て復縁を迫ったが、加奈子が拒否したため、それ以来、亀井は加奈子を付け回し始めたというのである。そして数日後、加奈子は襲われ夫の賀川は何者かに惨殺されていた。記述は、探偵小説家たる主人公の八代竜介を語り手としてストーリーが進行する。私立探偵の金田一耕助は話の後半で出てくる。

本作の読み所は数多い登場人物のなかで誰が本当の「殺人鬼」であるか、ということだ。前述のように「いかにもな探偵小説の基本の型。探偵小説とは、このように書くものだの見本の典型話の印象」であり、およそ探偵小説を読み慣れている人ならば初読時でも前半の中途で誰が「殺人鬼」の真犯人であり事件の黒幕か、だいたい分かる(笑)。「殺人鬼」は黒い外套と黒眼鏡という半(なか)ば変装完了の風貌で、いつも義足のコトコトという無気味な足音を響かせながら毎度、これ見よがしに目立って派手に登場するのであった。

そうした「殺人鬼」の容姿と服装は、本文中の横溝の記述を引用すると以下の通りである。

「その男は黒い帽子をかぶり黒い眼鏡をかけていた。それから黒い外套(がいとう)を着て、なんの木だか知らないけれど、太いステッキをついていた。片脚が義足らしく、歩くたびにコトコトと無気味な音を立てた」

この描写記述と角川文庫版の杉本一文の表紙カバーイラストとを引き比べて見ると面白い。おそらく杉本は横溝の小説を読み、作中の「殺人鬼」の文章を踏まえて相当に正確に「殺人鬼」の風貌をカバー絵に描いているに違いない。

再読 横溝正史(31)「仮面舞踏会」

横溝正史「仮面舞踏会」(1974年)は何度か読んでいる。既読で犯人は知っているが、それでも読み返して面白い。本作の肝(きも)は、「犯人の意外性」と「犯人露見の決定的証拠」である。前者の「意外性」はヴァン・ダインの小説のようでもあり、後者の「決定的証拠」はディクスン・カーの小説のようでもある。ゆえに本作は本格の読みごたえがある。

タイトル「仮面舞踏会」とは、「人世は仮面舞踏会みたいなもんだ。男も女もみんな仮面をかぶって生きている」という本文記述から来ている。事件の解決には探偵の金田一耕助が登場して活躍する。本作は600ページに近い長編であるが、「犯人の意外性」と「犯人露見の決定的証拠」とを、特に後者の「犯人露見の決定的証拠」は誰もが否定できず「××が犯人」と納得せざるをえない「科学的証拠」であり、ゆえに「決定的」である。おそらく横溝は、それら二つを最初から決めて書いているに違いない。話の前半から、軽井沢にて「××がゴルフというものを見たい…ゴルフ・コースをまわってみたいなどとダダをこねて」云々の伏線を周到に各所に張っており、あらかじめの犯人示唆の筆致は随所に強く感じられる。その他、「蛾(が)の鱗粉(りんぷん)」「マッチのパズルのメッセージ」「『A+Q≠B+P』(AプラスQはBプラスPに等しからず)の方程式メモ」の小道具が印象深く、横溝「仮面舞踏会」は小物使いが特に優れているの感想だ。ラストでの犯人と金田一耕助の対決も、よくできている。

以前に角川映画にて映像化されていたが、山村正夫「湯殿山麓呪い村」(1980年)という当時すでにベテランの書き手であった山村正夫が明らかに横溝正史を意識して、「今の時代、探偵推理をこのように書けば絶対に売れる」と暗に説き示すようなわざと売れ筋のヒットを狙って書いた、なかば公然と「横溝の探偵小説パロディ」な良作が昭和の「横溝ブーム」の最中にあった。事実、山村の「湯殿山麓呪い村」は、それまで比較的マイナーな出版社刊が多かった氏の一連の仕事の中で例外的に大手の角川書店から出され角川映画にまでなって、山村正夫の代表作になったのであった。横溝の「仮面舞踏会」を読み返すたび、なぜか私は山村「湯殿山麓呪い村」の犯人をいつも思い出してしまう(笑)。

本作は過去に探偵雑誌「宝石」にて連載、しかし一度中断・休止して、後に横溝が角川書店「野生時代」に連載再開し作品を完成させた。「仮面舞踏会」が最初の「宝石」連載時に横溝担当で原稿を横溝邸に取りに行っていた当時の「宝石」編集長・大坪直行による、その時の横溝とのやり取りを記した文章が大変に面白いので少し長いが最後に引用しておこう。朝から深夜まで一日中、心身をすり減らしてアイデアを捻(ひね)り出し創作に奮闘する探偵小説家・横溝正史の日常の姿が、そこにはあった。

「この作品『仮面舞踏会』にしても、舞台は軽井沢で、いかにも社会派の作家がとりあげたい場所だが、元華族を中心とする主従観念の強い人物設定や冒頭の台風での豪邸の描写、二人の若い心中行など、さすが横溝正史ならではの盛り上げを示している。
それはともかく、第一回、第二回、第三回と原稿をもらう度に私は、内心『してやったり』とほくそ笑んだものであった。ところが、この原稿には全く苦労した。なにしろ、四十枚近くの原稿をもらうのに一週間は経(かか)るのである。
先ず、早朝に門を叩くのだが、もちろん出来ていない。夫人が出て来られて『十時に取りに来てください、と言っておりますので…』これが第一ラウンド。
第二ラウンドは午前十時の約束の時間である。ややどす黒い顔色で決して健康体とはいえない横溝正史が和服姿で玄関先に現われる。『やあ、すまん。まだなんだよ…』『で、何枚ぐらい出来ているんですか』『ペラで二十枚は出来ている』『先生、ちょっと見せていただけませんか。原稿用紙を見ませんと不安で…』『悪魔の手毬唄』の時もかなり苦労しただけに申訳けないとは思ったが、必ず見せてもらうことにしていた。『じゃあ、上がりたまえ』…十畳ほどの和室の真ん中あたりに座り机がある。その机の周囲は原稿用紙や資料本で散らばり、足の踏み場もない。そこから横溝正史は書きかけの原稿用紙を、とりあげ見せてくれるのである。しかし、見せてはくれるが、もらえないのである。『夕方の六時に来てください。そうすれば半分(二十五枚)は渡せると思います…』
さて、ここから第三回ラウンドに入る。夕方の六時ジャストに私は玄関のドアを開ける。午前十時にペラで二十枚出来ていたわけだから、間違いなくその倍近くは出来ているにちがいない。ところが、この第三ラウンドで原稿をもらえることはまずなかった。『渡せないこともないが、午前一時まで待って欲しい。一時には必ず…』とくる。そう言われれば一言もない。
私は午前一時ジャストにまた玄関のベルを鳴らす。第四ラウンドである。すると、夫人が出て来て申訳けなさそうに『どうぞ、お上がりください』と言う。どうも様子が違う。まあ、進行状況があまりかんばしくないんだな、と察しがつくのだが、事実は、そんな生やさしいものではない。書斎に行ってみると、午前十時の時の原稿用紙とその後書き加えた用紙とが無残にも屑籠(くずかご)の中に放り込んであり、新しく書き出した原稿が申訳けなさそうに机の上に数枚あるだけであった。
まあ、こういった状態が一週間近く続き、その回の原稿がもらえるわけだが、私は原稿をもらうたびに、髪はボサボサの和服を着た横溝正史が、ある時は熊のように廊下を行ったり来たりしながら考え歩む姿を思い浮かべていた。つまり、それほどまでこの作品に対して、横溝正史は情熱を傾け全力投球をしていたわけである」

再読 横溝正史(30)「病院坂の首縊りの家」

横溝正史「病院坂の首縊(くびくく)りの家」(1978年)は「金田一耕助・最後の事件」のコピーが付いて、最初に迷宮入り事件を置き二十年後にそれが解決をみる上下二巻の壮大な長編である。ゆえに本作品は全二部構成で長い。読むのに骨が折れる。そういえば、横溝の「病院坂」は映画になって映像化されている。市川崑監督による石坂浩二が金田一耕助に扮する映画シリーズの最終作、シリーズ完結作である。だから「病院坂」は、映像化され映画になっているので市川の金田一映画は重宝する。

内容は横溝「悪魔が来りて笛を吹く」(1953年)にも匹敵するドロドロで性倒錯のタブーな話である。以下、市川版映画の内容に沿って話を進めると、劇中でいえば萩尾みどりは自分の母親と父親、いわゆる「自身の出生の秘密」を知ったら、そりゃ驚くだろう。しかも法眼病院の主人と現在交際中で、その間に二人の子どもがいて(あおい輝彦と桜田淳子)「法眼の正妻の佐久間良子が、まさか自分の××とは」「しかも佐久間良子の娘と萩尾みどりの娘が桜田淳子の一人二役でウリ二つで、兄のあおい輝彦が兄弟なのに妹の桜田淳子に求愛して」など今書いている時点でも話が入り乱れ私は混乱しているが、「実際にこんなことはありうるのか」と思わず半畳を入れたくなるようなスゴい話だ(笑)。

最初の写真館になぜか廃屋での婚礼写真の出張撮影依頼があって、焦点か合わない失神した不気味な花嫁と怒りっぽい花婿の記念撮影、それで後日現場に行ったら「人間の生首の風鈴が」というドイルのシャーロック・ホームズばりのインパクト大で衝撃的な「奇妙な発端」から始まるところ、これを映画の映像で実際に視角的に見せる趣向が、まずは横溝の「病院坂の首縊りの家」映画化の成功要因であると私は思う。この奇妙さ、不気味さで一気に映画本編の話に引き込まれる。話の流れ上、本編オープニングから流れるジャズもモダンで洗練されていてよい。

さらに映画でいえば、あおい輝彦が演ずるヒゲもじゃの強引な兄の役が、実は法眼家の過去のある人物に容姿から性格まで似ているところがミソである。あと第一の殺人現場に案内された容疑者が、実は以前にも犯行で現場を訪れているため、初めて事件現場に来たように装(よそお)いながら刑事の案内誘導なく、たくさんある部屋の中から死体がある部屋のドアを自分から躊躇(ちゅうちょ)なく一発でごく自然に開ける。金田一は、その動作を見て「この人が犯人」と第一の殺人の直後に犯人が分かってしまうわけだが、話の都合上、冒頭から「あなたが犯人ですね」と名指しして問い詰めないところが探偵推理のミステリー話たる所以(ゆえん)である。探偵の冴(さ)え渡る推理で早い段階に犯人を明かして連続殺人事件を未然に防ぐのは話の都合上、盛り上がりに欠けるわけで。探偵は「名探偵」でなく、文字通り「迷探偵」で犯人にさんざん連続殺人をやらせた上で最後の最後に犯人明かしをしないと探偵推理のミステリーとして話が盛り上がらないわけで。そういった意味でいえば、いつも犯人に連続殺人を許して最後の最後で犯人が分かってしまう金田一耕助は、「まさに探偵小説にふさわしい迷探偵である」といえる。

本作「病院坂の首縊りの家」以外でも金田一長編にて、いつも金田一耕助は犯人にさんざん思う存分、連続殺人を許した後に最後の最後でやっと真犯人が分かるので、「早期の発見推理にて事前に犯人を言い当てられない金田一は無能な探偵」の金田一耕助批判をやって本気で怒る人が時々いて正直、私には信じられないほどだが、そういう人は探偵小説の趣旨そのものを分かっていない。無粋(ぶすい)で野暮(やぼ)な人である。繰り返して言うが、探偵の冴え渡る推理で早い段階に犯人を明かして連続殺人事件を未然に防ぐのは盛り上がりに欠けるわけで、話の都合上、冒頭から「あなたが犯人ですね」と名指しして問い詰めないところが探偵推理のミステリー話たる所以である。

映画キャストでは、桜田淳子の一人二役、市川版の映画「犬神家の一族」以来の、あおい輝彦の再登場、探偵助手の草刈正雄の三枚目ぶりで彼と石坂・金田一とのやりとりが見ものだ(原作の「病院坂」には草刈の探偵助手の役はない)。冒頭と最後の横溝正史本人と夫人の出演は愛嬌(あいきょう)というか、横溝ファンへのサーヴィスである。横溝正史は結構、目立ちたがりで出たがりなところがある。

市川崑監督による金田一シリーズは映像化された幾多の金田一探偵譚の中でも特に優れており、連続して観ていると石坂浩二の金田一以外にも常連キャラクターの楽しみがある。例えば、加藤武のずっこけ警部。粉薬を吹いて「よおっし!わかった、犯人は××」でポンと手を叩く短絡的なトンデモ推理に、周りの人が「はぁ?」となるコメディ・リリーフなところとか(笑)。坂口良子は今回出るのか、毎回登場の草笛光子、三木のり平、常田富士男は今度はどんな役をやってくれるのか。ついで三木のり平の奥さん役で出る無愛想な裏方スタッフのおばさんも毎度気になるわけで。しかしながら、市川版金田一シリーズ映画を総括してのMVP級の影の最大功労者は大滝秀治で決まりだろう。

大滝秀治は一作目「犬神家の一族」(1976年)の神官のときは、まだおとなしい。次作「悪魔の手毬唄」(1977年)の死体監察をした町医者になると、だんだんコツをつかんでくる。さらに三作目「獄門島」(1977年)の分鬼頭の主人の長セリフで、やや爆発。四作目「女王蜂」(1978年)の風邪引き弁護士で中爆発。そして、この最終作「病院坂の首縊りの家」(1979年)の定年間際の巡査で秀治は大爆発。昔の事件調書を見て「わしの字だ、こりゃー」←(笑)。もうね、観ている方は作品を重ねるごとにエスカレートしていく大滝秀治のハジけっぷりに大爆笑なわけである。

映画「病院坂の首縊りの家」の最後は、佐久間良子を乗せた人力車が病院坂の下まで下って行き、佐久間は車の中で静かに絶命する。人力夫の小林昭二が頭(こうべ)を垂れてハラハラと涙を落とす。それを病院坂の坂の上から石坂浩二の金田一耕助が悲しく見つめている。金田一はこの後、アメリカに旅立って消息不明。まさに「金田一耕助・最後の事件」に、ふさわしい幕切れである。

再読 横溝正史(29)「探偵小説五十年」

横溝正史のエッセイ集は生前、没後に渡って数冊出ている。「探偵小説五十年」(1972年)や「探偵小説昔話」(1975年)の、最初の方のエッセイ集はそれなりに意義ある話もあって読んで面白いが、自身の遍歴や日常雑感を連続して書いていくと中途で息切れし主要なエッセイ語りのネタがなくなるのか、最後の方に出されたエッセイは「熱烈な横溝正史ファンでなければ、一般人がこれを読んでも」とか、「あーこれは読むべきではなかったな」といった「内容があまりにも特殊個人的な事柄すぎる」微妙な読後感が残ってしまうものも正直ある。例えば「金田一耕助のモノローグ」(1993年)や「横溝正史自伝的随筆集」(2002年)だ。少なくとも私はそう感じた。

横溝正史のエッセイにて私が強く関心を寄せられるものの一つに、江戸川乱歩を始めとして小栗虫太郎や水谷準や海野十三ら探偵小説の推理ミステリー畑の同業作家との交友エピソードがある。これは横溝のみならず乱歩のエッセイでも同様で、そうした同時代作家たちとの交流の話は読んで非常に面白く大変に興味深い。横溝による乱歩の代筆の暴露、いわゆる「代作ざんげ」の話。横溝と小栗とのピンチヒッター因縁、おでん屋で酒を飲んでの二人のやり取り。夢野久作が上京の際に福岡の土産(みやげ)を乱歩らに配りまくる意外に社交的で常識人であったエピソード。渡辺温が谷崎潤一郎宅に原稿依頼に行った帰りに事故で亡くなり、谷崎が責任を感じて雑誌「新青年」の連載を引き受ける話。横溝と乱歩が葛山二郎と蒼井雄に探偵小説家専業や新作執筆を勧めるも彼らは腰が引けていた話など。

晩年の横溝正史の姿を収めたものに「NHK映像ファイル・あの人に会いたい・作家・横溝正史」(2009年)というインタビュー作品があった。現在でもNHKアーカイブスで視聴できる。これは1975年に行われたインタビューで横溝が73歳、亡くなる六年前の最晩年の映像であり、カラー映像での実際に動いて語る横溝正史が見られるのだから貴重だ。「カラー映像での実際に動いて語る横溝正史」といえば、市川崑監督、石坂浩二主演の金田一耕助シリーズ映画「獄門島」(1977年)予告編や「病院坂の首縊りの家 」(1979年)本編に横溝本人が出てきて、横溝の素人棒読み演技が見れたりするのだけれど(笑)。横溝は案外、目立ちたがりで出たがりな人であった。

「NHK映像ファイル・あの人に会いたい・作家・横溝正史」の概要は以下だ。

「『探偵小説は謎解き遊びの文学である』。ミステリー探偵小説の巨匠・横溝正史。名探偵・金田一耕助が大活躍するシリーズは五千万部を突破。横溝は日本における本格的な探偵小説というジャンルを確立した。戦時中、探偵小説は禁止され横溝にとって厳しい時代が続いたが、戦後になると堰(せき)を切ったように『本陣殺人事件』『獄門島』『八つ墓村』とベストセラーを連発し、世に横溝ブームを巻き起こした。昭和30年代になると社会派推理小説が一世を風靡(ふうび)するが、横溝はあくまでトリックを重視する探偵小説にこだわり続けた。その探偵小説への熱い想いが語られる」  

NHKは横溝本人に「本陣殺人事件」(1946年)の冒頭の一節をわざわざ朗読させる。横溝は朗読が下手である(笑)。文章記述の上手な作家がインタビューや講演で語ると、早口や吃(ども)り気味や発音不明瞭の話し方が下手で驚くケースは実際よくある。父が岡山の人で本人は神戸の生まれ育ちなためか、映像で実際に見る横溝正史は広島弁と関西弁が混ざったようなイントネーションの語りだ。「横溝は主に関西人が入った典型的な西日本の人」といった印象を私は持った。そして、この人は以前に肺結核の病気をやっているにもかかわらず、インタビュー中もしきりにタバコを吸うのだ(笑)。ヘビースモーカーな横溝正史である。

番組にてナレーションと聞き手が横溝正史の経歴を振り返る。戦時中は探偵小説が欧米文学の敵国文化であり、検閲制限され探偵小説を執筆できなかったことから、敗戦後に「さあ、これからだ。今まで書けなかった本格推理の探偵小説を思う存分書いてやろう」と気持ちを新たにし、私立探偵・金田一耕助を創作して傑作を果敢(かかん)に世に出した横溝であったが、日本の戦後社会が敗戦を脱し高度成長の時代に入る昭和30年代の頃になると、横溝のような旧来の探偵小説の正統な書き手は失速して一時的に不人気になる。犯罪の影に潜む社会的背景を重視する、いわゆる「社会派」の推理小説が好まれ読まれるようになっていくのである。まさに「昭和30年代になると社会派推理小説が一世を風靡する」のであった。そうした社会派ミステリーのリアルなタッチが好まれる中、探偵小説は時代遅れのものと見なされ、横溝は一時期、休筆する。しかしその後、横溝正史の復活の大躍進が始まる。昭和46年から「八つ墓村」(1951年)を始めとした作品が角川文庫に入り圧倒的な売れ行きを示して、角川文庫は次々と横溝作品を刊行する。と同時に横溝作品が映画やテレビドラマにて続々と映像化される。いわゆる「昭和の横溝ブーム」の到来である。聞くところによれば、1974年で角川文庫版の著作が300万部突破、1975年で角川文庫の横溝作品が500万部突破、1976年で角川文庫の横溝作品が1000万部を突破、そして1979年には角川文庫の横溝作品は4000万部を突破したらしい。

戦後、しばらくして社会派の推理小説の台頭にて不遇の時代であっても、探偵小説に邁進した横溝正史。「横溝はあくまでトリックを重視する探偵小説にこだわり続けた」。そんな探偵小説家を生涯に渡り貫いた横溝は、探偵小説と推理小説との違いを聞かれて、

「探偵小説は、あくまでも遊びの文学、謎解きの遊びの文学。推理小説は、もう少し社会に密着している。我々は『これがトリックだ』とトリックを振りかざすが、推理小説の作家は、どうもトリックが恥ずかしいんじゃないかと思うね。ごくさりげなく書いてしまう気がします。…別に推理小説の呼び方に抵抗を感じるわけではないけれど、私は探偵小説と呼ばれた方が自分らしくっていいですね」

推理小説と違って、「探偵小説は、あくまでも遊びの文学、謎解き遊びの文学である」とする横溝の定義は至言だ。さらに「昭和の横溝ブーム」の世評人気の現状、聞き手の言葉を受け、横溝は「最近は雑音が多すぎましてね。しかし最近は、またトリックの鬼になろうとしてます」。推理小説ではなくて探偵小説、あくまでも謎解き遊びのトリック重視であり「トリックの鬼」、否(いな)、どこまでも「探偵小説の鬼」たる横溝正史なのであった。

再読 横溝正史(28)「髑髏検校」

よく知られているとおり、横溝正史「髑髏検校(どくろけんぎょう)」(1939年)はブラム・ストーカー「吸血鬼ドラキュラ」(1897年)の翻案小説だ。以前に都筑道夫との対談で、執筆時にベラ・ルゴシの映画「ドラキュラ」(1931年)はご覧になっていたのですかの質問に、横溝は「見ていませんでした。しかし、評判は知っていました。水谷(準)君から本を送られて初めて『ドラキュラ』を知ったといういうんじゃなかったかな。…あの膨大な原書を全部読んだわけではなくて、もう三分の一ぐらい読んで、だいたいわかった、というので(笑)」云々の日本版「ドラキュラ」たる「髑髏検校」創作時の裏話があった。

横溝「髑髏検校」は探偵推理ではなく、「横溝草双紙」体裁のホラーな怪奇小説である。近代モダンな探偵小説ではなく近世は江戸の時代設定であり、「南総里見八犬伝」の読本(よみほん)風味で勧善懲悪、因果応報に怪奇のケレン味を加えた感じだ。本家「ドラキュラ」はキャラクター設定の着想アイデアは誠に斬新・新奇で冴(さ)えてはいるが、原本は冗長で退屈である。映像化されたテレビドラマや映画にてのドラキュラでも同様だ。横溝が述べているように、「(長い原作を)もう三分の一ぐらい読んでだいたいわかった」云々の元ネタ借用の「軽くつまむ」感触を私はそれとなく理解できる。

本作「髑髏検校」は、著者の「人形佐七捕物帳」シリーズの読み味に似ている。横溝の人形佐七ファンならびに、その他の時代小説が好きな人なら読んで気に入るのではないか。横溝は時代物を書く際にも舞台はあくまで近世江戸だが、綿密な時代考証や史実に絡めた厳密な史料設定なく、ただ舞台を江戸にして時代物として書き抜くだけだ。そうした時代物特有の、ともすれば著者だけの自己満足になりがちな説明説教くさい歴史蘊蓄(うんちく)の披露なく、面倒な考証的こだわりがなく話の筋運びの面白さに傾注している所が逆に歴史に明るくない時代物を読み慣れていない私にもサラリと読めて楽しめる。本作は、まず「豊漁の房州白浜沖で上げられた鯨(くじら)の腹から出てきたフラスコに入った長い書状が契機となって」という話の発端が面白い。舞台も長崎から江戸へ、登場人物も多く人物間の相関関係もなかなか複雑で十分に読ませるものがある。

角川文庫の横溝正史全集は、私が確認する限り古いものの巻末解説は多くが中島河太郎である。昔の角川文庫の横溝正史集を連続して読んでいて毎回、中島の巻末解説には感心させられる。この人は読んでタメになる作品情報の詳説とともに、探偵小説「ネタばれ」の禁を犯さない。そして、たとえ横溝の作品が時に凡作や駄作であったとしても、あからさまに批判的で作品を否定するような批評解説は決して書かない。そうした所が中島河太郎の探偵小説批評は毎回、優れている。

最後に、角川文庫版の横溝正史「髑髏検校」巻末に付された中島河太郎の名解説の一部、本作の概要を記した中島の密度濃い名文を引用しておこう。

「『髑髏検校』は房州の沖で捕れた鯨の胎内から現われた書き付けが発端となっている。その内容は言論に絶する怪異を纏綿(てんめん)と綴(つづ)っていた。嵐に遭(あ)って島に打ち上げられた主従は、狼をにらみすえる上臈(じょうろう)に案内され、異形の人物に面接する。どうやら主従を饗応(きょうおう)したのは、夜ごと墓の奥から抜け出す幽鬼のたぐいであって、その首魁(しゅかい)の髑髏検校は江戸に上って何かを画策しようとするのだ。将軍家の姫君・陽炎(かげろう)姫が次第に血の気を失っていき、姫に仇なす検校に対して、対策に腐心するのが鳥居蘭渓である。検校の眷属(けんぞく)に狼、蝙蝠(こうもり)があれば、蘭渓の隆魔の利剣は花葫(にんにく)であった。この暴虐無惨な吸血鬼の跳梁(ちょうりょう)ぶりに接して、例のドラキュラを思い浮かべる読者もあるだろう。たしかにブラム・ストーカーの古典的作品『ドラキュラ』にもとづいて、舞台を江戸へ移したものであった」

再読 横溝正史(27)「悪魔の手毬唄」

横溝正史「悪魔の手毬唄」(1959年)の概要は以下だ。

「岡山と兵庫の県境、四方を山に囲まれた鬼首村(おにこべむら)。たまたまここを訪れた金田一耕助は、村に昔から伝わる手毬唄の歌詞どおりに、死体が異様な構図をとらされた殺人事件に遭遇した。現場に残された不思議な暗号はいったい何を表しているのか?事件の真相を探るうちに、二十三年前に迷宮入りになった事件が妖しく浮かび上がってくるが。戦慄のメロディが予告する連続異常殺人事件に金田一耕助が挑戦する本格推理の白眉(はくび) 」

この作品は探偵小説の筋書きが非常によく出来ている。要するに探偵推理として、単に連続殺人事件が起きました、そこで警察と探偵が推理に乗り出しました、そして最後にトリックが明かされ犯人が明らかになり事件が無事解決しました、の平凡で機械的な通り一辺倒の探偵推理で終わらない。

殺害動機も、ただの怨恨(えんこん)や物盗りではない。二十三年前の迷宮入り殺人事件があって、それが由来となり今回の連続殺人の発端となっている。そこから今回、どうしても連続殺人をやり遂げなければならなかった「哀しき」犯人側の複雑な事情や、何よりも最後の三人目の殺人には犯人が決して望んでいなかった「大いなる手違いの悲劇の大誤算」があるし、作中最後に明かされる犯人に対し、読み手のみならず物語中の人物たちの驚きがある。鬼首村連続殺人事件の真犯人が明かされて、犯人の知人らと身内家族の驚愕と絶望があるわけである。よって本作ラストで入水自死した犯人の遺体が池から上がり、作中の探偵・金田一耕助や岡山県警の磯川警部、鬼首村の村人らが初めて事件の真犯人を知る場面、実はこの場面記述に至るまで「悪魔の手毬唄」の小説読み手に対しても真犯人は、なかなか明かされない。このラストの場面にて初めて犯人が読み手に分かる、非常にもったいぶった犯人明かしの書き方を本作にて横溝はわざとしている。そもそも探偵小説というのは、「誰が犯人だか分からない」から先を読み進める犯人探しの興味で読み手を惹(ひ)きつける手法が本筋で正統な娯楽文学であるから、そうした探偵小説の本来の趣旨に至極かなった本作にての横溝の書きぶりであると思う。そういった所も横溝「悪魔の手毬唄」は好印象だ。

「悪魔の手毬唄」は戦後に書かれた横溝正史による金田一長編の名作であり、よく考えられ深く練(ね)られた素晴らしい探偵小説だ。詳しく述べると「ネタばれ」になるので言えないが、いわゆる「顔のない死体」トリックにさらなる工夫を加えて読む者を必ずや驚かせる本格になっている。また村に伝承の「手毬唄」になぞらえて行われる見立ての連続殺人の趣向演出、この「悪魔」な「手毬唄」による見立て殺人は、後に横溝が頻繁に語っているように海外作品のヴァン・ダイン「僧正殺人事件」(1928年)のマザーグースの童謡殺人に倣(なら)ったアイディアだった。

無声映画の活動弁士が音声付き映画(トーキー)の出現普及により駆逐され失職に追い込まれてしまう「恨みの『モロッコ』」(映画「モロッコ」は初めて日本語字幕を付したことで活弁士を不要にしたため当時、活動弁士らに酷く恨まれた因縁の映画であった)、探偵推理の本筋から外れたエピソードも哀愁があり、ある意味、文学作品の「色気」がある。この辺り、探偵小説家だけで自身を終わらせない横溝正史の文学的書き手としての懐(ふところ)の深さも感じさせる。

戦争中に時局のせいで十分に作品を発表できず、「さあ、これからだ。戦争が終わったら本格の探偵小説を思う存分書いてやろう」と心に決めていた横溝だけに「悪魔の手毬唄」を始めとして、終戦後に発表された一連の本格長編はかなりスゴい。傑作連発で驚きというか、図(はか)らずも横溝の筆に神が降りてきて筆が神がかっているというか。「本陣殺人事件」(1946年)や「獄門島」(1948年)は完成度のレベルが高く実に感心する。「本陣」と「獄門」は名作中の名作で傑作である。そうしたわけで「本陣殺人事件」や「獄門島」と同じ戦後の比較的早い時期に書かれた「悪魔の手毬唄」も、まさにハズレなしといったところだ。