アメジローのつれづれ(集成)

アメリカン・ショートヘアのアメジローです。

江戸川乱歩 礼賛(3)「心理試験」

江戸川乱歩「心理試験」(1925年)は初期の短編であり、私が好きな乱歩作品だ。主人公が「心理試験」の裏をかこうとして、逆に自身の無意識の心理によって墓穴を掘る話である。

読み所は、悪知恵で工夫を凝らす主人公が自ら無意識のうちに墓穴を掘り最終的に犯人と断定される、犯行が合理的にばれる倒叙推理の道筋の鮮(あざ)やかさにあるわけで、「心理試験」は犯人である主人公が一見優秀なのだが、「屋根裏の散歩者」(1925年)や「人間椅子」(1925年)と同様、実はやや間抜けで与太郎っぽい馬鹿なところが面白いと私は思う。

(以下、「心理試験」の話の内容に詳しく触れた「ネタばれ」です。乱歩の「心理試験」を未読な方は、これから本作を読む楽しみがなくなりますので、ご注意下さい。)

話の内容はこうだ。大学生(苦学生)の主人公が、金を貯め込んでいると近所で噂の金貸しの老婆を殺害して、その金を奪う。その後、容疑者の一人として引っ張られて、検事による「心理試験」を受けることになる。この「心理試験」とは、事件に関係ある言葉をいくつか混ぜておいて順不同で多くの単語(刺激語)を試験官が述べる。そして被験者は、その単語から連想する言葉(反応語)を素早く答える。事件に関する単語が出てきて、そこで応答の反応が遅れたり不自然に言葉に詰まったりすると、これは心理的緊張のせいで「事件に関係している。犯行に手を染めている証拠」となるわけである。

しかし主人公は、この「心理試験」が実施されることを知って事前に練習する。事件関連の単語が出たときに、しどろもどろにならず動揺せずに、あたかも「自分は事件には関係していない」の平静を装えるように。例えば「殺す」といった単語を試験官が出す。すると、ここではナイフによる刺殺で老婆が殺害されていることを事件後の新聞報道で自分は知っているという設定にして(本当は被験者の主人公が自分でナイフで老婆を実際に殺してるのだが)、あえて「ナイフ」と動揺せずスムーズに自然に答える必要があるわけだ。この要領で本番の「心理試験」にて、おそらく出されるであろう事件関連の刺激語を予想しピックアップして「この刺激語が来たら、この反応語で冷静に答える」という練習をしておく。それで本番の「心理試験」では事前の練習の甲斐あって実にうまく自然に答えられ、絶対に自分は怪しまれないと自信を深めていたのだが。

ここで探偵の明智小五郎が出てきて、「心理試験」の結果に疑問をはさむ。それは事件関連の刺激語に対してのみ、主人公の被験者の反応速度が、むしろ不自然なまでに異常に速いことである。それはそうだ(笑)。主人公は「怪しまれないように事件関連の刺激語に対しては、絶対に反応が遅れてはいけない」という無意識下の心理的圧迫があり、しかも「事件関連の刺激語が来た時には反応語として何を答えるか」事前に決めて十分に応答の練習を重ねているので、ついつい早く答えてしまう。馬鹿だなぁ(笑)。

そして、刺激語の「絵」に「屏風」と無意識に反応して答えてしまい、明智君の誘導尋問に乗って「そういえば屏風は前から老婆の家の床の間にありました」と証言する。しかし、その屏風は事件前日に殺害現場に初めて持ち込まれたものだった。主人公は老婆を殺害する瞬間に前日に持ち込まれた屏風を現場で瞬間的に見ていて、無意識のうちに答えてしまったのだ。それで「心理試験」における「絵」から「屏風」の連想が「殺害現場に居合わせて犯罪を実行した者しか知り得ない事柄」の、いわゆる「秘密の告白」になって犯行がばれ犯人に確定してしまう。

「心理試験」は苦学の青年が守銭奴な金貸し老婆を殺害してお金を盗む話で、読み初めは一見ドストエフスキー「罪と罰」(1866年)のようなシリアスさである。「あのおいぼれが、そんな大金を持っているということになんの価値がある。それをおれのような未来のある青年の学資に使用するのは、きわめて合理的なことではないか」といった犯罪動機に関する記述描写も本文中にある。だが、途中から推理ものになって、読後には何だか与太郎の馬鹿話っぽい絶妙な後味が残る。「心理試験」の対策で事前に十分に練習して、しかし練習しすぎて(笑)、逆に自ら墓穴を掘ってボロが出て怪しまれ、さらに殺害現場で当日に目にしたことの無意識な応答告白で犯行がばれてしまう。一見、頭のよい優秀な犯人に見えるが、その練習努力が逆効果で裏目に出るところと最後の最後で自身の無意識に足元をすくわれるところが、ちょっと馬鹿っぽい。

江戸川乱歩「心理試験」は非常に面白いコクがあって味のある作品だ。