アメジローのつれづれ(集成)

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大学受験参考書を読む(93)花村太郎「知的トレーニングの技術 完全独習版」

近年、ちくま学芸文庫が昔の絶版の大学受験参考書を文庫サイズで復刻・再販させる試みを熱心にやっていたが、その中には厳密には大学受験参考書ではない、一般的な勉強法を指南する昔の著作も入っていた。「大学受験参考書を読む」のシリーズだが、今回は大学受験参考書ではなく、例外的に大学受験生以外の一般読者にも向けた勉強法指南の啓蒙書籍について書いてみたい。

今回取り上げる花村太郎「知的トレーニングの技術・完全独習版」(1980年、文庫本化は2015年)は、昔にあった雑誌「宝島」の別冊のムック本で、近年ちくま学芸文庫から復刻・再販されたものである。雑誌「宝島」は、古くは同人誌「ビックリハウス」を前身として、1980年代には発行部数も多く若者人気でよく読まれていたサブカルチャー誌である。私も1980年代は10代の中高生で、当時は音楽や映画やファッションや街中流行を広く発信していた雑誌「宝島」を定期でほぼ毎号読んでいた。別冊「宝島」のムック本は、雑誌に巻頭特集で掲載した好評企画に加筆・再編集して後日に別冊の書籍として改めて出すものである。そのため80年代初期の別冊宝島には、こなれた書きぶりで丁寧な内容充実の隠れた名著が数多くあったと私は記憶している。

花村太郎「知的トレーニングの技術・完全独習版」が発行された1980年代には、いわゆる「ニュー・アカデミズム」のブームがあって、近代化論やマルクス主義ら従来の正統学問とされるものから少し外れた、記号論や構造主義や文化人類学やメデイア論やサブカルチャー批評などの新たな学問が「ニューアカ」と称され、80年代の日本では流行していた。その時代には、ポストモダンな現代思想がもてはやされていたのである。そのため花村「知的トレーニングの技術」も、何のための「知的トレーニング」なのかといえば、本書を読む限り、当時に流行していたポストモダンな最新の現代思想の書物を各自で「完全独習」で読んで充分に学び、またそれらポストモダンな最新思想に基づいて発想し、あるいは文筆して知的生産活動を各人が自在にこなすための自己啓発的な勉強法全般に関する書籍なのであった。

よって、本書は学問を志(こころざ)して学を修めるための、最初の心構えの「立志術(志をたてる)」や、まさかのスランプに陥ったときの脱出法たる「ヤル気術(ヤル気を養う)」「気分管理術(愉快にやる)」、その他、効率的かつ濃密な情報・資料の集め方の「蒐集術(あつめる)」「探索術(さがす・しらべる)」、書斎ら理想的な学習環境整備のための「知の空間術(知的空間をもつ)」、そして勉強法の基本の柱となる書籍を読む「読書術(読む)」と文章作成の「執筆術(書く)」はもちろんのこと、さらには望ましい師・友人と出会い付き合うための「知的交流術(友を選ぶ・師を選ぶ)」など、「知的トレーニングの技術」獲得のための様々な分野の術(方法・技術)が一括パッケージで実に幅広く多岐に渡って周到に収録されている。

昨今のこの手の「知的生産技術」に関する本は、内容が主に読書論と文章論とに偏(かたよ)り小さくまとまりがちであるが、昔の書である花村太郎「知的トレーニングの技術」は、読書と執筆以外の様々な知的活動の項目に触れている所が素晴らしい。「青春病克服術(人生を設計する)」「発問・発想トレーニング法(問いかける)」「知的生産のための思考術(推理する)」などは、今読み返してみても大変に有用で大いに役立つのではないか。昨今では読書論と文章論以外での、立志術や気分転換法、モチベーション維持らの自学自習を進める上でのメンタルや発想法について述べまとめた書籍は、なかなか珍しいし貴重である。

花村太郎「知的トレーニングの技術・完全独習版」を読んでどうしても笑ってしまうのは、本論にての「知的××」語句の連発である。タイトルの「知的トレーニング」を始めとして、「知的スタート」「知的パッケージ」「知的スタイル」などの語がやたら連発される。この辺り、どうしても「知的であること=物事を広く深く知っていて多くの知識があること」を誇り、そのことに直接的に優越価値をおく思考である。「知的××」など、1980年代のポストモダンのニューアカ・ブームのとき以来の「知識があること、知的であることにあからさまに価値を認めて優越を措く」(本来、知識があったり知的であること、それ自体には何ら価値や優越はない。昨今人気の雑学クイズに即解答できる「インテリ」芸能人など、実にくだらない。噴飯である。あんなのは「インテリ」でも何でもない。ただ知識があるだけの単なる「もの知り博士」でしかない)著者らの態度が透けて見える、非常に恥ずかしい言葉遣いであるのだが。

他方、本書にて注目すべきは1980年代の不登校や校内暴力やいじめの学校内での荒れ方への対応・対策と、過酷な受験戦争の偏差値詰め込み教育に対する著者の反感・批判の意識が暗に強烈にあるらしく、そのため本論にて学校カリキュラムや教師の対面授業に頼らずに、各自が自由に「完全独習」を果たす「知的トレーニングの技術」を教授するに当たり、「価値創造が主で情報整理は従」「情報処理の技術にとどまらず、思想を理解し生み出すための技術の育成」とか、「自分一身から始めて等身大の知的スタイルの確立」「自立した知の職人をめざす」などのスローガン(目標)の文言が本論にて繰り返し多く並ぶ。単なる詰め込み型の暗記の技術や、偏差値が高い有名学校への合格進学や難関資格試験の合格取得に終始しない、本当の意味での創造的で批判意識を持った「知的であること」を志向し最終目標にしている所は本書の最良さであり、「知的トレーニングの技術・完全独習版」の著者たる花村太郎の並々ならぬ志の高さがうかがえる、といった具合である。