アメジローのつれづれ(集成)

アメリカン・ショートヘアのアメジローです。

特集ルブラン(1)「怪盗紳士リュパン」

モーリス・ルブランの「アルセーヌ・リュパン」は長編と短編共に作品数も多く今でこそ人気のシリーズだが、リュパンのデビュー作、第一作目「アルセーヌ・リュパンの逮捕」発表前夜には、およそ以下のような事情があったといわれている。

ルブランが短編「アルセーヌ・リュパンの逮捕」を書き上げて編集部に持ち込んだところ、編集長は「傑作だけど雑誌には載せない」、しかし「同じ登場人物の作品を十編くらい書いたら連載を約束する」と言った。それで(おそらく)ルブランは困る。最初の第一作目がタイトル通り「アルセーヌ・リュパンの逮捕」で、「不覚にも逮捕されてしまったリュパン」からのマイナス・スタートになるから。

しかしながら、さすがはルブランである。デビュー第一作で「逮捕」されても、次に「獄中のアルセーヌ・リュパン」、続いて「アルセーヌ・リュパンの脱走」と続々と書き足し、見事に話をつなげてシリーズ化の発動を上手くやってのける。しかも後々シリーズ化されたリュパンを振り返ってみたら、リュパン顔見せ第一作目のデビュー作が「あの大怪盗リュパンが逮捕。だが、後に軽々と脱走を果たす」という失策「逮捕」のマイナスからのスタートを「獄中」よりの犯罪完遂、そして華麗なる「脱走」の成功へとつなげプラスに反転させて見事「怪盗紳士リュパン」(1905年)の神出鬼没さに箔(はく)をつける。誠に結果オーライなインパクトあるシリーズの始まりに仕立てあげる。

モーリス・ルブランという人は筆の力がある。ともかく無尽な構想力があって、どんな不利な状況であっても話の破綻なく、物語が盛り上がるよう自在に書き継いでいける人である。事実、もともとルブランはリュパン・シリーズの推理ミステリーにのみ専門特化した人ではなくて、昔からその他、心理小説や恋愛物や歴史物など様々な分野の小説を書いていた多彩な人であった。

(以下、短編集「怪盗紳士リュパン」の核心トリックに触れた「ネタばれ」です。ルブランの「怪盗紳士リュパン」を未読な方は、これから本作を読む楽しみがなくなりますので、ご注意下さい。)

まずは、リュパンのデビュー作「アルセーヌ・リュパンの逮捕」である。前述の通り、初回でいきなり「逮捕」だから(笑)。初回からデイレッタントな風流人で叡智・機転のウイットに富む、おまけに変装の名人でもある、このように神出鬼没なアルセーヌ・リュパンのキャラクターをしっかり書き込んでいる所、さらにはリュパン逮捕に執念を燃やす宿敵・ガニマール警部の設定など最初からソツなくやる所、非常にルブランに好感が持てる。また盗品の宝石の行方の運命を好きな女性、ネリー嬢にあえて託すリュパンの判断も賢明だ。それからネリー嬢が「わざと宝石の入ったコンタック・カメラを海に落とす」、リュパンに惚れてるがゆえに遂行する恋する女性の心理が読み所である。

あと、いきなりのネタばれで申し訳ないが、これは叙述トリック、いわゆる「信頼できない語り手」パターンの話である。「一人称の物語の語り手が実は犯人である」という。「アルセーヌ・リュパンの逮捕」の場合、物語の語り手の「ぼく」が他ならぬ犯人のリュパンである。この叙述トリックの「信頼できない語り手」は、アガサ・クリスティが「アクロイド殺し」(1926年)で散々に派手にやり、本格推理にあって「あれはペテンだ!アンフェアだ!」の批判・攻撃を受ける。

私は、叙述トリックは昔から案外好きなのだけれど。叙述トリックの場合、小説の記述者たる話の語り手がそのまま犯人なので、平面的な文字による小説記述なのに叙述が立体的に飛び出して犯人が読み手の自分に直接に実際に語りかけ迫って来るような感じがして好きだ。ただ叙述トリックは常に一人称語りで形式に特色があるため、探偵推理やミステリーで一人称語りが来た場合、「もしかしたら、これは叙述トリックの信頼できない語り手かも!?」と最初から簡単に見抜かれ早くもネタばれしてしまうパターンが多く、そこが難点といえる。

続いて「獄中のアルセーヌ・リュパン」、これは「逮捕」で、すでに「獄中」にいるにもかかわらず、刑務所から美術品盗難の犯行予告を出して、まんまとリュパンがお宝を頂戴する誠に痛快な話だ。獄中で身柄を拘束されているのに、「リュパンに不可能はない。必ず予告通り盗み出してみせる」といった心理的圧迫のプレッシャーをリュパンが相手にかけ続け、見事に心理の盲点をついて「間接的に」獄中のリュパンが盗難を成功させる大胆な計画と巧妙な手口である。最後に相手と交渉して盗難美術品をわざわざ買い取らせ「不起訴」にする、決して公の美術品盗難事件にまで発展させない、ガニマール警部の捜査の手を事前に封じるリュパンの先を読んだ手並みも実に見事で痛快だ。

そして「アルセーヌ・リュパンの脱走」である。これも「獄中」とトリックの手口が似ている。「リュパンは必ず絶対に脱走する」と自ら公言し、ガニマール警部に心理的プレッシャーを与え、さらに「リュパンなら必ずや脱走に成功するに違いない」という世間の人々の期待を逆手にとって利用し、ガニマールを心理的錯覚に追い込む。実に素晴らしい。こうした「一度拘束されるが、獄中からの脱獄を公言し、その通りまんまと軽々と脱走してみせる話」といえば、例えばフットレルの「思考機械の事件簿」の中の「十三号独房の問題」(1908年)など昔から古典で有名だが、フットレルのやや偶発的で幸運頼りな機械的で物質的手口の脱獄よりは、ルブランの心理的錯覚を利用した「アルセーヌ・リュパンの脱走」の方が「見事にやられた」読後の爽快感があって私は好きである。

「奇怪な旅行者」は、これまた「アルセーヌ・リュパンの逮捕」と同様な叙述トリックだ。逃亡中と目される偽のアルセーヌ・リュパンを本物のリュパンである語り手の「ぼく」が、警官を指揮して別の事件の凶悪犯人を捕まえさせる「リュバンの警察協力」な展開が秀逸である。

「女王の首飾り」はアルセーヌ・リュパン、幼少時の初めての犯罪デビュー戦の告白の話である。密室盗難な話だ。密室の定番錯覚で、「大人は出入りできないが、小さな子どもなら密室に自由に出入りできる」という盲点を突いた密室トリックである。

「ハートの7」は、「ルブランがドイルのシャーロック・ホームズ短編を研究し尽くして書いたのでは」とさえ思われる、ホームズの「ブルースパーティントン設計書」(1908年)に非常によく似た話だ。最高機密であるフランスの新型潜水艦「ハートの7」建造の秘密設計書の盗難をめぐる事件であり、リュパン活躍譚を後に発表することになる、ホームズ・シリーズでのワトソンの役回りに当たる、後にリュパンの友人になるの男の家に知らない男性が訪問し、「お宅の屋敷の部屋を見せてくれ、そしてしばらく一人にさせてくれ」と懇願し入室して、そのまま拳銃自殺してしまう。冒頭から本家ドイルのホームズにも匹敵する不可解な「奇妙な発端」で一気に話に引き込まれる。

「彷徨する死霊」は、無駄な記述がほとんどない非常に良くまとまった好短編だ。話に全くの破綻がなく、特に犯人の犯行動機の説明が合理的で辻褄が合っており素晴らしい。しかも、タイトル「彷徨する死霊」のつけ方が絶妙である。令嬢殺人未遂の意外な犯人とは。

「遅かりしシャーロック・ホームズ」は文字通り、リュパンとホームズの対決エピソードで、フランス代表のリュパンとイギリス代表のホームズの仏英直接対決のアイデアは良いのだが、ルブランが書くから当然リュパンがホームズに勝つ展開だし(笑)、作中に出てくるシャーロック・ホームズも、ドイルがいつも書いてるホームズと似て非なる印象というか全くの別人で、「ハートの7」とは対照的に「この『遅かりしシャーロック・ホームズ』に関しルブランは、あまりドイルのホームズを真剣に読んで研究してないのでは!?」と思わせて全く物足りない。ドイル執筆の本家ホームズとは全く似てないホームズとワトソンであり、ルブランのホームズ描写の不適切さに私は不満が残る。

だいいち、この「遅かりしシャーロック・ホームズ」の短編を書くのに「ルブランはドイル本人やその版元の出版社に、たぶん許可を取っていないだろう。絶対に無許可で勝手に書いてるだろう」と私は思う(笑)。同様に長編リュパンにも「リュパン対ホームズ」はある。