アメジローのつれづれ(集成)

アメリカン・ショートヘアのアメジローです。

再読 横溝正史(36)「人面瘡」

「人面瘡」とは、以下のようなものだと言われている。

「人面瘡(じんめんそう)は、妖怪・奇病の一種である。体の一部などに付いた傷が化膿し人の顔のようなものができ、話をしたり物を食べたりするとされる架空の病気。薬あるいは毒を食べさせると療治するとされる」

横溝正史「人面瘡」(1949年)の概要はこうである。「『わたしは、妹を二度殺しました』。ある事件解決の折りに岡山と鳥取の境にある田舎の山奥の湯治場・薬師の湯に金田一耕助が岡山県警の磯川警部と投宿した際、金田一が遭遇した夢遊病の女性が、奇怪な遺書を残して自殺を企てた。妹の呪いによって、彼女の腋(わき)の下にはおぞましい人面瘡が現われたというのだ。そして妹の溺死体が発見された。妖異譚に科学的な解決と深層心理の解明を加えた金田一探偵譚の中編」。

いわゆる「人面瘡」を題材にしたミステリーやホラー話は昔からよくある。実際に人面瘡なる病があるのかどうか、私は知らない。だが、人面瘡に対して呪いのオカルト・ホラーではない、科学的な合理解釈で話の辻褄を合わせて結末を落とすとなると、身体の一部にできた腫瘍やアザが、たまたま目鼻がある人間の顔のように見えただけであったとか、もしくは人面瘡が勝手に話し出したりする場合、当人の精神作用の多重人格によるもので決着をつける古今東西の人面瘡トピックの話が多いようである。

横溝の「人面瘡」は確かに殺人事件が起きて劇中のある女性が、しかも彼女は夢遊病の病歴を持ち本人は気づかないままに、しかし当人の深層心理下の無意識に従って夜中にフラフラと夢中歩行し、時に殺人まで犯す疑いの状況のなか、「わたしは、妹を二度殺しました」という「同一人物を二度も殺す?」といった誠に不思議な告白までして、山奥の湯治場にて金田一耕助らが事件の解明に乗り出す話である。

(以下、人面瘡の正体や殺人トリックを明かした「ネタばれ」です。横溝の「人面瘡」を未読の方は、これから本作を読む楽しみがなくなりますので、ご注意下さい。)

横溝正史「人面瘡」は100ページ弱の中編であり紙数は決して多くないが、そうしたなかでも「人面瘡」という病の正体を科学的根拠から横溝が全くごまかすことなく書いて説明しており、その点がまずは読み所である。本作での横溝による「人面瘡」の合理的解釈といえば金田一いわく、

「戦後こういう記事が新聞に出たことがあるんです。あるところのお嬢さん…そのひとのわきの下に原因不明のおできができた。それで、お医者さんに切開してもらったところが、人間の歯や髪の毛が出てきたんですね。そこであらためて鑑定を請うたところが、そのお嬢さん、双生児にうまれるべきひとだったんですね。ところが、摂理の神のいたずらで、双生児のひとりがそのお嬢さんの胎内に吸収されていたんだそうです。それが生後二十何年かたって、歯となり、髪の毛となって、お嬢さんの体の一部から出てきたというんです」

つまりは、女性の腋(わき)の下に不気味に現れた人面瘡は、「本来は双生児にうまれるべき人で、双生児の一人が片方の胎内に吸収され結果、それが生後何十年か経って、歯となり髪の毛となって体の一部から出てきたもの」という実に科学的根拠に基づいた合理的なものであった。そうして自身は妹を殺害していないのに、あたかも「夢遊病中の無意識下にて、もしかしたら私が妹を殺したのかも」と不思議なほど強い罪悪感に彼女が苛(さいな)まれてしまうのは、実際に今回の事件で殺害された妹に対する罪の意識ではなくて、実は「人面瘡」として自身の腋下に現れた、本来は別々に生まれてくるはずであった自分の身体に吸収されたもう一人の、まだ見ぬ双子の妹に対する彼女の深層心理下の罪悪感に由来するものであったのだ。

また「人面瘡」での殺人の方法や現場不在証明(アリバイ)のトリックも、犯人の意外性があって面白い。女性殺害の犯人は老齢で身体が不自由で動けない宿の大女将(おおおかみ)の御隠居なのだが、金田一が指摘するように「人間を溺死させるには、なにも大海の水を必要としないのです。そこにある盥(たらい)いっぱいの水でも、十分に目的を達することはできる」のであり、川淵での溺死に見せかけて、実はたった一杯の盥(たらい)の水に顔を押しつけて室内にて溺死させ殺した。それから窓外の川に遺体を投棄し、川の激流に任せて遺体は遥か下流まで勝手に流され、ついには川渕にて溺死体となって発見される。当然「死体の移動」により犯行現場がズレて錯覚されているから殺害推定時刻に犯人の大女将の御隠居は遠方の屋内におり、しかも彼女は老齢で体力なく身体が一部不自由なため「まさか御隠居が犯人であったとは!」の驚きの意外性があるわけである。

そうした老齢で身体が不自由な大女将が若い被害者の女性の顔を耳盥(みみだらい)に不意に背後から押しつけ溺死させる絶好な犯行機会に恵まれたのは、被害者女性が眼病で眼を患(わずら)っており、日常的に盥に顔をつけ洗眼する習慣があったことによる。それは何よりも、「当地の山奥の湯治場が昔から眼病によく効くことで定評がある」の舞台設定にて、話の冒頭から丁寧に伏線を張る横溝正史の周到さによるものであった。