アメジローのつれづれ(集成)

アメリカン・ショートヘアのアメジローです。

大学受験参考書を読む(98)森一郎「試験にでる英単語」

森一郎「試験にでる英単語」(1967年)は、昭和の時代から今日まで増版され続けている受験用英単語集のベストセラーである。通称「でる単」「しけ単」。1967年の初版発行で、2011年8月時点で何と!累計1488万部。著者の森一郎は元は英語教師で都立日比谷高校で教鞭をとり、東大進学指導で高い合格率の実績を挙げていたという。

「試験にでる英単語」以前の従来の英単語集は、主に英字新聞や英語書籍でよく使われる英単語をピックアップし、収録語はアルファベット順で掲載されるのが常であった。しかし、著者の森一郎は、大学受験の試験問題解答に求められる語彙(ごい)と、英字新聞などを読む際の英語文化圏での日常生活で求められる語彙にはへだたりがあることに気付き、また学習効率からすれば多くの従来書のようにアルファベット順ではなく、出題頻度順に掲載するほうが望ましいと考えた。これらの点を踏まえ過去の試験問題を徹底調査し、最も重要な頻出単語から順番に配列して出版されたのが本書であり、この執筆編集コンセプトが「試験にでる英単語」となるわけである。なるほど、英字新聞などを読む際の英語文化圏での日常生活で求められる英単語ではなくて、日本の大学受験英語の「試験にでる英単語」であるのだ。

「試験にでる英単語」の「まえがき」によると、本書は「明治35年以降、大正時代を経て昭和50年の現在に至る約70年間の新制大学・旧制大学・旧制高等学校・旧制高等専門学校の入学試験問題を手元に揃(そろ)え、十数年間にわたって独自の方法で分析調査し整理した結果でき上がったもの」であるという。初版が1960年代の昭和の時代なので、当時は現在のようなコンピューター集計やAIの自動解析による頻出別・重要度順の「試験にでる英単語」のあぶり出しではなくて、著者の森一郎が全て手作業でデーター整理作業を行っていたと思われる。

そういった並々ならぬ、人知れずの相当な苦労が著者の森一郎にあったであろうことから、本書に対する森の思い入れと自信はかなり強いらしく、本書の「まえがき・改訂に際して」にて著者の森一郎は、全国読者の受験生からの難癖・クレームまがいの「質問」にも案外、律儀(りちぎ)に真面目に、時にキレながら(笑)いちいち答えているのが今読み返すと面白い。例えば、

「あなたは、technology、reverie、snobbish、antipathy、frustration、その他多くの重要な語が従来の英単語集に入っていないと言っておられるが、ぼくの持っているA社の単語帳には、そのほとんどがちゃんと収録されている。だからあなたは大うそつきである。…あなたのうそには我慢ができない。著者としての責任ある答えを望む」(「質問・その4」)

という読者からの「大うそつき」呼ばわりの挑発質問に対し、「本書が世に出る以前の大ベストセラーのブームになる前の英単語集には、当時は確かにtechnology、reverie、snobbish、antipathy、frustrationらの語を掲載した書籍はなかった。私の『試験にでる英単語』が売れて、本書での『technology、reverie、snobbish、antipathy、frustration…ら試験に頻出の重要単語が収録されていない』という私の指摘を他の出版社が読んで知り、改訂してそれら単語をそっくりそのまま後日に収録したのである。だから私は大うそつきではない」旨の質問回答を紙上にて森一郎はしている。いちいち真面目に対応する必要もないクレーム質問だとは思うが、それに律儀に答えているのが読んで何だか馬鹿らしい(笑)。

また

「先生のお書きになった英単語集は、あまり多くの人たちが持っているので、大学の先生方もこの本をお調べになって、将来はこの本の中にある単語を試験に出さないようになるのではないでしょうか」(「質問・その5」)

というような妙に心配性すぎる(笑)読者からの質問もある。これに対し、「いったい英単語の中から、本書に収録した単語とその訳語を取り去ったら、何が残るだろうか。それこそ空気を抜いたボールのように、あるいは電池の入っていない懐中電灯のように」云々とこれまた真面目に相手をして著者の森一郎は紙上にて質問回答している。つまりは「『試験にでる英単語 』に掲載されている単語は文章を構成する上で絶対に欠かせないもので、本書に載っている語を使わずに英文記述することなど到底不可能だから、本書に収録してある単語とその訳語がわざと大学受験の英語問題からあらかじめ回避されることはない」と森一郎は言うのであった。それは当たり前だろ(爆笑)。

「『試験にでる英単語 』が売れに売れて、あまりに多くの受験生が持っているので、出題する大学側が将来はこの本の中にある単語をわざと試験に出さないようにする」とか常識的に考えてあるわけないだろ!いちいち真面目に対応する必要もない変に心配しすぎる質問で、それにこれまた律儀に著者の森一郎が答えているのが読んでいて、やっぱり馬鹿らしいのである(笑)。

森一郎「試験にでる英単語」を、私は受験勉強時に使ったことはなかった。高校の副教材で購入させられていた別の英単語集と熟語集でずっと英語の勉強をしていたから。受験が終わって無事に大学進学した後に、本書を改めて入手し初めて読んでみた。確かに、大学受験英語を読む上で必須の絶対に知っておかなければならない定番の英単語が頻出別・重要度順に効率よく掲載されていて、非常に有用である。

英文解釈にて知らない語が出てきた場合、パニックにならず、すぐに諦(あきら)めずに、前後の文脈の因果関係や対立や反復・同義の構造を見切る、接頭・接尾語の原義から推測する、似たスペルの単語を連想して意味の当たりを付ける…など、様々なテクニックがあるが、最初からその英単語の意味を普通に知っていれば、スムーズに英文が読めるのも確かである。より多くの英単語の意味を常日頃から広く知っているに越したことはない。そういった意味で、昭和の時代から今日まで増版され続けている受験用英単語集のベストセラー、森一郎「試験にでる英単語」を手元に置いて読んでおくのは、なかなか有効だと思われる。

大学受験参考書を読む(97)伊藤和夫「英語要旨大意問題演習」

英文読解の基本は、どんな英文であっても一文精読して意味が分かり訳せることが必須であるが、読むべき英文が多く長くて長文になれぱなるほど、全ての英文を順番通りに最初から最後まで全文同じ強度の厳密さで一文精読を重ねていくことは現実的ではない。

いわゆる「英語が読める人」は必ずしも全ての英文を律儀(りちぎ)に全文精読しているわけではなく、各英文の重要度に応じ濃淡や強弱を付けて立体的に長文英語を読んでいるものである。私は必ずしも「英語が読める人」ではないが(苦笑)、そんな英語達者ではない私であっても、今でも大学入試の長文英語や英語の評論レポートを読んだりする場合には、全ての英文を順番通りに最初から最後まで全文同じ強度の厳密さで一文精読を重ねていくことなどしない。各英文の重要度に応じ濃淡や強弱を付けながら、時に先の展開予測も交えて立体的に英文を読んでいる。こうしたことは英語長文のみならず、日本語でのかなり長い文章や難解な文章に対しても常にやっている。

例えば、「この部分は先の抽象的記述の具体例の繰り返しに当たるから、さすがに読み飛ばすことはないけれど(笑)、この部分は割合、力を抜いて軽く速く読む」とか、「ここの部分は後に書き手により否定される俗論の一般論にあたるので、この後に俗論の一般論とは対立する筆者の主張文が必ず来るはずだ、といった展開予測を付けながら読む」など。その他、「いくつかのタイムライン(時間経過)よりなる並列構造の長文にて、この英文は明らかに時間のフェーズ(局面)が変わる指標の重要箇所であるから、あえてそこの部分だけ繰り返し読んで強く記憶したり、時に書き入れの印を付けておく」とかである。

繰り返しになるが、読むべき英文が多く長くて長文になれぱなるほど、全ての英文を順番通りに最初から最後まで全文同じ強度の厳密さで一文精読を重ねていくことは現実的ではなく、これら各英文の重要度に応じ濃淡や強弱を付けて、時に先の展開予測も交えて立体的に英文を読んでいく機転の読みが必要となる。

大学入試の英文読解では、いくら一文精読は出来ても問題英文が長文で長くなれぱなるはど全体の意味が分からず、読んでいて既読の内容が整理できず、また先の内容予測も全くできないとか、長文英語を最後まで読んだけれども全体の大意や要旨が明確に把握できない、そのため記述式の大意要約問題や、全体に渡る細かな内容に関する記号式の正誤判別の内容一致問題に対応できないといった声が昔からある。

例えば、駿台予備学校の英語科の伊藤和夫の著書に「英文解釈教室」(1977年)の一文精読の厳密な英文解釈のものがある一方、また同じく伊藤和夫「英語要旨大意問題演習」(1987年)のような、昔の東京大学や慶應義塾大学で出題されていた長文英語の大意把握の要約記述問題対策の書籍があるのは以上のような事情があるからだと思われる。

英語要旨大意の把握のための方法としては、パラグラフリーディングないしはディスコースマーカーを指標とする英語長文の読み方教授が有効である。

「パラグラフリーディング」とは、各段落ごとに要点を把握し、一貫して連続し絶えず話題になっている主題となるキーセンテンスやトピック語を押さえて、同時に先の文内容も予測しながらマクロの視点で英語長文を読み進めていくこと。また「ディスコースマーカー」とは、文脈の流れや構造、文と文との論理関係を示す単語や句のことであり(例えば「for・example 」の具体化を示すマーカー、「not・A・but・B」の対立を表すマーカー、「in・short」「therefore 」の要約・まとめのマーカー、「must」「have・to」の主張文のマーカーなど)、そうした目印(マーカー)となる語に注意しながら英語長文を読んでいく方法を指す。

大学受験参考書を読む(96)和角仁「 魔法のグリデン解釈」

最近の人は知らないかもしれないが、以前に大学受験古文の古文指導で、和角仁(わずみ・ひとし)の「グリデン古文」というのがあった。「驚異のグリデン解法」(1987年)、「魔法のグリデン解釈」(1990年)などの和角仁の古文の大学受験参考書が昔は多く出ていた。「グリデン」とは聞き慣れない新奇な言葉である。「グルテン・フリー」の「グルテン(小麦から生成されるタンパク質合成物)」ではない。グリデンである。この「グリデン」とは一体何なのか!?

「グリデン」とは、どうやら古文の予備校講師である和角仁に学生から付けられた和角のニックネームであるらしい。和角仁は出講の早稲田ゼミナールにてゼミの生徒から「グリデン先生」の愛称で親しまれ人気であるという。またこの人は予備校で大学受験対策の古文を教える以外に、前から歌舞伎や日本舞踊の研究で知られ、演芸評論家として活動する人でもあった。事実、和角仁には歌舞伎と日本舞踊に関する研究著作が多数ある。

和角仁は1980年代には予備校の早稲田ゼミナールに出講しており、和角が執筆の全国書店売りの古文参考書が多くあった。そのうちの一冊、和角仁「魔法のグリデン解釈」を読むと、氏が看板にしている「グリデン古文」の内容は主に以下の3つのものからなっていることが分かる。

(1)通常、古文の教師が言葉で長々と解説する古典文法の概要を、数学の公式のように一目で分かる公式ルールの図式化で簡潔に指し示し教授する。

(2)古文を学んで習熟してくればやがて誰もが気づき分かってくるような当たり前の古文解釈のコツを、あらかじめ要領よくまとめ手っ取り早く教えてくれる。

(3)問題文を読んで解釈し内容を理解していなくても、記号選択問題の選択肢を事務的に見ただけでたちまち解答がわかってしまう、現代文の有坂誠人「例の方法」の古文バージョンのような裏ワザも教えてくれる。

(1)について、例えば古文文法の品種分解で定番の「なむ」の識別に関し、長々と言葉で文法事項を説明するのではなく、「『なむ』の上の語を見て未然形(伸ばして読んでア行)ならば終助詞の『なむ』、連用形(伸ばして読んでイ形)なら、完了の助動詞『ぬ』の未然形+推量の助動詞『む』と即に判断しろ」というような指導を公式ルール化で簡潔に示している。その他、「を─み」の「××が─なので」の理由を表す主語・述語関係がある構文の図示解説など、その手の「グリデン古文の公式・構文」がいくつも連続で挙げられ、まとめられている。

(2)については、例えば「助動詞『る・らる』の解釈では上を見て『思・嘆・忍・心・泣』の言葉があれば、自発の意味で訳せ」とするような解釈指南である。また「『道』という字が出てきたら、『仏道』か『和歌の道』か『書道』の三種類の候補の中から現代語訳を選択せよ」や、「『あり』と『なし』がセットになって一緒に連続して出てきたら『生きている』『死んでいる』と必ず訳せ」というような古文読解に際しての実用的なアドバイスがいくつもある。これらは時間をかけ継続して古文を学んで習熟してくれば、やがて誰もが気づいて分かるような当たり前の事柄である。しかし、こうした古文解釈のコツをあらかじめ要領よくまとめて手っ取り早く教えてくれるので短期間での古文の学習効果が見込める。

(3)に関しては、何だかあやしい(笑)、現代文の有坂誠人「例の方法」の古文バージョンのような裏ワザも和角仁「驚異のグリデン古文」には満載である。例えば「現代語訳の解釈として正しいものを選べ」の設問があった場合、本文中の傍線部を解釈する以前に選択肢だけ見て最終的に肯定の意味か否定の意味か、各選択肢の内容だけ吟味する。その際、四択のうち三つの選択肢が肯定の意味で、しかし一つだけ否定の意味のものがあれば、その一つだけの否定の意味の選択肢が正解であるとする、問題文を読まなくても即に解ける「グリデン解釈の魔法」だとか。

その他にも、「難しくて手がつけられないような『解釈』が出たら、『わかりやすい語』『わかりやすい表現』を使って訳している選択肢を選んで『正解』とせよ。(基準は小学5年生。すなわち、小学5年生がわからないような語や表現を使っているものは『正解』ではない)」というのもある。これについては、この「魔法のグリデン解釈」披露の直後に入試過去問の例題があって、選択肢中の「虚構」「作為」「逆説的」などの語は、著者の和角仁にいわせれば「小学5年生がわからないような語や表現」に該当する(らしい)ので、これらの語句を用いている選択肢は「正解ではない」と判断でき、消去法で正解がすぐに分かると和角は力説するのであった。

和角仁の「驚異のグリデン解法」「魔法のグリデン解釈」に関し、この人は大学受験古文の案外、当たり前で常識的な学習事項をして、「魔法のグリデン解釈、グリデン先生がキミを『古典解釈』の神様にしてあげよう」とか、「グリデン解法、『古典文法』は『文法10大問題』だけで勝負!」などと毎回大げさに煽(あお)るので、古文が普通に出来る現役の大学受験生や、社会人である程度、古文を知って古文が読める人には、和角仁の「グリデン古文」は正直、読んで疲れる。今更ながら常識的に考えて、古文の受験勉強で「魔法」とか、そんな怪しい奇跡的なことなどあるわけないだろう(苦笑)。

だが、逆に相当に古文が苦手で入試当日まで時間がなく、古文教科での苦手克服・一発逆転のために最小限の最短学習で最大限の成績アップ効果を狙って古文の必殺の裏ワザをノドから手が出るほど欲している学生には、和角仁の「グリデン古文」は衝撃的で、たいそう魅力的なのかもしれないが。

和角仁は主に1980年代から90年代の、高校生の現役受験生と浪人生が多数いて、各予備校が多くの受験生を取り合うような予備校文化が絶好調の時の、いわゆる「予備校バブル」の時代の人なので、当時の時代を反映して予備校講師も自身の担当で短時間で締め切り講座を連発させたり、相当数の生徒を集め大教室で盛大に講義をやったり、全国書店売の大学受験参考書を出し同時にラジオ講座も担当したり、時にテレビのメディアにも芸能人のように露出して自身を「超絶人気のカリスマ予備校講師」として売り出そうとするような、そういった浮(うわ)ついた時代の雰囲気も氏の「グリデン古文」の大学受験参考書から今となっては正直、感じられないこともない。

またこの人は予備校で大学受験対策の古文を教える以外に前から歌舞伎や日本舞踊の研究で知られ、演芸評論家として活動する人でもあったので、舞台上の花形役者よろしく、自身が主役で目立って受験生からの喝采(かっさい)を浴びたい目立ちたがりな個人資質も、古文の予備校講師である「グリデン先生」の和角仁に過分にあるのでは、とも思われる。

大学受験参考書を読む(95)三羽邦美「漢文ヤマのヤマ」

大学受験の漢文は、「白文」を出された時に返り点(レ点や一二点や上下点ら)をつけ送り仮名を加えて、「書き下し文」として正確に読めること。そして、さらにその書き下し文から意訳も含めて、分かりやすく言葉を補って適切な「現代語訳」ができること。これら「白文→書き下し文→現代語訳」の変換が自在にこなせれば漢文の試験は毎回ほぼ完答で、いわゆる「漢文ができる」ということになる。それでセンター試験対策は万全であろうし、その他、私大入試や国公立二次の漢文試験にも対応できるであろう。

このように「漢文ができるようになる」=「白文→書き下し文→現代語訳」の変換が自在にこなせるためには、以下の2つ操作が必須と思われる。

(1)漢文は「主語(人物)+述語(動詞、形容詞)+目的語(対象)+副詞(目的、場所、時間、起点、受身、比較など)」の一文構造が基本なので、この語順に従って白文であっても文法分析的に把握できる。

(2)再読文字や句型(二重否定、反語、受身、使役、仮定など)の特殊な読み方と訳し方を知った上で、古典文法の規則に従って白文であっても適切に送り仮名をつけることができる。

(1)については、ただ漠然と漢字を読むのではなくて、「主語+述語…」の順番を追跡しながら漢文を文法的に構造的に読むことが重要である。また「主語+述語+目的語…」の以下に続く「副詞(目的、場所、時間、起点、受身、比較など)」には述語以下の目的語と混同しないように置き字(「於」「干」「乎」など)が置かれるのが通常であるし、主語や動詞や目的語を修飾する助詞・助動詞に当たる語(「之」─所有格の「の」、「自」「従」─起点をあらわす「より」、「与」─並列をあらわす「と」など)もある。これらは英語で言えば前置詞に相当する。つまりは漢文も英文と同様に「S+V+O+M(前置詞+名詞)」の構造で基本読めばよいわけである。

(2)については、述語に当たる動詞や形容詞に適切な日本語古文の活用(未然・連用・終止・連体・已然・命令)と、古文の助動詞の活用形(打消の「ず」「なし」や受身の「る」「らる」や使役の「しむ」など)を適時、自身で補って読めればよい。

これらは漢文読解のための必須の基本とはいえ、(1)は英文解釈の英文法の読解とほぼ同じであるし、(2)はそのまま古文の文法知識の流用である。ということは漢文に関し、ことさら新たに漢文のための勉強をゼロから新規に始めなくとも、英文法の知識があり英語を文法的に読めて、かつ古文の文法知識もあり日本語の古文を読める者は、原理的に漢文も難なく読めることになる。

このことから、例えば新入学の高校一年生でまだ英文法と古典文法を習いたてで長く学んでおらず、習熟していない学生は漢文も同様に苦手で読めないといえる。逆に言えば、英文法知識があり、ある程度英語が読め、かつ古典文法の知識もあって古文が読める学生は、やがて漢文もすぐ読めるようになる。

私の高校時代の経験からしても、英文解釈と古文読解がある程度できた時点で、大した苦労もなく自然と漢文が読めるようになっていた。漢文の受験対策にて、「あまり早い時期から熱心にやらなくてよい。漢文は高3の春から夏にかけて取り掛かり遅く、その時点から本格的に受験勉強を始めても十分に入試に間に合う。センター試験の漢文にて完答に近い状態にまですぐ持っていける」云々の受験勉強アドバイスが昔からよくされているのは、この「英文法の知識があり、かつ古文の文法知識もあれば、原理的に漢文も難なく読める。なぜなら漢文は、英文法と古典文法との折衷で同原理のものだから」の点に由来している。漢文が出来て漢文で高得点を確保するためには、それ以前に英文法と古典文法、英語と古文の両科目をじっくり勉強しておくべきである。

私が高校生で受験生の時代にはまだなかったが、近年では漢文の受験参考書といえば、東進ハイスクールの三羽邦美「漢文ヤマのヤマ・共通テスト対応版」(2020年)が定番で評判がよく、旧版から多くの読者を得て広く読まれているようである。

大学受験参考書を読む(94)代々木ゼミナール編「基礎からわかる漢文」

1980年代から90年代にかけての昔の代々木ゼミナールは、たまたまの偶然だと思うけれども、なぜか漢文の有名講師が多く在籍していて、例えば多久弘一や中野清という人がいた。多久も中野も代ゼミで漢文教科の大学受験指導をやっていたけれど、もともと両人とも中国文学者として論文執筆や学術書上梓の研究実績があり、実力は本物の人達だった。古文も兼任して省略して教えている高校の漢文教師とは、彼らはやはり違っていたのである。

多久弘一は、当時は「多久の漢文王国」(1981年)、「多久の漢文公式110」(1988年)を始めとした漢文の書店売り参考書を数多く出していて、私は多久の書籍をそこまで熱心に購入し読んではいないが、昔は書店店頭の参考書コーナーで多久が執筆の漢文の受験参考書をよく見かけた。多久の参考書を読む限り、中国古典の知識が豊富で故事成語の成り立ち(エピソード)や古代中国の文学常識(古典教養)に関する話が面白かった。多久は当時ですでにかなりキャリアのあるベテランの漢文予備校講師で、この人は代ゼミ各校の教壇に立って漢文の受験指導もしていたが、代ゼミ本部での理事ないしは地方校の校長もやり、代ゼミは高宮一族の高宮学園の経営であったけれど、多久弘一は早くも80年代から高宮学園の経営幹部の一人であったと思う。

他方、中野清は「中野のガッツ漢文」(1987年)という書籍売りの大学受験参考書を出していた。「中野のガッツ漢文」は上下二巻にさらに「中野のガッツ漢文」副読の問題集も出ていたはずだ。「中野のガッツ漢文」での漢文指導は、漢文を中国語のように厳密に外国語の語法に従って読む、そうすると「なぜこのように送り仮名が付けて読めて、そのような書き下し文になるのか」漢文の仕組みが原理的に分かる、という中野による漢文読解アプローチである。氏からすれば今まであやふやで慣れや反復重視で「何となく」だった素読主義の漢文読解の従来教授に対する「反」(アンチ)の意識が強烈にあって、そのため漢文を「なぜそのように読むのか」論理的に原理から分かりたい受験生には中野清「ガッツ漢文」は昔からウケがよかった。

最近、孔子の「論語」を読み返す機会があって、久しぶりに漢文の大学受験参考書を購入し読んで問題演習もやってみた。代々木ゼミナール編「基礎からわかる漢文」(2017年)である。

これは親切で良い漢文の解説書兼問題集の参考書であると思う。「センター対策はこれで十分!0(ゼロ)から始める超基礎漢文!!」と表紙に大きくあるように、冒頭の「入門編」にて帰り点・送り仮名の読みの順序ルールから丁寧に教えてくれる。よって漢文の前知識が全くない初学の高1の新高校生でも、本書の指導解説に従い読み進めていけばすぐに漢文が出来るようになる。続く「基礎編」と「応用編」を経て本書を読了すればセンター試験レベルから、難関大を除いた一般の私大入試と国公立二次のそれまで大学入試の漢文対策は十分であろう。

それにしても代々木ゼミナール編「基礎からわかる漢文」が、かなりの親切良著であることに私としては、かつての漢文受験指導の多久弘一や中野清ら、古き良き代ゼミ漢文講師の先人たちの伝統の重さを感じずにはいられない。多久弘一、中野清の昔の漢文参考書を改めて読んでみたい思いに私は駆られた。

大学受験参考書を読む(93)花村太郎「知的トレーニングの技術 完全独習版」

近年、ちくま学芸文庫が昔の絶版の大学受験参考書を文庫サイズで復刻・再販させる試みを熱心にやっていたが、その中には厳密には大学受験参考書ではない、一般的な勉強法を指南する昔の著作も入っていた。「大学受験参考書を読む」のシリーズだが、今回は大学受験参考書ではなく、例外的に大学受験生以外の一般読者にも向けた勉強法指南の啓蒙書籍について書いてみたい。

今回取り上げる花村太郎「知的トレーニングの技術・完全独習版」(1980年、文庫本化は2015年)は、昔にあった雑誌「宝島」の別冊のムック本で、近年ちくま学芸文庫から復刻・再販されたものである。雑誌「宝島」は、古くは同人誌「ビックリハウス」を前身として、1980年代には発行部数も多く若者人気でよく読まれていたサブカルチャー誌である。私も1980年代は10代の中高生で、当時は音楽や映画やファッションや街中流行を広く発信していた雑誌「宝島」を定期でほぼ毎号読んでいた。別冊「宝島」のムック本は、雑誌に巻頭特集で掲載した好評企画に加筆・再編集して後日に別冊の書籍として改めて出すものである。そのため80年代初期の別冊宝島には、こなれた書きぶりで丁寧な内容充実の隠れた名著が数多くあったと私は記憶している。

花村太郎「知的トレーニングの技術・完全独習版」が発行された1980年代には、いわゆる「ニュー・アカデミズム」のブームがあって、近代化論やマルクス主義ら従来の正統学問とされるものから少し外れた、記号論や構造主義や文化人類学やメデイア論やサブカルチャー批評などの新たな学問が「ニューアカ」と称され、80年代の日本では流行していた。その時代には、ポストモダンな現代思想がもてはやされていたのである。そのため花村「知的トレーニングの技術」も、何のための「知的トレーニング」なのかといえば、本書を読む限り、当時に流行していたポストモダンな最新の現代思想の書物を各自で「完全独習」で読んで充分に学び、またそれらポストモダンな最新思想に基づいて発想し、あるいは文筆して知的生産活動を各人が自在にこなすための自己啓発的な勉強法全般に関する書籍なのであった。

よって、本書は学問を志(こころざ)して学を修めるための、最初の心構えの「立志術(志をたてる)」や、まさかのスランプに陥ったときの脱出法たる「ヤル気術(ヤル気を養う)」「気分管理術(愉快にやる)」、その他、効率的かつ濃密な情報・資料の集め方の「蒐集術(あつめる)」「探索術(さがす・しらべる)」、書斎ら理想的な学習環境整備のための「知の空間術(知的空間をもつ)」、そして勉強法の基本の柱となる書籍を読む「読書術(読む)」と文章作成の「執筆術(書く)」はもちろんのこと、さらには望ましい師・友人と出会い付き合うための「知的交流術(友を選ぶ・師を選ぶ)」など、「知的トレーニングの技術」獲得のための様々な分野の術(方法・技術)が一括パッケージで実に幅広く多岐に渡って周到に収録されている。

昨今のこの手の「知的生産技術」に関する本は、内容が主に読書論と文章論とに偏(かたよ)り小さくまとまりがちであるが、昔の書である花村太郎「知的トレーニングの技術」は、読書と執筆以外の様々な知的活動の項目に触れている所が素晴らしい。「青春病克服術(人生を設計する)」「発問・発想トレーニング法(問いかける)」「知的生産のための思考術(推理する)」などは、今読み返してみても大変に有用で大いに役立つのではないか。昨今では読書論と文章論以外での、立志術や気分転換法、モチベーション維持らの自学自習を進める上でのメンタルや発想法について述べまとめた書籍は、なかなか珍しいし貴重である。

花村太郎「知的トレーニングの技術・完全独習版」を読んでどうしても笑ってしまうのは、本論にての「知的××」語句の連発である。タイトルの「知的トレーニング」を始めとして、「知的スタート」「知的パッケージ」「知的スタイル」などの語がやたら連発される。この辺り、どうしても「知的であること=物事を広く深く知っていて多くの知識があること」を誇り、そのことに直接的に優越価値をおく思考である。「知的××」など、1980年代のポストモダンのニューアカ・ブームのとき以来の「知識があること、知的であることにあからさまに価値を認めて優越を措く」(本来、知識があったり知的であること、それ自体には何ら価値や優越はない。昨今人気の雑学クイズに即解答できる「インテリ」芸能人など、実にくだらない。噴飯である。あんなのは「インテリ」でも何でもない。ただ知識があるだけの単なる「もの知り博士」でしかない)著者らの態度が透けて見える、非常に恥ずかしい言葉遣いであるのだが。

他方、本書にて注目すべきは1980年代の不登校や校内暴力やいじめの学校内での荒れ方への対応・対策と、過酷な受験戦争の偏差値詰め込み教育に対する著者の反感・批判の意識が暗に強烈にあるらしく、そのため本論にて学校カリキュラムや教師の対面授業に頼らずに、各自が自由に「完全独習」を果たす「知的トレーニングの技術」を教授するに当たり、「価値創造が主で情報整理は従」「情報処理の技術にとどまらず、思想を理解し生み出すための技術の育成」とか、「自分一身から始めて等身大の知的スタイルの確立」「自立した知の職人をめざす」などのスローガン(目標)の文言が本論にて繰り返し多く並ぶ。単なる詰め込み型の暗記の技術や、偏差値が高い有名学校への合格進学や難関資格試験の合格取得に終始しない、本当の意味での創造的で批判意識を持った「知的であること」を志向し最終目標にしている所は本書の最良さであり、「知的トレーニングの技術・完全独習版」の著者たる花村太郎の並々ならぬ志の高さがうかがえる、といった具合である。

大学受験参考書を読む(92)筑摩書房「名指導書で読む なつかしの高校国語」

近年、ちくま学芸文庫が、国語(現代文、古文、漢文、小論文)を主とした昔の絶版の大学受験参考書を文庫サイズで復刻・再販させる試みを熱心にやっており、絶版・品切の入手困難な大学受験参考書が文庫本で新刊の割合に廉価(れんか)な価格にて購読できるので、私には大変に有難かった。高田瑞穂「新釈・現代文」(1959年)、小西甚一「古文の読解」(1962年)、遠藤嘉基・渡辺実「着眼と考え方・現代文解釈の基礎」(1963年)らの復刻・復刊である。

筑摩書房「名指導書で読む・なつかしの高校国語」(1963─84年の指導書の合本。文庫本化は2011年)も、以前に出されていた書籍の文庫サイズでの復刻・再販である。本書は厳密には大学受験生が読む受験参考書ではない。「指導書」といって学ぶ側の高校生ではなく、高校現代文にて教える側の教師が授業準備をする際に事前に読んで指導教授の力点や方針の授業展開やテスト問題作成の参考にする「教師のネタ帳」「先生の虎の巻」といった内容である。ゆえに本書では高校現代文の教科書に掲載された教材(評論、随想、小説、詩歌)をそのまま全文掲載して、教材現代文の語句・要旨と解釈・作品の時代背景・作者を含む文学史らにまず触れ、その後に授業で押さえておきたい教授ポイントや新たな視点の授業展開のヒントまで親切丁寧に指し示す構成となっている。

「名指導書で読む・なつかしの高校国語」には昔の高校現代文の教科書に掲載の代表的教材がほぼ網羅である。評論・随想文では夏目漱石「現代日本の開化」、小林秀雄「無常ということ」、丸山眞男「『である』ことと『する』こと」など、小説では夏目漱石「こころ」、太宰治「富嶽百景」、中島敦「山月記」ら、詩歌では斎藤茂吉「死にたまふ母」などというように。本書は厳密には大学受験参考書ではない。この書籍を読んでも大学授業の現代文の入試問題が解け成績が上がって志望校に見事合格できるというようなことには何らならない。ただ10代の若い時分に高校生が読んでおくべき教養基礎を供する良書であるのは確かであって、私も大学進学前の高校時代からこの種の国語教科書を介して掲載の評論家や文学者たちのことは既に、それとなく知っていた。

本書に収録の国語教材は、今読み返してみても色褪(あ)せない優れた内容であると思う。夏目漱石「現代日本の開化」での外発的で強迫的な、ゆえに何ら内発的で内容実質を伴っていない近代日本の「近代」化批判、丸山眞男「『である』ことと『する』こと」での主に政治学において、さらには政治学以外の他の学問や日常にも敷衍(ふえん)しうる、無自覚で惰性なズルズルベッタリ(「であること」)を排して人間が主体的に決断し行動すること(「すること」)の大切さの確認、小林秀雄「無常ということ」でのいかにもな所詮、人間は理論の理屈で歴史や社会を説明づけて理解することは出来ず、そうした理論の理屈を排して無心に美しく生きるべきとする文芸批評にての小林による毎度の小林秀雄節の炸裂がある。

その他、小説にても中島敦「山月記」の全文掲載で高校時代に教科書で中島「山月記」を読み知って、そこから私は中島敦の他作品も後々まで繰り返し読むようになったのだし、太宰治「富嶽百景」も教科書を介して太宰の文体と人柄に触れ太宰を好きになって、今でも太宰治は愛読の作家の一人となっている。夏目漱石「こころ」は、この作品の中でも最良のクライマックスの部分を抜粋して教科書教材として掲載しており、高校現代文の指導書だけに昨今流行の漱石「こころ」に関する、人々の耳目を集めただ目立ちたいだけの荒唐無稽なトンデモ解釈(例えば「友人Kの自殺の理由は、実は先生が同性愛者で男性の友人Kに好意を寄せていて、下宿先の異性のお嬢さんと先生と同性の友人Kとの三角関係の末に思い悩んでKも先生も最期に自殺した」云々)もなく、極めて妥当で常識的な夏目漱石「こころ」の読みの解釈が本書にて展開されており、読んで私は安心するのだった。

筑摩書房「名指導書で読む・なつかしの高校国語」は必ずしも大学受験現代文の得点アップにつながるような厳密な受験参考書ではないが、若い時分に読んで高校生の思想文学への入口、また学校を卒業した社会人が後に読み返して本書タイトル通り「なつかしい」と喜んで再読したり、大人のための教養読者の学び直しとしても有益であることは確かだ。とりあえず本書を読んで私は、なぜか非常に爽快な良い気分に毎回なってしまう。

個人的な本書に関する笑いのツボは小林秀雄「無常ということ」の部分で、解説にて内容にはあまり深く突っ込まずに「本作は口ごもる文章である。短い文章だが、ひどくわかりにくい。いわゆる良文ではない。良文ではなくて名文なのだ」の旨を連発するところにある(笑)。確かに小林秀雄「無常ということ」に関しては「口ごもる文章である。短い文章だが、ひどくわかりにくい。いわゆる良文ではなくて名文なのだ」が適切な落とし所であるとは思う。

前述のように小林秀雄は説明過多を極度に嫌う人だから、小林の文筆には必ず書き手である小林自身の主張や本意があるが、それは読み手に伝わりにくい。本読みのプロである後の文芸批評家であっても小林秀雄の文筆の意図を掴(つか)みかねていたり、解釈に各人様々な捉え方の異論もある。仮に私が教壇に立って小林秀雄「無常ということ」を学生に教授するにしても、私も詳しい内容解説はせずに「口ごもる文章である。ひどくわかりにくい。いわゆる良文ではなくて名文なのだ」の文言で言葉を濁(にご)して逃げるだろう。高校生である10代の若者に対し、限られた授業の時間で小林秀雄「無常ということ」を深く掘り下げその内容をごまかしなく伝える自信も能力も、そもそも私にはないし、相当にうまくやっても「無常ということ」での小林の本意を過不足なく誤解なく明確に他人に伝えることは誰がやってもかなり困難だと思われる。そういった意味でも、小林秀雄「無常ということ」に関する本書解説での逃げ方の濁し方は絶妙であると思う。私は感心した。

大学受験参考書を読む(91)浦貴邑「現代文記述問題の解き方 『二つの図式』と『四つの定理』」  

大学受験現代文の記述式問題では、「何となくの漠然で書き出すな。必ず最初から記述解答のプランを持ち、書くべきことを確信を持ってから書き出せ」などの指導がよくなされる。河合塾講師による河合出版から出ている、浦貴邑・中崎学「現代文記述問題の解き方『二つの図式』と『四つの定理』」(2017年)は、そういったただ何となくの漠然で書き出さない現代文の記述式問題対策の優れた大学受験参考書である。

本書「現代文記述問題の解き方 『二つの図式』と『四つの定理』」のタイトルには、「記述の手順がわかって書ける!」の文句もある。「二つの図式」とか「四つの定理」など割合に細かく公式化して、それらがシステマティックにまとめられ、その図式と定理のシステムに従い順序立てて「記述の手順」作業を進めていけば、誰でも現代文の記述問題にて適切な解答記述の文章が作成できるの趣旨である。

本書は二部構成で最初の30ページほどで、かの「二つの図式」と「四つの定理」を柱とする記述解答作成の原理的な手順を「公理・定理・細則」に分けて方法論の概要としてまとめる、その上で次に残りのページで実践問題演習をやりがら、その「二つの図式」や「四つの定理」を実際に使ってみるの内容である。「二つの図式」と「四つの定理」の記述解答作成の原理的な手順は、本書の表紙カバー裏に一つの「公理」と四つの「定理」と三つの「細則」の「8つのルール」として、まとめて掲載されている。本参考書を購入するかどうか迷っている人は一度、表紙カバー裏を参照して参考にするとよい。

特に「二つの図式」に関しては、内容説明(「…とはどういうことか」)と、理由説明(「…というのはなぜか」)の問題形式にあえて絞り、その記述解答の方法を集中的に指導している。前者の「内容説明」については、問題傍線部を最初にいくつかの「説明要素」のブロックに分割して、傍線中にある指示語、抽象語、比喩表現らを一つ一つ丁寧に言い換えたり、新たに言葉を補って説明しなおす、すると結果「…とはどういうことか」の内容説明の設問要求に適切に答えた記述解答ができるという仕組みである。

後者の「理由説明」に関しては、問題傍線部の内容を因果の論理に引っ掛けて、本文全体の要約論旨や別の参照部分からの引用、また必ずしも問題文に明確に書かれてはいないが設問の問い方などから類推できる、因果関係(原因と結果の論理的つながり)における原因・背景(「…だから」「…であるため」)の内容を適切に補い、まず記述地点の「スタート」を決めて「論理的階段」で因果の論理をつなぎ順次書き入れて結果、「…というのはなぜか」の理由説明の設問要求に明確に答えた記述解答になるというわけである。

これら「内容説明」と「理由説明」の記述問題への書き方メソッドは割合、オーソドックスな普通によくやられている記述解答作成の方法である。私が知る所では、これと同じ記述解答指導を詳しくやっている現代文の大学受験参考書に今井健仁「現代文の解法・東京大学への道」(2009年)がある。

本書は現代文の記述式問題の解答文作成の順序的な具体的手順をシステマティックに「二つの図式」と「四つの定理」を通して示しており、その方法順序に従って解答文作成をしていけば、着実に「記述の手順がわかって書ける!」の目標に到達できる全般に大学受験現代文の優れた参考書といえる。ただ難点は傍線部の「内容説明」と「理由説明」のみを扱った内容であり、私が見るところ、大学入試の現代文記述には他の問いかけパターンや内容説明と理由説明以外の思考を使う問題(対立発想とか語句・意味のズラしとか解答記述文章の基本の型のあらかじめの設定など)、その他のものも数多くある。本参考書だけでは入試現代文の記述問題すべてに対応できるわけではないというのが、あえて言えば本書の難点か。

大学受験参考書を読む(90)中谷臣「センター世界史B 各駅停車」

昨今、世界史の大学受験参考書で「これはさすがに名著で人々に広く読まれるべきだ」とは思うが、絶版品切れで入手困難なため古書価格が異常に高騰して、なかなか入手して読めないのは、山村良橘「世界史年代記憶法」(1976年)と大久間慶四郎「大学への世界史の要点」(1976年)と中谷臣「センター世界史B・各駅停車」(2006年)の三冊になろうか。

私が学生の頃(1980年代から90年代にかけて)、例えば大久間慶四郎「大学への世界史の要点」などは街の書店の店頭に普通に新刊本があって、比較的廉価(れんか)の定価で誰でも簡単に購入できた。それが今では大久間「大学への世界史の要点」はほぼ入手不可能、たまに古書で出ていても驚くほどの相当な高値が付いて取り引きされているである。

最近どうやら絶版の大学受験参考書が人気であるらしい。昔に定価で書店に並んでいた大学受験参考書が現在では絶版品切れの入手困難なために一時的に人気沸騰し、かなりの高額で取り引きされている、この現象。絶版・品切の入手困難な昔の大学受験参考書が投機の対象になって、それをせどりして高額転売したり、またそうした絶版参考書を「収集(コレクション)」と称して相当な金額にて買い集めたりするのは、正直よくないと私は思っているのだが。

さて今回の特集「大学受験参考書を読む」で取り上げるのは、中谷臣「センター世界史B・各駅停車」である。本書は先に挙げた山村良橘「世界史年代記憶法」、大久間慶四郎「大学への世界史の要点」と並んで現在では絶版品切れの入手困難なため、古書価格がなかなかの高額となっている。私は本書を書店店頭で新刊本の比較的廉価の定価で、以前に購入した。

著者の中谷臣については、中谷「世界史論述練習帳new」(2009年)らの著作があり、この人は元は駿台予備学校の世界史科に所属で世界史に広く深く知悉(ちしつ)していて、氏による運営の「世界史教室」のサイトを私は前からよく参照していた。「世界史教室」のサイトを連続して読んでいるとそれとなく分かるが、中谷臣は駿台世界史科在籍時に同僚であり、(おそらくは)当時の直属の上司であった世界史講師の大岡俊明の影響を受けて、中谷が大岡に心的に傾倒しているフシが私には感じられた。駿台世界史科の大岡俊明の講義を私は実際に受けたことはないが、それでも「大岡俊明の世界史講義が素晴らしい」の噂を昔から聞いて、大岡俊明のことは知っていた。ゆえに中谷臣を「大岡俊明に続く本格な世界史を教える駿台予備校の人」と捉えて一目置き、一時期中谷が執筆の世界史の大学受験参考書をよく読んでいた時期が私にはあった。

中谷臣「センター世界史B・各駅停車」は、センター試験の世界史対策に最適な良書である。なぜ書籍タイトルが「世界史・各駅停車」であるかといえば、本書は国別の各国史の構成で、まず古代から近現代までの中国史をやり、次にインド史の古代から近現代までをやって、さらに古代オリエント史や西アジア史をやり、続いて古代のギリシアとローマから、中世を経て近現代のヨーロッパ史に移り、さらにはロシア史とアメリカ史の古代から近現代までを一冊ですべてやる構成となっており、その際の中国史やヨーロッパ史やアメリカ史をそれぞれ鉄道路線に例えて、各路線の本線と支線に沿って乗車する、まさに「各駅停車」でセンター世界史の各国とあらゆる時代の各項目を全てつぶしていくと、最終目的地の「合格駅」に到着するという趣旨から、このタイトルは来ている。中国史やヨーロッパ史ら基本で主要な鉄道「本線」に加えて、さらにそれら本線から枝分かれして分岐する朝鮮史や東南アジア史、アフリカ史や北欧史の細かな「支線」にまで乗車し踏破して「各駅停車」で世界各地域の各時代の歴史に網羅で丁寧に触れている。しかも政治史のみならず、文化史(芸術、建築、学問、文学ら)も各地域の全時代をカバーする周到さである。

本書冒頭のまえがき(本論記述によれば「改札口」)での著者の口上によれば、センター世界史、一回の試験で出てくる世界史用語は約300語であり、本書は過去問20年分のセンター世界史(本試験と追試験)の分析を踏まえて、センター試験に出る世界史用語の98パーセント前後は、この参考書に掲載されているという。これを逆に言えば、本参考書一冊をやってさえおけば、センター試験で出る世界史用語の98パーセント前後は確実にカバーできるわけである。

特に難関国公立大学志望の現役受験生で、試験科目が多く、英語や数学ら主要教科に時間を割(さ)いて重点的に勉強したいけれども、他方で世界史や日本史の地歴科目も、私大対策ほどに詳しく掘り下げて学ぶ必要はないが、二次試験へ進むための足切り回避のためにセンター試験でそこそこの点数を確保しておきたい、短時間で手っ取り早く効率的にセンター世界史対策をやりたい受験生に本書は最適である。とりあえず本参考書一冊だけに傾注してやっておけば、最短時間の最少労力でセンター試験・世界史にて、そこそこの得点は確保できるだろう。この意味で中谷臣「センター世界史B・各駅停車」は、確かにセンター試験の世界史対策に最適な良書といえる。

大学受験参考書を読む(89)茨木智志「詳説 世界史論述問題集」

「世界史論述練習帳」(2001年)や「センター世界史B各駅停車」(2006年)の大学受験参考書を出している元駿台予備学校・世界史科の中谷臣が自身のホームページ「世界史教室」にて、他の予備校講師が執筆の世界史の大学受験参考書を批評し採点していたことが以前にあった。中谷による各参考書への批評の評論は誠に厳しく辛辣(しんらつ)で、例えば河合塾の青木裕司「世界史B講義の実況中継」(2005年)シリーズ各本には、「世界史の歴史理解に明らかな間違いがあり、参考書解説の内容が正確ではない」とか、「こんな項目の事柄は実際の大学入試では問われない、ゆえに青木のこの参考書記述は受験生向けの参考書として適切でない」旨の相当に痛烈なダメ出しを、中谷臣は同業プロの世界史の予備校講師に連続してやっていた。

同様に、中谷が以前に所属で古巣の駿台予備学校の駿台文庫の江島明・鈴木晟「世界史論述問題集・45か条の論題」(2006年)や、その他山川出版の茨木智志・鳥越泰彦・三木健詞「詳説・世界史論述問題集」(2008年)に対しても、「場当たり的な解説と解答が主で、これら参考書は世界史論述の有機的な方法論を何ら教えない」旨の酷評がほとんどであった。このように世界史の大学受験参考書で、特に論述対策の書籍に対する中谷の他の参考書批評の批判の攻撃の筆致が異常に強くなるのは、中谷臣が添削の個別指導を出講の予備校のみならずネットを介して全国の受験生に対し大々的に当時からやっていて世界史論述の受験指導に自身が相当な実績の自信があるため、またその頃すでに中谷臣は「世界史論述練習帳」の自著の論述対策参考書を出しており、「自分が執筆の論述対策の世界史参考書は他のものと違い決して場当たり的ではない、毎回決まった手順確立の、世界史論述の有機的な方法論を教えることができている」の並々ならぬ自負があったからだと思われる。

茨木智志・鳥越泰彦・三木健詞「詳説・世界史論述問題集」は、私も昔から知っている世界史論述対策の大学受験参考書で、確かに中谷臣が痛烈批判するように「場当たり的な解説と解答が主で、この参考書は世界史論述の有機的な方法論を何ら教えない」の評価は妥当である気もするが、しかしそこまで激しく批判して低評価を下すこともないのでは、と当時より思ったものである。

山川出版の「詳説・世界史論述問題集」は昔からある世界史論述対策の参考書のさきがけで、本書の旧版の初版は1999年、2004年が初版の改訂版での著者らの「まえがき」には、「本書は、1999年に、大学受験対応の、本格的な論述問題集として刊行されました。当時、世界史の論述問題集は他にない状態でした。受験生の立場に立った使いやすくかつ歴史の本質が分かる問題集を作ろうとした編集者一同の志は、現在まで変わっておりません」とある。確かに昔は本格的な世界史論述対策の大学受験参考書は、まだなかった。本書「詳説・世界史論述問題集」以外に「当時、世界史の論述問題集は他にない状態」であったのだ。このことからも山川出版「詳説・世界史論述問題集」の画期の、かつて果たした時代の重要性を認めたい。

また同様に「まえがき」には次のようにもある。

「本書は、過去10数年にわたる大学入試問題を分析・検討した結果、最低これだけをやっておけばどんな問題にも応用がきくと思われるもののみを厳選して、作成しました」

このように「最低これだけをやっておけばどんな問題にも応用がきくと思われるもののみを厳選」と書いてはいるけれど、「厳選」と言いながら本書の収録問題数は類書の世界史論述問題集に比べて異常に多いのである(笑)。いずれも実際の大学入試に出た過去問の世界史論述であるが、通史で例題が全93題と練習問題が全84題、テーマ史で例題が全22題と練習問題が全17題で、収録問題数は何と!合計で216題の世界史論述問題を解説をつけての模範解答を載せて一挙に掲載。これだけの通史とテーマ史を含めた世界史論述の入試過去問に試験前に事前に目を通しておけば、的中ないしは類似問題に入試本番当日に遭遇する可能性は相当に高いはずであり見事、大学入試の世界史論述に間違えなく対応できると思われる。

山川出版「詳説・世界史論述問題集」に関し、中谷臣による「場当たり的な解説と解答が主で、この参考書は世界史論述の有機的な方法論を何ら教えない」旨の批判も、なるほど当てはまるような気もするが、とりあえず日頃から本書の模範解答を読んで、採点の際の加点要素や論述構成の大体のポイントを覚えておけば、どんな大学の世界史論述にもまずまず対応できるだろう。この意味で山川出版の茨木智志・鳥越泰彦・三木健詞「詳説・世界史論述問題集」は、私にはなかなかの良著で有益な世界史論述の大学受験参考書であると率直に思える。加えて本書は大学入試が終わった後に読んでも「教養の世界史」として大変に参考になり、勉強になるのである。