アメジローのつれづれ(集成)

アメリカン・ショートヘアのアメジローです。

再読 横溝正史(37)「死仮面」

いわゆる「昭和の横溝ブーム」にあって横溝作品が次々と映像化され社会での人気を極める中で、横溝ブームを強力に牽引(けんいん)したのは、角川春樹が社長だった昔の角川書店であった。当時から角川文庫が横溝作品をほとんど全作、漏(も)れなく完璧に出しまくっていた出版環境があり、しかも昔の角川文庫の横溝作品は表紙絵が杉本一文による上質イラストカバーに彩(いろど)られていた。

本当に昔の角川文庫はスゴいのである。横溝の代表作はもちろんのこと、まだ当時は横溝は存命だったから横溝本人にしてみれば今さら読み返されたくない過去の駄作・凡作も、角川は「横溝全集」の完全版を目指して容赦なく片っ端から復刻・再刊して出しまくる。出版社倒産の版元消失で原稿紛失な地方の雑誌に数回掲載のマイナーで傍流な作品でさえも、古書店でわずかに流通している古雑誌を発掘し、文字起こしをして角川文庫に強引に入れる。

膨大な再刊や映像化に関しほとんど許可していた温厚で誰に対しても偉ぶることのない人柄で知られた横溝正史であったが、多忙期に乱作した作品も含め片っ端から角川文庫に収録されるので、横溝の作家評価に傷がつくことを心配した友人らから忠告を受け、また横溝自身も気恥ずかしくなって、「ええ加減にしてくださいよ。これ以上出すとおたく(角川文庫)のコケンにかかわりますよ」と一時は怒りを露(あらわ)にしたらしい。だが最後は角川春樹に押し切られ、自身が最低と決めつけている作品でも再刊されると相当に売れたことから以後、過去の自作に対し自分で評価を決めることはせず、読者諸賢の審判を待つべきと割り切ることに決めたという。

さて、横溝正史「死仮面」(1949年)は、「横溝作品であれば作品内容や完成度の出来はどうあれ、何が何でも角川文庫に入れて復刊で出す。ともかく横溝ブームの最中、横溝作品は出せば必ず売れるから」の角川書店の狂気の沙汰が感じられる一冊である。

横溝の「死仮面」は敗戦直後に名古屋の雑誌に八回連載で掲載されたが、全八回の中の第四回の分が欠けていた。原稿が残っておらず、当時に流通した雑誌をできる限り手を尽くして探したけれど発見できず、連載の第四回原稿が欠落してどうしても見つからない。欠落分の載った雑誌を見つけ作品を「完成」させて角川文庫(最初はカドカワ・ノベルズに収められている)に収録したいが、それが叶(かな)わない。しかも、本作を再刊企画時には横溝正史は「悪霊島」(1980年)を完成させた後で静養につとめることになっていた。横溝自身の筆による欠落回の早急な書き直し復刻も残念ながら望めない。そこで角川編集部がとった強硬手段は、何と角川文庫の横溝作品巻末解説を毎回書いていた探偵小説評論家の中島河太郎が横溝の代わりに欠落回を創作して補い、とりあえずは「死仮面」を完成させ角川文庫に収録させるという強引極まる荒業(あらわざ)であった。そこまでして横溝の「死仮面」を自社文庫に入れたいのか、角川書店(笑)。

後の横溝の回想によれば、「死仮面」は「当時、私はなぜかこの作品を毛嫌いし、本にしなかった。話が陰惨すぎたせいであろう」ということである。

横溝正史「死仮面」の復刻時の売り出し文句のコピーは、「30年ぶりに発掘された巨匠幻の本格推理」であった。私は本作の初読は、旅先でフラりと入った古書店にて横溝「死仮面」の角川文庫を偶然に見つけ購入し、旅の中途で読んだ。そのため再読や再々読の機会に至るまで時に肝心な話の内容は忘れてしまうが、しかし「横溝の『死仮面』は、あの旅の途中に見知らぬ土地で面白く読んだなぁ」の初読時の楽しい思い出の感触だけは今でも忘れることなく、ずっと覚えている。

(※横溝正史「死仮面」は、後に欠落回掲載の雑誌が発見され、横溝オリジナルの完全版が春陽文庫(1998年)から出ています。)