アメジローのつれづれ(集成)

アメリカン・ショートヘアのアメジローです。

東京スカパラダイスオーケストラ大百科(14)「Ska Evangelists On The Run」(大森はじめ)

「東京スカパラダイスオーケストラ」の「Ska・Evangelists・On・The・Run」は、ドキュメントとライヴ2本を収録の映像作品でDVDで出ている。「一時期の激動のスカパラ」を象徴し如実に物語る、スカパラ・ファンには必見の映像作品だと思う。とにかく、アルバム「Arkestra」のリハーサル密着から始まる追跡ドキュメントやメンバー各自へのインタビューや本編ライヴやらで収録時間が異常に長い。おそらく制作者側の、ことごとくバンド・アクシデントに翻弄され続けた以下のような事情があったと推測される。

アルバム「Arkestra」を制作にあたり杉村ルイが新加入してスカパラが新体制に入ったから、「ツアー・リハーサルから密着してライヴ本編も収録した映像作品を作りましょう」。しかし「Arkestra」のツアー後に杉村ルイが電撃脱退。「カメラ止めずにそのまま回し続けて、ルイ脱退に関するメンバーのインタビュー収録しろ」。さらにドラムの青木達之が急逝。「今度は青木さんについてのメンバーのコメント収録しろ」。それから、どうやらスカパラは青木達之がいない最悪の状況でも「荒野を走る」ツアーを中止せずにドラムのサポートを立てて強引にやりきるらしい。「こりゃあ、もうツアー最終日のライヴ、ノーカット完全版で入れるしかないでしょ」。そして最後にスカパラ・メンバー全員に「自分にとって音楽とは何か?」「自分にとってスカパラとは?」の質問をやって、その回答を収めて長い長い映像作品は終わる。

東京スカパラダイスオーケストラというバンドは多人数で活動歴も長いから、その都度いろいろなことがある。ギターの林昌幸がバックれ気味にスカパラを辞めて突然来なくなってライヴ当日にギターがいなくて大変とか、バンマスのASA-CHANGが途中から鬱(うつ)に入って「バンド脱退します」「スカパラ解散しましょう」勧告とか、フロントのクリーンヘッド・ギムラが闘病でバンド復帰を果たせず逝去とか、アルトサックスでチキの冷牟田竜之がバイクで事故って重傷の後に復活とか、ギムラの弟の杉村ルイをボーカルの正式なフロント・メンバーに迎えたけれど、まもなく脱退とか、ドラムの青木達之の、あまりにも急で早すぎる突然の逝去など。本編インタビューでもナーゴが言っている。「僕がファンだったらね、単純に端からスカパラ見ててホントいろんなことがあってすげー大変だなーって思う。でも、途中で辞めることは簡単なんですよね。前に進んで続けようとすることに意味があるんであって、ファンの人も大変だと思うけど、そこについて来て欲しい」というようなこと。

ラストで亡くなった青木達之が「自分にとってスカパラとは?」の質問に何と答えているのか、そこが、ひとつの見どころだとは思う。あと、この時期はまだギターの加藤隆志が正式メンバーではなくサポートのメンバーだったので、彼のインタビュー映像が入っていなくて加藤隆志ファンの方には、ちょっと残念な映像作品なのかもしれない。

2本収録のライヴのうち、最後の完全版「荒野を走る」ツアーファイルは歴代のスカパラ・ライヴの中でも完全アクトの完璧に近い、かなりの出来だ。青木達之の代わりに元「ブランキー・ジェット・シティー」(Blankey・Jet・City)の中村達也をドラムのサポートで入れて、ライヴ始まりの最初に中村だけ1人ステージに上がり、スカパラ・ファンに対し挨拶代わりに無心にドカドカとドラムを叩く。当日も中村達也のドラムは全般にスゴく走っている。冷牟田竜之も、この時はケガからの復帰まもないけれど足の調子は良さそうだし、普通に立ってジャンプもしている。「Tin・Tin・Deo」の途中で演奏止めて音を消して、しばし沈黙のタメも長くてタイミングもよいし、必殺の「モンスター・ロック」はアンコールまで温存せず早い段階で演奏して初っぱなから飛ばすセトリになっている。「スカパラの面々、気合い入ってるな」と思う。やはり、青木達之が突然いなくなってもツアーを中止せずに無理やり強行してやりきった精神的にもギリギリに追い詰められた極限状態の中での敢行ライヴだったので、「図(はか)らずも音楽の神が降りてきた」ような、ライヴ当日はスカパラを含む会場全体に神がかったところがあったと思う。

ライヴの見どころを全部言ってしまうとキリがないので。ただ「インターセプター」の最後のナーゴ登場で荒れ狂うトランペット・ソロと、アンコールの「スキャラバン」における沖祐市による往年の「背面キーボード抱え」は必見であり、「歴代スカパラ・ライヴの中でも近年希(まれ)に見る本当に素晴らしいライヴ・アクトである」とだけ最後に言わせもらいたい。

大森はじめさんのことなど。パーカッション担当。彼は、さわやかで優しい感じがして、確かにこの人は女性にモテると思う。ライヴでのメンバー紹介の時、大森とナーゴの時は特に女性の方の歓声が大きいような気がする。そしてガモウの時は、なぜか男の叫び声と爆笑の渦が起きる。ガモウはオチか(笑)。

私が最初に大森はじめを実際に見たのは、スカパラに正式に新加入して間もなくのツアー頃、神戸のライヴハウス「チキンジョージ」だった。ちょうどアルバム「グランプリ」を発表後くらいで、「今度新しく入ったパーカッションの大森です。よろしく」のようなMCをやって挨拶代わりにアルバム収録の小沢健二がやっていたカバー曲「しらけちまうぜ」を大森はじめはスカパラの演奏で歌っていた。神戸のチキンジョージは1995年の阪神・淡路大震災で被災し建物も倒壊の被害を受けて、しばらく休業した後に復活した。だから、地元の音楽ファンの方も含めて皆が特に思い入れがある。実際にスカパラのメンバーも、「全国にたくさんある箱の中で神戸のチキンジョージは大好きな小屋のうちの一つ」と言っていたし、昔はクラブツアーで関西でライヴをやるときは2日連続でスカパラは、いつもチキンジョージを公演スケジュールに入れていた。

大森はじめといえば、以前に吉本興業のお笑い芸人とコラボで「世界の国からスカにちわ」という野外イベントをやった時があって、その時に「雨上がり決死隊」の宮迫博之に激しくツッこまれて肋骨を折る。それで宮迫は大森に平謝りという。スカパラの面々は案外お笑い好きで、前にも「東京スカパラダイス新喜劇」をやって吉本新喜劇とコラボで舞台に上がったりしていた。ナーゴがカップミュートのトランペットで、例の吉本新喜劇のテーマ音楽をファンキーに吹いたり。

ドキュメント「Ska・Evangelists・On・The・Run」を観ていると、大森はじめは青木達之のことを「今まで接してきたなかで文句なく世界で一番好きなドラマー」といい、またスカパラのことを「今までやってきた中で一番好きなバンド」という。「あーこの人は自身の肯定評価や賞賛の意を表す時、『世界で一番』とか『今までで一番』など常に最上級の表現を多用する人なんだな」と私は思った(笑)。

前任のパーカッションのASA-CHANGは、どちらかと言えば「三枚目キャラ」で、常に貪欲に笑いを狙っているところがあった。スカパラ・スーツにシルクハットをかぶって高校野球の甲子園のアルプス・スタンドで応援団が叩くようなデカい太鼓を担いでステージ前に来たり、笑顔で陽気にマラカスを鳴らしたり、「ここぞ!」という時に派手にシンバルをガシャーンと鳴らして皆の注目を集めて一人だけ美味しい所を持って行くような。そうした三枚目で面白路線のASA-CHANGと比べると、大森はじめはスマートでカッコよいパーカッショニストの印象だ。

以前、冷牟田竜之がケガで出られない時に大森が代わりにマイクを持って前に来てステージ上で側転しながらチキをやったりして、「大森さん、身体がキレて運動神経いいな」。あと「ジャスト・ア・リトル・ビット・オブ・ユア・ソウル」冒頭の彼のコンガで意味なくタメるところ(笑)。はたまた「ストローク・オブ・フェイト」でのコンガの連打が好きだ。またカメラが入った映像収録ライヴでの異常に抜け目なく常にカメラ目線を狙っている大森はじめに私は、いつも爆笑する。