アメジローのつれづれ(集成)

アメリカン・ショートヘアのアメジローです。

太宰治を読む(3)「眉山」「お伽草紙」

太宰治といえば「人間失格」(1948年)を書いた人で、何度も自殺未遂を繰り返し五度目の心中にていよいよ逝(い)ってしまった、何だかいつも「生れてすみません」などと言っているような陰気で暗い友人もいない孤独な人のように思われがちだが、実はそうではない。実際はそういったイメージとは全く逆の人で、太宰治は陽気で友達も多く彼の家には常に編集者や弟子志願の若者がやって来て、みんなで酒を飲んでわいわいやったり、仲間と出歩き飲み歩くような非常に賑(にぎ)やかで交遊好きな人だった。

以前に講談社文芸文庫が「戦後短篇小説再発見」の最初のシリーズを出した時、第一巻の最初の読み始めの冠(かんむり)となる「戦後短編小説」が、太宰治「眉山(びざん)」(1948年)だった。太宰の「眉山」は、戦時中の物資が少ない時代に太宰と思われる主人公ら酒飲み仲間の悪友たちが飲ませてくれる酒を求め底無しで入り浸たっている飲み屋の女中の話で、一読して大変に心に残る好短編である。日頃から交遊が盛んで社交的で賑やかな人付き合いが好き、おまけにお酒も大好きな(笑)、太宰治の日常を窺(うかが)い知ることのできる好作品になっている。

そうした太宰治の「人間失格」の陰とは異なる陽の側面、彼の陽気なコメディ気質が遺憾なく発揮された作品ばかりを集めて編(あ)んだものに木田元「太宰治・滑稽小説集」(2003年)がある。あのアンソロジーは必読だ。「太宰治・滑稽小説集」にも一部収録されている太宰治「お伽草紙」(1945年)、この「お伽草紙」は、さらに四つの短編「瘤取り」「浦島さん」「カチカチ山」「舌切雀」からなり、日本の童話の昔話を太宰が面白おかしく話を膨(ふく)らませてアレンジしたパロディ滑稽小説になっている。その四編ともが、いずれもハズレなしに面白い。確実に大爆笑できる。ゆえにお薦めである。

まず押さえておきたいのは、この「お伽草紙」は戦時中に執筆の作品であり、連日連夜の東京大空襲で防空壕に太宰が自分の子どもを担いで家族で避難する間、その狭い暗い防空壕の中で昔話絵本の読み聞かせをせがむ娘さんに絵本を開きながら、小説家の太宰が「お伽草紙」の滑稽パロディの構想をせっせと練(ね)っていたことである。空襲の中、防空壕に直撃してそのまま家族もろとも生き埋めで亡くなってしまうかもしれない。もしくは今頃は家屋敷も家財道具も一切燃え尽くしているかもしれない。そうした生死の境(さかい)の最悪な極限状況にて、太宰治は防空壕の中で娘さんに昔話絵本の読み聞かせをやりながら「お伽草紙」の構想を練る。しかも、その内容は滑稽小説の喜劇のコメディである。「想像力さえあれば、どんな状況下でも、たとえ生死の境の極限状況であっても文学はできる」。そういった「文学の底力」を太宰の「お伽草紙」から私は感じずにはいられない。

「お伽草紙」は話の最後のオチまであらかじめ周到に考え、計算づくで太宰が全て書き抜いている。太宰治の小説の上手さに私は思わず、うなってしまう。すなわち、「瘤取り」なら「性格の悲喜劇というものです。人間生活の底には、いつも、この問題が流れています」。「浦島さん」では「(竜宮城のお土産あけたら)たちまち三百年の年月と、忘却である。…日本のお伽噺には、このような深い慈悲がある」。「カチカチ山」なら「曰く、惚(ほ)れたが悪いか」。「舌切雀」では「幽(かす)かに苦笑して、『いや、女房のおかげです。あれには、苦労をかけました。』と言ったそうだ」。すべての話の最後に傑作なオチがことごとく付いており、滑稽小説の下げとして非常によく出来ている。

さて一般にコメディの滑稽小説といった場合、「どこの何で読者を笑わせるか」その常套(じょうとう)パターンがいくつかあるわけで、例えば話の設定や内容展開が奇抜で先が読めない時に現実離れしたシュールな設定で笑いを誘う。はたまた登場人物のキャラクターの発言や動作が奇抜で面白くて思わず笑ってしまう。その他、筆者の記述が大げさや説明過剰、独特なおかしい言い回しで読み手を笑わせるなどがある。太宰の「お伽草紙」は、登場人物の発言や行動が面白くて思わず笑ってしまうパターンに属すると思う。しかも、登場人物の面白さは読者に現実の作者、太宰治その人を彷彿(ほうふつ)とさせる、現代風の俗な言い方をすれば明らかな「自虐ネタ」である。

例えば「瘤取り」なら、家庭内で孤立して肩身の狭い酒飲みダメ亭主の孤独である。「現実の太宰も家庭内で日常的に酒飲みゆえに孤独であったろう」と感じさせるフシは彼の他作品、例えば「桜桃」(1948年)にての「この、お乳とお乳の間に、涙の谷…」の家族の食卓記述から読み取れるところだ。そして、「瘤取り」での家庭内で孤立して孤独な酒飲みのお爺さんの自虐な言動が、現実作者の太宰と上手い具合に読み手の中で重なり、読者の笑いを引き出す絶妙なコメディとなっている。

また例えば「浦島さん」の浦島太郎ならば、太宰の「浦島さん」は、地方の地主の息子で家族・親族一同から内心馬鹿にされている、少し間の抜けた根は善良な人の良い男である。地方の地主の息子で、上流の教養を好み風流の士を気取り、しかし生活能力がないため家族・親族から内心馬鹿にされ…「浦島さん」は、現実の太宰治そのものではないか(笑)。以下は、そんな「浦島さん」に助けられた亀が浦島太郎をあからさまに馬鹿にするおもしろ毒舌である。

「せっかく助けてやったは恐れいる。紳士は、これだから、いやさ。…あなたが私を助けてくれたのは、私が亀で、そうして、いじめている相手は子供だったからでしょう。亀と子供じゃあ、その間にはいって仲裁しても、あとくされがありませんからね。それに、子供たちには、五文のお金でも大金ですからね。しかし、まあ、五文とは値切ったものだ。私は、も少し出すかと思った。あなたのケチには、呆れましたよ。私のからだの値段が、たった五文かと思ったら、私は情け無かったね。それにしてもあの時、相手が亀と子供だったから、あなたは五文でも出して仲裁したんだ。まあ、気まぐれだね。しかし、あの時の相手が亀と子供ではなく、まあ、たとえば荒くれた漁師が病気の乞食をいじめていたのだったら、あなたは、五文はおろか、一文だって出さず、いや、ただ顔をしかめて急ぎ足で通り過ぎたに違いないんだ」

竜宮城の亀のスゴい毒舌だ(笑)。太宰は青森から東京に出て、東京で小説を書いて文学者として成功したくてしょうがない。しかし、左翼の非合法活動やらクスリの中毒やら女性との心中自殺未遂の繰り返しで、その都度、青森の実家から助けてもらう。その際、例えば「人間失格」にて、主人公の大葉葉蔵が郷土の世話人であるヒラメから表面的には丁寧だが、内心は軽くあしらわれ軽蔑されている(と太宰本人は少なからず思っている)そんな小説内のヒラメを始めとして、「実は故郷の人達から自分は恥じられ、馬鹿にされている疎外感」を現実の太宰治が持っていたとしても何ら不思議はない。青森の家族や親族から内心馬鹿にされ、いい加減見捨てられそうな自身の不甲斐なさを東京で小説家として成功することで青森の親族一同を見返して一発逆転、ひっくり返したいと太宰治は常に願っていた。

「浦島さん」にて普段より家族・親族に内心馬鹿にされ、さらに前述引用のような亀からの激しいツッコミを受けて、「ひどい事を言う。妹や弟にさんざん言われて、浜へ出ると、こんどは助けてやった亀にまで同じ様な失敬な批評を加えられる」など「浦島さん」は亀の毒舌に閉口しきり。地方の地主の息子で上流の教養を好み風流の士を気取り、しかし生活能力がないため家族・親族からは内心馬鹿にされ…これは、もう明らかに太宰の「自虐ネタ」である。太宰治は現実の自分をネタにした「自虐ネタ」で積極的に笑いを取りに行っている。だから、太宰治「お伽草紙」は、普通に面白いし存分に笑える滑稽小説の傑作なのだけれど反面、太宰の自身の身を賭(か)けた自虐の笑いが垣間見えて、ちょっとだけ哀しい「悲劇の喜劇」の要素もあるのだ。

太宰治を読む(2)「惜別」

書簡か何かの作品か、どこに書いていたのか思い出せないが、太宰治が「日本には芥川龍之介という短編小説の大変な名手がいるが、その後この分野でいい人が出ていないので、ひとまず自分が頑張ってみたい」という旨のことをいっていた。短い中でエッセンスを凝縮して、まとめる手腕が問われる短編である。太宰治は上手いと思う。特に「惜別(せきべつ)」(1945年)は本当によい作品だ。

内容は、魯迅が仙台医専に清国留学生として来て、いわゆる「幻燈事件」で医学から文芸に転身して帰国するまでの日本での同窓との交友を描いたものである。おそらくフィクションの脚色を交えているとは思うが、主人公と魯迅の周さんが知り合って交友を深める「二人の間の友人の軸」と、この二人が大学の藤野先生の下で勉学に励む「師弟の間の尊敬の軸」が小説の基本的な構造を成している。

しかしながら、主人公と周さんが常に親しく、またこの二人の学生がいつも藤野先生との信頼関係を保っていたら単なる「美談」で小説にならないので、話の途中でお節介で勘違いで早とちりな変な世話焼きのクラスメート・津田氏がコメディ・リリーフ役で頻繁に出て来たり(笑)、試験問題漏洩事件があって周さんが疑われたりして、主人公との「二人の間の友人の軸」や、藤野先生との「師弟の間の尊敬の軸」が不信や誤解の試練にさらされる。だが、最終的には太宰の見事な筆捌(ふでさば)きにより、友情と師弟のつながりはより強固になり、漏洩事件に関しても別のクラスメートが泣いて詫(わ)びを入れ、「よく考えてみると周さんを最も愛していたのは、この津田さんではなかったかしら」など、本当は友情に厚いが早とちりで不器用ゆえの津田氏ら関係者の誤解で登場人物の中の誰も悪人にせず、全てよい人で丸く平和に収める、読み手にさわやかな読後感を与える小説になっている。

また、なぜ周さんが医学を志し日本に留学するようになったか、彼の父親の死の臨終間際の「父の霊魂を引きとめようと喉も破れんばかりに叫んだ、自身のあさましい喚き声」のくだり。周さん同様、日本に留学してた同国の仲間たちは欧米列強に蹂躙(じゅうりん)されまくる祖国の清国やアジアの将来のことを何ら真剣に考えない。帰国したら日本で学んだ知識で商売でもやり一儲けなど、たくらんでいる。そんな中での留学生・周さんの同国の留学生仲間に対する不信感、ゆえに留学先の日本での彼の孤立の孤独。いずれにも力点入れ、多くの字数を割(さ)いて太宰は丁寧に書いている。

この小説の中で昔から私が好きなのは以下の場面だ。夜遅くに周さんが主人公の下宿に話に来る。「もう、おそいんじゃありませんか?」「も少しお邪魔さしてもらってもいいですか?」「この下宿では、こんなにおそくまで、僕なんかが話込んでいると、いやがるんじゃないですか。大丈夫ですか?」周さんが、あまりに気を使って卑屈になるので主人公は辟易(へきえき)して不快になる。異国の地で周りの人に気遣いが絶えない周さんを気の毒にも思う。

そこで、別れ際に周さんに「お願いがあります。玄関の外で、一分間だけ立っていて下さい」。周さんを玄関の外に立たせて、わざと大声で「小母さん、周さんは帰ったよ」「あら、傘をお持ちになればよかったのに」。下宿の小母さんとの会話を外にいる周さんに聞かせる、ただそれだけ。ここで下宿の小母さんが「やっと帰ったか、全く尻の重い客だね。これじゃ戸締まりして早く寝れないよ」とか言ったら、全てがぶち壊しなわけだが(笑)。

しかしながら、この「惜別」は究極の性善説の小説であり、作家・太宰治の支配下のもと善良な人達のみで邪悪な心の持ち主は一人もいないから、「あら、傘をお持ちになればよかったのに」。つまりは「下宿の人は、夜遅くの周さんの訪問や滞在を何ら不快には思ってませんよ」の裏メッセージだ。そして、主人公がわざと小母さんとの会話を外の周さんに聞かせて「わが意を得たり」のもくろみの後、「私は、玄関の外に立ってこの私たちの会話を聞いているはずの周さんに逢いに行ったら、周さんはいなくて、暗闇にただ雪がしきりに降っていた」。

太宰、小説書くのが上手いね(笑)。

太宰治を読む(1)「津軽」

太宰治、この男は四回「自殺」未遂をやって、五回目にとうとう逝(い)ってしまう。猪瀬直樹「ピカレスク・太宰治伝」(2000年)を読むと分かるが、太宰治の重ね重ねの「自殺」は決して本気で死にたいと思って「自殺」をやっているわけではない。

太宰の度重なる「自殺」の原因は、一般によくいわれるような「近代自我の不安」など、そんな抽象的で深遠高尚なものではない。太宰は自身がその都度、生活に追い詰められると人生をリセットするために「自殺」を繰り返す。案外、俗な理由からである。すなわち、左翼の非合法運動に足を突っ込んで学校を退学されそうになると「自殺」する。女と別れたいと思って、しかし別れられないと「自殺」する。青森の実家から仕送り援助を打ち切られて東京に居られなくなくなりそうになると「自殺」する。そのため彼の四度の「自殺」は、いずれも第三者にすぐに発見されて、実際に死なずに助かるよう用意周到に手がかりを残す。あらかじめ事前に巧妙に手を打った上での、すぐに発見されて助かる決して死に至らない「自殺」未遂に他ならない

なぜ太宰治は、退学や女性問題や仕送りの打ち切りで東京を離れて郷里の青森に連れ帰えられそうになる窮地に追い込まれると、その都度、必ず助かる「自殺」もどきをやって人生をリセットしたくなるのか。それは太宰治という人は、ひたすら小説家に憧れ、本当に心の底から東京で小説家になりたくてなりたくて仕方のない人だったから。

このように人生の節目で、いわば「リセット」のための「自殺」もどきをその都度繰り返し、東京にへばりつき夢が叶(かな)って憧れの小説家になった太宰にとって、作品「津軽」(1944年)は喜びの絶頂であり、故郷に錦を飾る凱旋(がいせん)の記録に他ならない。しかし、太宰本人は「東京で念願の小説家になって故郷・青森への凱旋の喜び」を読み手に悟られないよう随分、慎重に筆を抑えて書いているフシがある。その太宰治の照れ隠しの書きっぷりが、まずは「津軽」の一つの読み所であるといえる。

故郷の人々はみな優しく、戦時中の物資が少ない時にもかかわらず、お酒や酒の肴(さかな)を調達し小説家・太宰を温かく迎え入れてくれる。「こんど、津軽の事を何か書くんだって?」「ええ」。太宰治、この男もまんざらではない(笑)。最初の笑い所は、書店企画の「新風土記業書」のための取材旅行で小説家になっていよいよ故郷の「津軽」に凱旋を果たそうと東京の家を出る際の、太宰と家人とのやりとりである。

「ね、なぜ旅に出るの?」「苦しいからさ。」「あなたの(苦しい)は、おきまりで、ちっとも信用できません。」「正岡子規三十六、尾崎紅葉三十七、斎藤緑雨三十八、国木田独歩三十八、長塚節三十七、芥川龍之介三十六、嘉村磯多三十七。」「それは、何の事なの?」「あいつらの死んだとしさ。ばたばた死んでいる。おれもそろそろ、そのとしだ。作家にとって、これくらいの年齢の時が、一ばん大事で、」「そうして、苦しい時なの?」「何を言ってやがる。ふざけちゃいけない。お前にだって、少しは、わかっている筈だがね。もう、これ以上は言わん。言うと、気障(きざ)になる。おい、おれは旅に出るよ。」

ここは作品「津軽」で最初に笑う所だ。前述の通り、太宰がやるのは常に「自殺」もどきで、自分が本当に死なないように巧妙に細工して必ず生きて発見されるよう仕組んだ上での繰り返しの「自殺」未遂だから、この場面の「正岡子規三十六…芥川龍之介三十六」で自身の早死願望の夭逝(ようせい)示唆は、明らかな太宰治の持ちネタである。この人は決して「死にたい」わけではない。念願の小説家になって自身の夢が叶って、これから作家として脂(あぶら)が乗る四十代、むしろ生きたいはずだ。「苦しいから旅に出る」、いやいや旅に出るのは作品「津軽」の取材旅行のためだろうが(笑)。大学進学で若くして青森から上京し、東京にへばりついて長年苦労と恥を重ね相当に大変な事があって、しかし夢叶ってやっと憧れの小説家になった自分の誇らしい姿を郷里の人々に見せる輝かしい凱旋旅行だろうが!太宰(笑)。

現代の私達からすれば、近代日本文学史における「太宰治」の名前の大きさからして彼は「晩年」(1936年)のデビュー時からすでに有名で、ずっと売れっ子人気作家であったように思われがちだが、それは錯覚で戦前の太宰は「知る人ぞ知る」小説家であった。太宰は、そんなに売れてはいない。彼が作家として最も人気が出て名が知られ世間の耳目を集めて成功したのは、おそらく敗戦後の1945年以降である。

戦時中の「津軽」執筆時の太宰治は、まだ駆け出しの小説家であり、同時代の「小説の神様」たる志賀直哉と比べても、まだまだ小物であった。それゆえ、大家の志賀は装丁も立派な書籍を数多く出し、それに引き換え太宰の出版本は志賀の豪華本に見劣りする粗末な慎ましい書籍である。郷里の文学好きな仲間たちは志賀の豪華本を所蔵し、日々愛読している。そして、太宰に「志賀さんの小説はどうですか?」などと文学談義を吹っかけてくる。太宰からしたら、まったく面白くない。そんな太宰が本文中で「貴族とは」云々で大家の志賀直哉を批判する、後の「如是我聞」(1948年)での志賀批判の前哨戦(ぜんしょうせん)のような(?)内容も出てくる。

「津軽」の旅の前半は、故郷の旧友・幼なじみらと好物の酒を飲みながらのグダグダ旅行である。「無神経な鯛料理」の話など。しかし旅の後半で日程も詰まって、いよいよ生家の金木に近づくと太宰治この男も、さすがに神妙になって緊張してくる。何しろ生家の金木には今まで東京での生活の仕送り援助やら退学騒動、「自殺」騒ぎの後始末やらで散々迷惑をかけた、立派に家を継いだ郷里・青森の名士である父親代わりの長兄がいるから。

「金木の生家では、気疲れがする。また、私は後でこうして書くからいけないのだ。肉親を書いて、そうしてその原稿を売らなければ生きて行けないという悪い宿業を背負っている男は、神様から、そのふるさとを取りあげられる。所詮、私は、東京のあばらやで仮寝して、生家のなつかしい夢を見て慕い、あちこちうろつき、そうして死ぬのかも知れない」

さすがに神妙だ。太宰と長兄の関係、兄との日常のやり取りを書いた作品に「庭」(1946年)というのがある。あの短編は、小品ながら太宰治という人の人となりを知って彼を理解するには欠かせない作品で必読である。そして最後の最後、ついには乳母・たけとの念願の再会も果たす。太宰の「津軽」、この小説でよいのは何といってもラストの終わり方である。小説家の夢を叶えた太宰治が、最後にその作家の立場から前向きに読者諸君に語りかける。

「さて、古聖人の獲麟(かくりん)を気取るわけでもないけれど、聖戦下の新津軽風土記も、作者のこの穫友の告白を以て、ひとまずペンをとどめて大過ないかと思われる。まだまだ書きたい事が、あれこれとあったのだが、津軽の生きている雰囲気は、以上でだいたい語り尽くしたようにも思われる。私は虚飾を行わなかった。読者をだましはしなかった。さらば読者よ、命あらばまた他日。元気で行こう。絶望するな。では、失敬」

小説家の夢を叶えて故郷に凱旋した男の自信に満ちた、実にさわやかな結語だ。「苦しいから旅に出る」と東京の家を出る時、かつて言っていた男とは同一人物に思えないほどの(笑)、さわやかさ、清々(すがすが)しさである。私は近代日本文学の中で、ここまでさわやかで清々しい小説の結語を太宰治「津軽」以外で未だに読んだことがない。

江戸川乱歩 礼賛(22)「ぺてん師と空気男」

江戸川乱歩の「ぺてん師と空気男」(1959年)は題名が素晴らしい。タイトルだけで言えば、乱歩の作品では「目羅博士の不思議な犯罪」(1931年)と双璧をなす名タイトルであるように思う。

本作は「ぺてん師と空気男」とそれぞれに、あだ名される二人の男の奇妙な交友の話である。まず「空気男」というのは本文によると、

「わたしは青年時代から、物忘れの大家であった。人間には忘れるという作用が必要なのだが、わたしのは、その必要の十倍ぐらい物忘れするのである。きのう、あんなにハッキリ話し合ったことを、きょうはもうケロリと忘れている。相手にとって、これほどたよりないことはない。ある時、友だちのひとりが、空気のようにたよりない男だと言い出して、それから『空気男』のあだ名が生まれた」

作中での本人談によれば、「物忘れの大家で空気のようにたよりない男」だから「空気男」とあだ名されたということだが、読み手の私としては更に「ぼんやりして頼りないことに加えて、大した特徴もなく、毒にもならないが薬にもならないような印象の薄い存在感のない男、まるで空気のような男」、だから「空気男」とあだ名されたとしたい所だ。

さて、もう片方の「ぺてん師」というのは、「プラクティカル・ジョーク」という一種のペテンをやる、いわゆる「プラクティカル・ジョーカー」のことである。本作でいうプラクティカル・ジョークとは、ナンセンスな冗談のいたずらで、相手を傷つけたり騙(だま)したりしない、決して犯罪や詐欺にはならない他愛もない、いたずらのことである。

江戸川乱歩「ぺてん師と空気男」の中で実演されている多くのプラクティカル・ジョークのうち、作中での乱歩の書き方にはこだわらずに、その概要を簡潔に示す形で以下にいくつか挙げてみる。

「空白の書籍」(ある男が汽車の座席でこれみよがしに本を開いて読書している。書籍の装丁は丁寧で表表紙も背表紙もしっかりした立派な本である。しかし書籍の中身のページが全て白紙なのである。何も書かれれていない白紙の本を男は熱心に実に面白そうに読んでいるのだ。隣席の客は驚き不思議でたまらず、後にその男につい尋ねてしまう、「あなたが先ほど熱心に読まれていた本は白紙で文字が一切書かれていませんでしたが…」。そこで男はさっきの書籍をカバンから取り出し、「そんなはずはありません」と不審な顔つきで本を開いて再び隣客に見せる。すると確かに先ほど白紙と思われていた本には、きちんと文字があって普通の書籍なのである。それで隣席の客は「さっき見た白紙の書籍は自分の勘違いだったのか…」とキツネにつままれたような気持ちで呆然(ぼうぜん)としてしまう。だが、本当は男は知り合いの印刷屋に頼んで、装丁表紙は立派で普通のものと何ら変わりないが、中身が白紙の書籍をあらかじめ作ってもらい、外装が全く同じ本を二冊持っていて、最初の読書時にはその特注の中身ページが「空白の書籍」を、次に隣客に尋ねられた際には文字がある普通の書籍を出してみせたのであった)

「重役と婦人会長」(街角に立っている重役タイプの立派な洋装の中年紳士に、作業員を装った男が巻き尺のケースを少しの間、持って立っていてほしいと頼み、その作業員の男は巻き尺の先を伸ばして曲がり角の向こうに忙しく消えていった。それから作業員の男は今度は巻き尺の先端をたまたま曲がり角の先にいた厚化粧の婦人に、同様に少しの間、巻き尺の先端を持って立っていてほしいと頼み、そのまま姿を消してしまう。時間がたっても一向に作業員の男が戻ってこないので、曲がり角の先で巻き尺ケースを持ったままの重役中年と、その先端を同様に持ったままの婦人会長がしびれを切らし不審に思って、共に巻き尺を手繰り寄せてみると、全く見知らぬ二人が巻き尺を両端に持たされたまま、つながり出会ってしまう。それで二人は作業員を装った男に「お互い一杯やられたらしい」と気づき,もはや苦笑いするしかない)

「公園のベンチ」(あらかじめ「公園のベンチ」と同じものを注文製作して、ある公園に置いておく。巡回の警察官がそこに来た時にわざと公園のベンチを二人の男が抱えて持って帰ろうとする。警官は公共物の公園ベンチの窃盗と思い、二人の男を止め注意して互いに口論になる。その騒ぎを聞きつけ、公園ベンチの周りに人だかりの山ができる。そこで初めて、男たちはこれは公共設置の公園ベンチではなくて自分たちが注文製作して、ここにに持ち込んだものだから持って帰っても問題ない旨を警官に伝え、ベンチ製作の際の注文書や領収書などを見せ、自分らの私物と明かした上で何食わぬ涼しい顔で自分たち私有の「公園ベンチ」を抱えて帰る。結果的に警官側の早とちりの勘違いとなってしまい、大勢の見物人の前で警察官は面目を失い、とんだ赤っ恥である)

乱歩の「ぺてん師と空気男」はタイトルが秀逸なので、本作は大変好印象なのだけれど、私はどういうわけか肝心の話の内容を何度読んでも、やがて忘れてしまう(笑)。それは本作「ぺてん師と空気男」に実は大した話の筋や目立った物語展開がなく一本調子で平板で、本作を通して乱歩がプラクティカル・ジョークの実例を割と数多く何個も連続して次々に紹介する案外、締(し)まりのないダラダラした構成になっているからだと思う。おそらく、乱歩は本作執筆時に海外の「プラクティカル・ジョーク集」のような資料文献のネタ本を持っていて、そこから面白そうなナンセンスなイタズラのジョークを選び、本作中にて「ぺてん師と空気男」に連続してやらせているだけなのである。

もっとも最後は、シャーロック・ホームズの「ぶな屋敷」(1892年)をわざと連想させる、妻の監禁、その後の彼女の行方不明を経て、「妻の美耶子は『ぺてん師』の伊東に遂には殺され、遺体も秘密裏に処理されたのでは!?」の完全犯罪の勘違いをさせる「マーダー・パーティー(殺人ごっこ)」の種類に属する悪質なプラクティカル・ジョークを、「空気男」である「私」は「ぺてん師」の伊東から仕掛けられ、そのため「ぺてん師と空気男」の二人の交友は破局を迎えてしまう。「ぺてん師」でプラクティカル・ジョーカーである伊東は、自らのジョークを「芸術」であると自認し、常日頃から「殺人芸術論」や「芸術としての殺人」などの本を愛読している探偵小説マニアの男でもあったのだ。

そうして本作のいよいよのラストでは、「ぺてん師」たる伊東はプラクティカル・ジョーカーである自身のでたらめな冗談気質を最大限に生かし、その才能を遺憾なく発揮し多くの信者を集める「宇宙神秘教」なる新興宗教を妻の美耶子と共に開いて、またまた「空気男」たる凡庸な「私」をあっといわせるのであった。そういったラストのオチである。

江戸川乱歩 礼賛(21)「パノラマ島奇談」

江戸川乱歩「パノラマ島奇談」(1927年)のあらすじはこうだ。

「売れない物書きの人見廣介は、定職にも就(つ)かない極貧生活の中で、自分の理想郷を作ることを夢想していた。そんなある日、容姿が自分と瓜二つの大富豪・菰田(こもだ)源三郎が病死したという話を、知り合いの新聞記者から聞く。人見と菰田はかつて同じ大学に通っており、友人たちからは双生児の兄弟と揶揄(やゆ)されていた。菰田がてんかん持ちであり、てんかん持ちは死亡と診断された後に息を吹き返すこともあるという話、さらに菰田家の墓のある地域は土葬の風習が残っているということを知った人見の中に、ある壮大な計画が芽生える。それは菰田が蘇生したかのように装って自分が菰田に成り代わり菰田家に入り込んで、その莫大な財産を使って理想通りの地上の楽園を創造することであった。人見は自身の自殺を偽装して菰田家のあるM県に向かうと、墓を暴いて菰田の死体を掘り起こし、隣の墓の下に埋めなおした。そしてさも菰田が息を吹き返したように装って菰田になりすまし、まんまと菰田家に入り込むことに成功する。

人見は菰田家の財産を処分して、M県S郡の南端にある小島・沖の島に長い間、夢見ていた理想郷を建設していく。一方、蘇生後は自分を遠ざけ、それまで興味関心を示さなかった事業に熱中する夫を、菰田の妻・千代子は当惑して見つめていた。千代子に自分が菰田でないことを感付かれたと考えた人見は、千代子を自らが建設した理想郷・パノラマ島に誘う。人見が建設した理想郷とはどのようなものだったのか。そして千代子の運命は?」

「パノラマ島」は、作中ではM県S郡の南端に位置すると書かれている。これは三重県(M県)の鳥羽(志摩郡=S郡)の離島がモデルといわれている。本作は、容貌の酷似を利用して死人が蘇生したと見せかけ、自己を抹殺した上で他人になりすまし残された巨万の富を意のままに蕩尽(とうじん)する、だが故人の妻に疑惑の念がきざしたのを察してこれを始末するが、結局最後に主人公の犯罪が暴かれるという倒叙展開の話である。

「パノラマ島奇談」について、後の乱歩の回想によれば、「雑誌『新青年』に自身の最初の長編で、ちょっと意気込んで書いたのだが、余りに独りよがりな夢を気ままに書き並べたので当時の読者には連載時からあまり好評ではなかった」旨が述べられている。確かに、本作「パノラマ島奇談」は、主人公・人見廣介が人物入れ替わりにて他人の財産を横領し、無尽蔵の金銭を用いて心ゆくまで作り上げる自分好みの「地上の楽園」詳細の長い記述(裸体で人魚のように島内を遊泳する美女らの描写など)は、その世界観に興味のない私のような読者には読んで冗長で退屈な思いがする。その分、ラストの大団円の必殺のオチ(「人間花火」!)は、最後に乱歩が投げやりで強引に話を終わらせた感があり、その結末の力技の無理やりな話の終わらせ方が私には昔から印象深い。

江戸川乱歩の「パノラマ島奇談」は何度が映像化されている。まず見るべきは、テレビ朝日「土曜ワイド劇場」枠で天知茂が名探偵・明智小五郎を演ずる「江戸川乱歩の美女」シリーズの「天国と地獄の美女・江戸川乱歩の『パノラマ島奇談』」(1982年)であり、これは当時私は小学生であったが、初放映時にリアルタイムで土曜の夜9時に観ている。大富豪・菰田源三郎に容姿が瓜二つであり、菰田と入れ替わっても怪しまれないように、主人公の人見廣介を演ずる伊東四朗が自分の眼にキリのようなものを突き刺し片目を潰して、わざと失明する凄惨場面(ドラマ劇中で大富豪・菰田は片目が失明の設定であり、菰田と人見の両方を伊東四朗が演じていた)が、小学生だった当時の自分には相当に衝撃的で長い間、恐怖で忘れられなかった。土曜ワイド劇場の「天国と地獄の美女」は、「パノラマ島」の理想の楽園再現にて島で裸体で泳ぐ美女の描写など、ヌード映像提供のサーヴィス・ショットを案外しつこく撮って流しており、「パノラマ島」の怪しさ演出も満点な、なかなか優れた江戸川乱歩の映像化作品になっていた。

江戸川乱歩「パノラマ島奇談」の映像化で次に見るべきは、映画「江戸川乱歩全集・恐怖奇形人間」(1969年)だ。これは必ずしも「パノラマ島奇譚」原作の厳密な映像化ではなく、むしろ「孤島の鬼」(1930年)をベースにしている。その上で「屋根裏の散歩者」(1925年)や「人間椅子」(1925年)ら、様々な乱歩作品を一つの映画の中にふんだんに盛り込んでいる。本作は昔の東映の怪奇幻想もののゲテモノ作品で、怪奇幻想と性的な描写満載であり、おまけに前衛(アバンギャルド)なワケのわからない演出の連発でもあったので、たとえ深夜であってもテレビ放送などされるはずもなく、映像倫理の面で引っかかってビデオやDVDソフトですら日本国内では正式に商品化されなかった。そのため、タイトルら映画の存在は知られていたが、実際に中身を観た人があまりいない、日本映画のカルトで「知る人ぞ知る」の有名作品にいつしかなっていた。

私は幸運なことに本作「江戸川乱歩全集・恐怖奇形人間」を一度だけ、単館の独立系シネマのレイトショーで観たことがある。今でも鮮明に覚えているのだが、1992年の春、京都の「みなみ会館」だった。当時1990年代、私は京都に在住の大学生で京都は九条東寺のみなみ会館をホームの拠点にして、大阪や京都や神戸の単館シアターと名画座を中心に攻めてほぼ毎日、映画を観ていた。「江戸川乱歩全集・恐怖奇形人間」上映中には本作での度肝を抜かれる破天荒演出に客席から何度か笑い声(爆笑や失笑)が起きていたことを今でも非常に懐かしく思い出す。「江戸川乱歩全集・恐怖奇形人間」は、乱歩の映像化作品の中でも注目に値するものだし、「日本映画のカルト中のカルト」にふさわしい怪作といえる。

江戸川乱歩 礼賛(20)「一寸法師」

江戸川乱歩は、昭和の始めに明智小五郎の長編物「一寸法師」(1927年)を「朝日新聞」に連載して、あまりの出来の悪さに自己嫌悪に陥り「一寸法師」連載終了後に失意の放浪の旅に出て、しばらく休筆で筆を折る。このことを後の乱歩自身の回想文にて言わせると、

「さて、この年の初め私は『一寸法師』と『パノラマ島奇談』を書き終わると(殆ど同時に終ったように記憶する)、いよいよペシャンコになってしまった。作物についての羞恥、自己憎悪、人間嫌悪に陥り、つまり、滑稽な言葉で云えば、穴があればはいりたい気持ちになって、妻子を東京に残して当てもなく旅に出た」(「探偵小説十年」)

江戸川乱歩「一寸法師」は、「朝日新聞」に掲載された連載小説である。山本有三の連載小説が作者病気のため中絶することとなり、次に予定連載であった武者小路実篤のものが紙面掲載に間に合わず、その空白期間を埋めるピンチヒッターとして乱歩に連載依頼が来たのだった。大正昭和の時代の当時、探偵小説を「朝日新聞」のような大新聞が、しかも朝刊に載せるというのは極めて異例であり初めての試みであった。それだけのメジャーな大仕事で世間に注目された探偵推理連載の「一寸法師」であったが、書いた本人は作品の出来に相当の不満があったようで、当の乱歩に言わせれば「書き終わると、いよいよペシャンコになってしまった。作物についての羞恥、自己憎悪、人間嫌悪に陥り、つまり、滑稽な言葉で云えば、穴があればはいりたい気持ちになって、妻子を東京に残して当てもなく旅に出た」。乱歩は連載終了後に失意の放浪の旅に出て、しばらく休筆で筆を折っている。

「一寸法師」は、まさに犯人たる「一寸法師」の暗躍に絡(から)み、主人公の一人である小林紋三が夜半に一寸法師の奇妙な行動に偶然に出くわした後の尾行に始まる、いわゆる「奇妙な発端」、「令嬢消失」の令嬢を屋敷内から連れ去る際の絶妙な人間の隠し場所の設定、多くの人々が行き交う百貨店の服飾売り場にてマネキン人形と本物の人間の一部をすげ変える遺体ばらまきという衆人に殺人を見せる劇場型犯罪の趣向、化粧クリームに残った指紋の証拠ら小物使いの上手さ、素人探偵・小林紋三と名探偵・明智小五郎との推理合戦、事前に関係者を買収したり部下をあらかじめ潜入させておく名探偵・明智小五郎の探偵捜査の手際(てぎわ)など、探偵小説としての読み所はいくつもある。

なかでも本作の最大の読み所は、真犯人の正体であり(「一寸法師」は犯行を行ってはいるが真犯人ではない)、「一連の誘拐殺害事件の犯人は一体誰なのか!?」真犯人と目される怪しい人物が複数人出てきて、話は中途で何度もひっくり返され二転三転する。そうして、ラストでの明智小五郎による「犯人は確かにあったのです。ただそれがあまりに意想外な犯人であるために、だれも…気がつかなかったのです」の発言に尽きる。確かに犯人は「だれも気がつかない、あまりに意想外な」人物なのであった。この辺り、作中の明智以外の関係人物たちや当時の「朝日新聞」連載で本作を毎日読んでいた読者、ならびに後に乱歩の「一寸法師」を読む探偵小説愛好の人々も皆が少なからず驚く、なかなか推理しにくい事前予測が困難な「意外な真犯人」の結末である。

乱歩も本作の出来に関し、そこまで悲観的になって自己嫌悪に陥るほどのことはないのではないか。私が読む限り、確かに江戸川乱歩「一寸法師」は探偵小説の名作とか傑作とまでは到底いえないが、あからさまな失敗作や破綻のある致命作でもなく、通常の出来の並の作である。特に当時の「朝日新聞」購読者、まだ探偵小説をよく知らず、それまで読んだことがない一般読者に向けて「探偵小説とはこのような趣向の読み物の娯楽の文学だ」と知らしめる「探偵小説紹介の入門編」の入り口程度のものとして、十分に及第点に達しているように思う。

本作にて描写される「一寸法師」の風貌とは、例えば以下のようなものであった。

「十歳くらいの子供の胴体の上に、借り物のような立派やかなおとなの顔が乗っかっていた。それが生人形のようにすまし込んで彼を見返しているのだ。はなはだ滑稽にも奇怪にも感じられた」

小さな子供の体躯(たいく)で、しかし立派な大人の顔をした「一寸法師」が不気味に笑い、死人の片腕を抱えて浅草の夜の町を軽妙に闊歩(かっぽ)したり、集落に火を放ったりの悪行三昧を尽くすわけである。こうした「一寸法師」の視覚インパクト、際立った奇怪さが当時の読者の興味を大いに惹(ひ)いて話題となり、本作は連載終了後、数回に渡って繰り返し映画化されている。

江戸川乱歩 礼賛(19)「堀越捜査一課長殿」

私は、江戸川乱歩の作品は乱歩個人の全集や傑作集や他作家とのアンソロジー(「日本の探偵小説名作選」のようなもの)ら様々な書籍にて読んでいるが、自分の中では創元推理文庫より昔から出ている「日本探偵小説全集」での第二巻に当たる「日本探偵小説集2・江戸川乱歩集」(1984年)が「乱歩を読むなら、まずはこの一冊」であると思う。もちろん、江戸川乱歩に関しては近年、光文社から出た充実の文庫版の乱歩全集(全30巻)や、古くからある定番で現在、異常に版を重ねている新潮文庫「江戸川乱歩傑作選」(1960年)も捨てがたいのだけれど。

東京創元社の創元推理文庫から出ている「日本探偵小説全集」全12巻は、日本の探偵小説の創始の黒岩涙香から、日本に探偵小説の独自ジャンルの確立をなした江戸川乱歩と横溝正史はもちろんのこと、玄人(くろうと)好みで熟練な浜尾四郎や木々高太郎ら戦前作家の代表作を廉価の文庫本に各冊600ページ以上の大ボリュームで収めていて、しかも版元の東京創元社が各巻とも絶版・品切れにさせず、ゆえにいつの時代でも比較的安価で容易に入手でき日本の歴代の探偵小説家の名作や希少作を手軽に読むことができる。この創元推理文庫編集部による探偵推理愛好の読者への気配り・配慮に長年、私は頭の下がる感謝の思いである。思えば乱歩や横溝以外にも、夢野久作や小栗虫太郎を「日本探偵小説全集」を通して私は初めて知り、彼ら異形の探偵作家に若い頃からある程度、深くのめり込めたのは自分の人生において誠に「大きな収穫」であった。

さて、そうした創元推理文庫「日本探偵小説集2・江戸川乱歩集」の巻末に収録されている乱歩の「堀越捜査一課長殿」(1956年)である。本作は50ページほどの短編であるが、「あの創元推理文庫の『日本探偵小説集・江戸川乱歩編』の最後に収録されている乱歩の作品」として私には昔から好印象なのであった。

本作は警視庁捜査一課長の堀越貞三郎が、ある日に課長室にて受け取った非常に分厚い配達証明付の封書(「堀越捜査一課長殿、必親展」と明記の封書)の内容手紙よりなる記述である。堀越捜査一課長が以前に渋谷署長の任にあった時に発生した「昭和二十×年十二月二十二日火曜日、午後二時ごろ、渋谷区栄通りの東和銀行渋谷支店から一千万円入りの輸送袋が盗まれた事件」、その未解決で迷宮入りの事件の真相を五年後の今日、一千万円盗難の実行犯(犯人に当たる人物は告白手紙送付の時点で、すでに亡くなっている。だから犯罪告白してももはや逮捕されることはない)による犯行手口の詳細の真相告白の手紙なのであった。

かつて東和銀行より一千万円強奪の盗難にまんまと成功した男、この手紙の書き主たる犯人が今更ながらに犯行の詳細を「堀越捜査一課長殿」宛の封書手紙にてわざわざ教えようとする理由は、

「この事件の犯人は、常軌を逸して頭のいいやつでした。そして、常識はずれの手段を発明したのです。老練な警察官は非常に広い捜査学上の知識と、多年の実際上の経験を持っておられます。しかし、そこにはまだ隙(すき)があります。常軌を逸した犯人の着想は、あなた方の盲点にはいる場合があるのです。あなた方は犯罪捜査についてのあらゆる知識をお持ちですが、犯罪がひとたび常軌を逸してしまうと、それはあなた方の知識外になります。そういう意味で、この事件の真相は、警察官一般にとって、重要な参考資料となるのではないかと思います。この手紙を書きます理由はまだほかにもあるのですが、そういう捜査上の参考資料としてだけでも、あなたの御一読を煩(わずら)わすねうちは充分にあると信ずるからです」(「堀越捜査一課長殿」)

「この事件の真相は、警察官一般にとって、重要な参考資料となるのではないかと思います」などと、今後の警察の初動捜査の向上に寄与し協力するような礼儀を尽くした一見、丁寧な手紙の告白記述でありながら、実のところ警察の捜査の不手際、注意不足の散漫を「心理の盲点」として単に嘲笑(あざわら)い愚弄(ぐろう)しているかのようにも思えて、丁寧な文面とは裏腹に犯人を取り逃がした警察を内心馬鹿にする本意を暗に匂わせる絶妙な書きぶりは読んで、なかなか痛快である。

下手に詳しく述べると「ネタばれ」になってしまうので滅多なことはここには書けないが、江戸川乱歩「堀越捜査一課長殿」の目玉の読み所は以下の2つであると私には思える。すなわち、

(1)犯人と目されて警察の追跡を受けた「大江幸吉」という男が、自宅アパートに逃げ込んだ後に突如、消失してしまう。以降、彼は行方不明に。この一人の人間の消失トリックは何か。(2)盗まれた一千万円は大江幸吉か逃げ込んだアパートの一室内に巧妙に隠され、警察の必死の家探し捜査にもかかわらず、とうとう発見できなかった。狭いアパート一室内に確かに隠されたにもかかわらず、警察が遂に見つけ出すことができなかった盗まれた一千万円の隠し場所は一体、どこであったか。

特に(2)の「盗まれた一千万円の隠し場所」が、事件発生時の昭和二十年代の日本社会の庶民の生活環境、当時の時代の人々の意識に反映されて絶妙な「心理の盲点」になっている。おそらく昭和二十年代を過ぎて後の時代の人なら、あの室内での隠し場所はもはや「心理の盲点」とはならず、常識的判断からその場所も探し結果、盗まれた現金を見つけ出す確率は相当に高いだろう。この一千万円の隠し場所は探偵推理における、いわゆる「奇妙な味」として私の中で初読時以降も、長く強く印象に残る。

江戸川乱歩「堀越捜査一課長殿」は読後にいつまでも「奇妙な味」を反芻(はんすう)し堪能できる、なかなか味わい深い探偵小説である。

江戸川乱歩 礼賛(18)「緑衣の鬼」

江戸川乱歩「緑衣(りょくい)の鬼」(1936年)は、以前に乱歩が絶賛したフィルポッツ「赤毛のレドメイン家」(1922年)の骨格を借り乱歩なりの趣向にて肉付け創作した、いわゆる「翻案小説」だ。そのため、本家のフィルポッツ「赤毛のレドメイン家」を既読の人は乱歩の「緑衣の鬼」を読む前からトリックも犯人も既に分かってしまうわけだが、それでも読んで面白い。

まずは、本作「緑衣の鬼」に関する乱歩による「自註自解」を載せておこう。あらかじめ補足しておくと「井上良夫君」というのは戦前に活躍した探偵小説評論家であり、後に「探偵小説のプロフィル」(1994年)という氏の評論集が編(あ)まれている。井上良夫はフィルポッツ「赤毛のレドメイン家」を戦前日本にて最初に翻訳紹介し、乱歩同様「レドメイン家」を絶賛した人であった。

「私は昭和十年に、井上良夫君にすすめられて、フィルポッツの『赤毛のレドメイン家』を初めて読み、非常に感心して、当時出ていた『ぷろふいる』という雑誌に長い読後感を書いた。…それ以来、世界のベスト・テンを挙げる場合、私はいつも、この『赤毛のレドメイン家』を第一位に置くことにしていた。それほど感心した作品なので、娯楽雑誌の連載ものに、その筋を取り入れることを思いつき、あの名作を一層通俗的に、また、私流に書き直したのである。一つ一つの殺人の場面は原作とちがっているし、私の作に頻出している『影』の恐怖は原作には全くないもので、犯罪の動機と大筋だけをフィルポッツから借りたものだ」

本作「緑衣の鬼」の元ネタとなっている「赤毛のレドメイン家」は、英国の田園田舎ダートムアを主な舞台に、ヒロインのジェニーの夫・マイクルがジェニーの叔父である赤毛のロバート・レドメインに殺害され、しかし殺害現場は血まみれだが、肝心のマイクルの死体は運び去られて所在が不明であり、その後やたらと「赤毛の」ロバート・レドメインが事件関係者の周辺に頻繁に現れ目撃されるが、しかしすぐに姿をくらますといった話である。しかも事件を解決して犯人を推理するために登場する探偵役は、ロンドン警視庁の刑事マーク・ブレンドンと刑事を引退した国際探偵ピーター・ガンズの二人である。最初の探偵役たるマークが事件の被害者の妻・ジェニーに恋心を抱いて「恋は盲目」でイカれてしまい、「心理の盲点」を作って犯罪捜査は難航する。後に二人目の探偵たるピーター・ガンズが登場し、マークに対し「心理の盲点」を指摘して「レドメイン家」における連続殺人事件の全貌と真犯人が明かされる筋運びである。

殺害されてはいるが肝心の遺体が発見されないので実のところ、殺されたのが誰だか分からない点は、顔面毀損(きそん)ないしは首上切断などで死体の身元判別が不可能な、いわゆる「顔のない死体」トリックに類する本格推理パターンの話といえる。この「顔のない死体」トリックの場合、着衣や持ち物から被害者と推定される人物は被害者ではなくて、加害者の犯人と目されている人物が実は身元判別不能な死体である、すなわち「顔のない死体」をめぐり被害者と加害者の入れ替わりはあるか否か、というのが事件の核心の焦点であり、そこが探偵小説としての面白味の読み所だ。もしくは「顔のない死体」の正体は被害者でも加害者でもなく、事件に関係のない全くの第三者を遺体調達し外部から持ってきて添える、さらには被害者と加害者の入れ替わりはなく、そもそも被害者と加害者は一人二役により錯覚された同一人物であった、という荒業(あらわざ)まで飛び出してくるような探偵推理における「顔のない死体」トリックの盛況ぶりである。探偵小説にて定番の「密室殺人」トリック同様、「顔のない死体」のパターンの話は古今東西、多くの探偵小説家が挑戦し書き重ねている。

フィルポッツ「赤毛のレドメイン家」の翻案小説である江戸川乱歩「緑衣の鬼」も、ヒロインの笹本芳枝の夫・笹本静雄が殺害され、しかしすぐに静雄の遺体は見つからず、後に腐乱した身元判別不能な静雄のものと目される死体が発見されて、ということになる。さらには、本家「赤毛のレドメイン家」では「赤毛」の男が殺人を犯して、後に犯人らしき「赤毛の」男が事件の後も不気味に何度も目撃されるが、かたや乱歩の「緑衣の鬼」は、殺害実行の犯人のトレードマークの目印が「赤毛」の赤ではなくて「緑衣」の緑である。翻案小説の本歌取(ほんかどり)で、赤から緑へ色を変えている所が乱歩の「緑衣の鬼」は面白いと思う。しかも本家の「赤毛のレドメイン家」は犯人と目される人物が単に「赤毛の男」であって、たまたま赤色なだけだが、乱歩の「緑衣の鬼」では緑色への病的執着から頭髪も緑、衣服も緑、持ち物や自宅の外観・内装も何から何まで全部が緑一色という異常な性癖の持ち主、夏目太郎という変質な人物(作中の乱歩の表現を借りれば「色気違い」)を作り出し、実際に作中にて動かしている所が江戸川乱歩の作品は優れている。

乱歩や井上良夫らの高い評価とは反対に、私はフィルポッツの「赤毛のレドメイン家」は以前に何度か読んではいるが、そこまでよく出来た探偵小説とは正直、思えなかった。「顔のない遺体」に類するパターンのトリック主柱としての「果たして被害者と加害者の入れ替わりはあるか否か」云々は確かに読み手の興味を惹(ひ)きつけ、熱中させ読ませるものがあるが、如何(いかん)せんフィルポッツの探偵小説家としての書き方が戦前の古典な探偵小説なためか、非常に牧歌的でぬるい。英国の田園田舎を舞台に叙情あふれる描写や過剰なまでにロマンチック過ぎる人物感情記述であり、探偵小説としての展開が遅い。リズムとテンポがない。江戸川乱歩「緑衣の鬼」は、主に都市を舞台にした探偵小説であり、洗練された探偵推理の節回しと、雑誌「講談倶楽部」に一年間連載の通俗長編であるため、毎回の話のリズムよくテンポが早く、かつ探偵推理以外にも冒険活劇の要素も各回ごとに程よく入れて本家「赤毛のレドメイン家」の弱点を克服しているように思う。

よって「緑衣の鬼」は、フィルポッツの「赤毛のレドメイン家」を既読でトリックや犯人を既に知っている人でも、もちろん「レドメイン家」を未読で結末を知らない方にも、最良な通俗長編、娯楽大作の探偵小説と言えるのではないか。

またフィルポッツ「赤毛のレドメイン家」に関連して、江戸川乱歩「緑衣の鬼」以外にも、作中にて探偵小説マニアの私立探偵に「レドメイン家」の書籍を無署名で贈呈し、あらかじめ小説を読ませ熱中させておいて、現実の殺人事件にて「赤毛のレドメイン家」をミスディレクションに使って推理の誤誘導を探偵にさせる、犯人たる「殺人魔」の鮮(あざ)やかな手口が冴(さ)えわたる戦前の長編探偵小説の大名作(と少なくとも私には思える)、蒼井雄「船富家の惨劇」(1935年)を私は激しくお薦めしたい。

江戸川乱歩 礼賛(17)「群集の中のロビンソン・クルーソー」

「群集の中のロビンソン・クルーソー」(1935年)は江戸川乱歩の随筆選に必ずといってよいほど収録されている作品で、乱歩の代表的エッセイといってよい。本作タイトルの「群集の中のロビンソン・クルーソー」とは、どういう意味のどういった人物なのか。

「この『都会のロビンソン・クルーソー』は、下宿の一室での読書と、瞑想(めいそう)と、それから毎日の物云わぬ散歩とで、一年の長い月日を唖(おし)のように暮したのである。友達は無論なく、下宿のおかみさんともほとんど口を利かず、その一年の間にたった一度、行きずりの淫売婦から声をかけられ、短い返事をしたのが、他人との交渉の唯一のものだった。私はかつて下宿のおかみさんと口を利くのがいやさに、用事という用事は小さな紙切れに認めて、それを襖(ふすま)の隙間からソッと廊下へ出しておくという妙な男の話を聞いたことがある。…これは厭人病(えんじんびょう)の高じたものと云うことも出来よう。だが、厭人病こそはロビンソン・クルーソーへの不可思議な憧れではないだろうか」(「群集の中のロビンソン・クルーソー」)

乱歩に言わせれば、人嫌いの「厭人病こそはロビンソン・クルーソーへの不可思議な憧れ」である。都市生活者で「群集の中(に生きる)ロビンソン・クルーソー」の生活は、友人は無論なく隣人との会話もなく人とすれ違っても一言も交わさず人的な交渉は皆無で、ただただ己(おのれ)の夢と幻想の世界にのみ生きる人なのであった。そして乱歩は、そうした「ロビンソン型」とでも形容される人間の心の奥底にある厭人癖の深く孤独に憧れる潜在願望は、人間が他者と共同で生きざるを得ない社会的な群棲動物であるからこそ、他方で一部の人達において、他人と没交渉で全くの孤独に生きる「群集の中のロビンソン」に、ますます「郷愁」が募(つの)り激しくなっていく、ゆえに「ロビンソン・クルーソー」の物語は、このように広く永く人類に愛読されるのではないかしら、と述べている。

実はデフォーの「ロビンソン・クルーソー」(1791年)の物語は西洋の古典経済学にて昔からよく言及される格好の素材であった。人間は他者との関係性において生きる社会的存在である。日々の生活にて自給自足の人はいない。必ず誰かの労働成果を享受し、消費して人は生きている。しかも近代社会において、人は労働も分業協業になり機械も導入されて、利潤追求の合理的で計画的な見通しを立て勤勉の精神に従って高度で複雑な人間同士の社会的関係の中で他者と共に生きている。ところで、そうした近代社会の文明人たる、かのロビンソン・クルーソーが独り無人島に流され他者との人的交流なく、近代社会機構の外的構成なく孤独に生きる状況を強いられても、彼は無節操に自堕落にやりたい放題に生きず、日付記録のカレンダーを作成し計画的に勤勉な日常生活をこなし、簿記的な生活物資のバランスシートを作り物事の得失を考え、決して自身が窮乏しないように未開の無人島にて独り合理的に暮らし生きるのであった。

このような近代人の典型の雛型(ひながた)であり、ゆえに近代経済学にての定番トピックで、スミスやヴェーバーやマルクスらが好んで引用した「ロビンソン・クルーソー」の物語が探偵小説の幻想文学の旗手・江戸川乱歩の手にかかると、全くの別方向から「無人島にて孤独に生きるロビンソン・クルーソーこそは、人嫌いの厭人癖を隠し持ち今では他者と共同で生きざるを得ない社会的な群棲動物である人間が脱したい郷愁の憧れ、己の夢と幻想の世界にのみ生きる人逹にとっての不可思議な理想」と解釈されるのだから実に面白い。

そうして乱歩は、さらに続けていう。

「映画街の人込みの中には、なんと多くのロビンソン・クルーソーが歩いていることであろう。ああいう群集の中の同伴者のない人間というものは、彼等自身は意識しないまでも、皆『ロビンソン願望』にそそのかされて、群集の中の孤独を味いに来ているのではないであろうか。…独りぼっちの人逹の黙りこくった表情には、まざまざとロビンソン・クルーソーが現れているではないか。だが人ごとらしく云うことはない。私自身も都会の群集にまぎれ込んだ一人のロビンソン・クルーソーであったのだ。ロビンソンになりたくてこそ、何か人種の違う大群集の中へ漂流して行ったのではなかったか」(「群集の中のロビンソン・クルーソー」)

乱歩の、この文章に私は深く強く痛々しいほどに共感できる。まさにその通りだ。街中で周りに人は大勢いるのに群集の中で誰も自分を知っている人がいない、ゆえに誰も話しかけてこないし、自分も誰とも口を利かなくてよい。完全孤独で完全解放の自由の味、「群集の中のロビンソン・クルーソー」とは何と言い得て妙で素晴らしい発想なのだろう。家族や親族や友人など要らない。私も誰とも交際・交友せず一生涯、他人とは口を利かずに自分の中の価値観、内的世界だけを大切にして、それを心の拠り所に生きていけたら、そう切実に思ったものだ。

私は学生時代よく独りでいた。独りでフラりと街中の映画館に入り、それから独りで食事をして独りで書店とレコード店を覗き、独りで喫茶店に入って長時間、本を読んだり音楽を聴いたりして過ごした。交友や課外活動に全く興味がなかったのである。その際、気に入って独り愛読し、心の中で密(ひそ)かに大切にしていたのは主に日本の昔の探偵小説の人達、横溝正史を始め、小栗虫太郎、夢野久作、久生十蘭、中井英夫、大阪圭吉、蒼井雄ら、そして「群集の中のロビンソン・クルーソー」の江戸川乱歩であった。

江戸川乱歩 礼賛(16)「大暗室」

江戸川乱歩「大暗室」(1939年)は「暗黒星」(1939年)とタイトルが似ており、ほぼ同時期の雑誌連載作である。だからなのか、私はいつも両作を混同してしまう。また乱歩の通俗長編は長期連載にあたり、乱歩自身が結末をあらかじめ考えず場当たり的に自転車操業で案外いい加減に書いているため、筋の破綻や毎度の似通った趣向やトリックが多く、私は読んでも記憶に残らず、読後に内容をすぐに忘れてしまう(笑)。だから、数年おきに長編乱歩を繰り返し新鮮な気持ちで読める江戸川乱歩なりの探偵小説の楽しみはあるのだけれど。

探偵小説家に限らず、どのような文学者においても斬新なアイディアが次から次へと噴出してしょうがない、何を書いても乗りに乗って傑作の連発、当人にとっての後の代表作の量産で実に上手く行ってしまう、まるで自身の筆先に神が降りてきたような、ある種の神がかった「作家生活、奇跡の時代」というのがあるものだ。例えば横溝正史においては、敗戦直後の私立探偵・金田一耕助の初登場による「本陣殺人事件」(1946年)から「獄門島」(1948年)を経ての傑作連発、誠に神がかった「横溝、奇跡の時代」があった。同様に江戸川乱歩にても、そうした時代はある。それはデビュー直後から1920年代前半までの短編執筆の時代だ。「二銭銅貨」(1923年)や「D坂の殺人事件」(1925年)や「心理試験」(1925年)や「屋根裏の散歩者」(1925年)や「人間椅子」(1925年)など後の時代にまで残る傑作、乱歩にとっての代表作はこの時期に集中して書かれたのであった。特に1925年はまさに「江戸川乱歩、奇跡の年」であったといってよい。

そして江戸川乱歩、この人は初期短編の「奇跡の時代」を過ぎると、たちまち駄目になってしまう。凡作、駄作、破綻作の連続である。この探偵作家としての暗黒時代への突入には、さまざまな背景や契機の要因があるのだろうが、その一つに乱歩が講談社の大衆文芸雑誌に誘われ連載したら思いのほか世間読者の評判がよく上々で、しかも乱歩自らに言わせると「講談社は他社と比べて稿料が高く厚待遇だった」そうで、それから乱歩は「キング」ら講談社系に常連執筆の大衆読者に向けた通俗長編連載の書き手になってしまった。この意味で、講談社の「講談倶楽部」の求めに応じ書いた乱歩にとっての初期の通俗長編「蜘蛛男」(1930年)の世俗人気の成功は、乱歩が通俗娯楽の常連書き手になる画期の重要な出来事であった。

先鋭で正統な探偵雑誌ではなくて大衆娯楽雑誌の通俗長編だから、探偵推理としてトリックが新奇で斬新ではなくても、伏線の張り巡らしや回収に失敗しても、最悪、話に矛盾があり破綻していても編集部も担当編集者も許してくれるし、評論家や読者からそこまで酷評され責められることもないのである。要するに毎月毎号の連載にて読者を惹(ひ)きつけ、続きの次号をとりあえず読ませればよいわけだから、何ら大した中身はないのに初読時のインパクトや読み味のスリルやスピード感や「エロ・グロ・ナンセンス」の退廃的雰囲気やエスカレートした扇情描写が主で、探偵小説として詰めた本格の趣向や練りに練った「奇妙な味」の工夫は二の次になってしまう。そして一読後、その場限りの印象楽しみだけで後に何も残らず、話の内容をすぐに忘れてしまうものも多い。

ただ、そうした通俗乱歩の長編小説も軽く読んで十分に楽しめることは確かだ。江戸川乱歩「大暗室」は講談社の雑誌「キング」に一年半連載の通俗長編であり、探偵推理と善玉悪玉の冒険小説で、「パノラマ島奇談」(1927年)風の乱歩の幻想的な地底王国の創造趣味が程よく組み合わされている。「大暗室」は、通俗の大衆娯楽小説として連載当時から好評人気であったに違いない。最後に本作「大暗室」の概要を載せておく。

「客船・宮古丸が難破の折、九死に一生は得たが大海をあてどなく漂う、有明男爵とその家令・久留須左門と、男爵の友人であるが内心で男爵を憎む大曽根五郎。危地を脱する予兆に呉越同舟の均衡は脆(もろ)くも破れ、父子二代にわたる因果の物語が始まる。配するは亡父の弔い合戦に赴く青年二人、有明友之助(有村清)と大曽根竜次(大野木隆一)。それと知らず出逢い宿業の仇敵と認めあうに至る二人こそ、有明と大曽根を継ぐ者である。恋人役に健気な美少女・星野真弓ををはさみ、正義を旗に掲げる貴公子と、帝都に大暗室と呼ぶ王国を築き全世界の覇者たらんと欲する地底魔との壮絶な戦いの火蓋(ひぶた)が切って落とされた!」