アメジローのつれづれ(集成)

アメリカン・ショートヘアのアメジローです。

特集ドイル(5)「シャーロック・ホームズの叡智」

コナン・ドイルの「シャーロック・ホームズ」を読むなら新潮文庫の延原謙の訳が最良だ。昔から定番であるし。しかし、他社文庫からもホームズ翻訳は出ていて、しかも近年ちくま書房が相当な本気を出して本格なホームズ全集を文庫で出した際には、本編小説以外にも挿し絵、詳細な脚注、詳しい解説評論など充実で、さすがにちくま文庫のホームズ全集全巻を大人買いで購入しようか戸惑ったが、結局やめた。昔から読み慣れている延原謙訳のホームズが好きで愛着があるから。

延原謙という人は、江戸川乱歩、横溝正史らと同時期に仕事をして雑誌「新青年」の編集長をやった人である。だからなのか、新潮文庫のホームズの延原の巻末解説を読んで個人的に深く思うところがあった。延原謙に対しては「江戸川乱歩、横溝正史らとともに探偵小説を日本に紹介して根付かせた偉大な先人」という尊敬の念が私にはある。

さて、「シャーロック・ホームズの叡智(えいち)」(1955年)である。もともと「叡智」というオリジナルな著作は本家ドイルにはない。これは日本の、否(いな)、ホームズを編集発売する新潮社の都合だ。すなわち「冒険」「思い出」「帰還」「事件簿」「最後の挨拶」の収録短編をそのまま訳して全部入れると文庫のページ数が多くなってしまうので、各書から数編割愛しなければならない。そこで、それら削られ掲載の見送られたものを後日「シャーロック・ホームズの叡智」という本を新たに編(あ)んで収録し、ホームズ短編の全作完全訳出で「シャーロック・ホームズ全集」の完成を期するという訳者の延原謙と編集発売元の新潮社の意図である。

(以下、「シャーロック・ホームズの叡智」各話の核心トリックに触れた「ネタばれ」です。「ホームズの叡智」を未読な方は、これから本作を読む楽しみがなくなりますので、ご注意下さい。)

「技師の親指」、これはいわゆる「奇妙な発端」のエピソードである。「ギリシャ語通訳」と話の内容がかなり似ている。読み所は、駅から技師を馬車で一味の贋金作りのアジトの屋敷に迎え入れて技師に水力ポンプの点検させるのに、技師は目隠しされ監視され幽閉状態で馬車に揺られた感触から駅から悪路を12マイルほど駆け抜けたと申告する。よって「駅から12マイル離れた所に贋金作りの屋敷はあったようだ」と証言した。しかし最初に駅に迎えに来たとき、馬が元気で疲れていなかった様子から実は一味の屋敷アジトは駅から12マイルも離れておらず、馬車は駅周辺をグルグル周って、アジトは案外の駅近くにあった。「6マイル行って6マイル戻る」、すなわち屋敷は駅近くの6マイルのところにあるとホームズが推理するところだ。

「緑柱石の宝冠」と「ライゲードの大地主」は、ともに探偵小説の基本のような話で、物的証拠に基づいた丹念な推理の積み重ね、事件関係人物の心情の丁寧な読み込みで犯人を絞り込んでいく。「緑柱石の宝冠」は冒頭に「からりと晴れた二月…前の日まで雪がまだ地上を厚く覆っており」の記述をさり気なく、しかししっかり入れることにより、後半の「雪の上の足跡」からの事件解決につなげる、あらかじめのドイルの周到な書きぶりが好印象を残す。「ライゲードの大地主」は筆跡から、その人の年齢や性格や対人関係などを見抜くホームズの推察手腕が面白いし興味深い。

「ノーウッドの建築士」は、非常によくできていると思う。私の中ではホームズ短編の中でベスト3の上位に入る。だいたい探偵小説が好きな人は、黒こげの焼死体、顔が恐ろしく毀損(きそん)した遺体、首が切断された遺体など、いわゆる「顔のない死体」に普通に興奮する。確かに非人道的でグロテスクであるが、少なくとも私はそうだ(笑)。探偵小説にて、これは定番なのだけれど「顔のない」身元判別不能の死体で服装らから被害者と推定される人物が本当は加害者で生存している、いや被害者と加害者の入れ替わりと思わせといて、実は入れ替わりはなく被害者と最初に目された人物が、そのまま身元判別不明死体、いやいや加害者と被害者は共犯で、ともに生きていて判別不能の遺体は全く関係ない第三者、果ては被害者と加害者が同一人物の一人二役で、やはり遺体は関係ない第三者などの荒技が飛び出すほど、古今東西「顔のない死体」の話のパターンはたくさんあって「密室殺人」と同様、多くの作家が挑戦している。

「ノーウッドの建築士」の場合、放火殺人で焼跡から黒焦げの死体が発見される。ある人物を犯罪者に陥れるための「建築士」の策略で、黒焦げ焼死体で亡くなったと思われた身元不明遺体が「建築士」ではなかった、つまりは「ノーウッドの建築士」は犯罪の黒幕で実は生きていて、身元判別不能死体を自分に思わせて、ある人物を加害者の冤罪(えんざい)に仕立た。その際に「建築士」が隠れた場所が自宅屋敷の隠し部屋で、「建築士」だからこそできる自宅屋敷に隠しからくり部屋を密かに作る細工である。だから、隠れ場所のネタばれのヒントは最初から題名タイトル「ノーウッドの建築士」の中のズバリ「建築士」という言葉に堂々とさらされてある。それで未読のときはタイトルに含まれた、この「建築士」の言葉の意味に全く気づかないのに、読了すると「あー確かに。なるほど建築士だ」とニヤリとなる仕掛けが素晴らしい。

あと犯罪の完璧を期すために出来心からの計画外の「現場に指紋を残す細工」で建築士が逆に墓穴を掘って、たくらみが破綻するところ。その他、汽車の中で遺言状を書いたため字が不規則に乱れる、つまりは列車が停車のときは手元が安定してるので字がきれいだが、列車が動いてポイント通過の時には手元が揺れて字が乱れ乱雑になる現象など、短編の中に様々な読ませる要素を盛り込んでおり、繰り返しになるが「素晴らしい!」としか言いようがない。

「三人の学生」は、試験問題盗難事件のエピソードだ。盗難現場に残された「ピラミッド型の土のかたまり」の物証が何とも言えない「奇妙な味」で、この不思議で奇妙な「土のかたまり」の由来を遡(さかのぼ)ると「三人の学生」のうちから試験盗難の犯人がわかる、いわゆる「奇妙な味」が魅力の話である。「スリー・クォーターの失踪」は、あまり探偵推理要素はなく、何かフタを開けてみたら単なる人情話のよい話のような。身内や周囲のチームメイトに黙って秘密に結婚していた「スリー・クォーター」が、病気の妻の容態がよくないので人知れず看病に行って「失踪」という顛末の話だ。

コナン・ドイルという人は、常識的な作家で殺人事件を書く場合でも強烈で残忍な遺体や殺し方、陰湿で不義な人間模様は極力避けて、穏健さわやかで人道的な内容に落ち着き決着するよう意識して書いているフシがある。なるべく扇情的にならないよう工夫し努力している。そんなドイルによるホームズ短編の中で「ショスコム荘」と「隠居絵具屋」は例外で、やや残忍で荒涼とした陰鬱な感がある。「ショスコム荘」は、亡くなった人間に身替わりを立てて演じさせるが「近所の人、すなわち周囲の人間は騙(だま)せても、動物の飼い犬は騙せない」というオチの仕掛け、「隠居絵具屋」は「ガスの殺人でガスの悪臭をごまかすのに、屋敷にペンキを塗ってペンキの臭いで」というところが読み所である。「隠居絵具屋」の、密室に誘い込んでガスを充満させて殺害する手口がドイルらしからぬ非情で残虐冷酷な犯罪であり、ホームズ・シリーズの中では案外に異色で珍しい。