アメジローのつれづれ(集成)

アメリカン・ショートヘアのアメジローです。

江戸川乱歩 礼賛(19)「堀越捜査一課長殿」

私は、江戸川乱歩の作品は乱歩個人の全集や傑作集や他作家とのアンソロジー(「日本の探偵小説名作選」のようなもの)ら様々な書籍にて読んでいるが、自分の中では創元推理文庫より昔から出ている「日本探偵小説全集」での第二巻に当たる「日本探偵小説集2・江戸川乱歩集」(1984年)が「乱歩を読むなら、まずはこの一冊」であると思う。もちろん、江戸川乱歩に関しては近年、光文社から出た充実の文庫版の乱歩全集(全30巻)や、古くからある定番で現在、異常に版を重ねている新潮文庫「江戸川乱歩傑作選」(1960年)も捨てがたいのだけれど。

東京創元社の創元推理文庫から出ている「日本探偵小説全集」全12巻は、日本の探偵小説の創始の黒岩涙香から、日本に探偵小説の独自ジャンルの確立をなした江戸川乱歩と横溝正史はもちろんのこと、玄人(くろうと)好みで熟練な浜尾四郎や木々高太郎ら戦前作家の代表作を廉価の文庫本に各冊600ページ以上の大ボリュームで収めていて、しかも版元の東京創元社が各巻とも絶版・品切れにさせず、ゆえにいつの時代でも比較的安価で容易に入手でき日本の歴代の探偵小説家の名作や希少作を手軽に読むことができる。この創元推理文庫編集部による探偵推理愛好の読者への気配り・配慮に長年、私は頭の下がる感謝の思いである。思えば乱歩や横溝以外にも、夢野久作や小栗虫太郎を「日本探偵小説全集」を通して私は初めて知り、彼ら異形の探偵作家に若い頃からある程度、深くのめり込めたのは自分の人生において誠に「大きな収穫」であった。

さて、そうした創元推理文庫「日本探偵小説集2・江戸川乱歩集」の巻末に収録されている乱歩の「堀越捜査一課長殿」(1956年)である。本作は50ページほどの短編であるが、「あの創元推理文庫の『日本探偵小説集・江戸川乱歩編』の最後に収録されている乱歩の作品」として私には昔から好印象なのであった。

本作は警視庁捜査一課長の堀越貞三郎が、ある日に課長室にて受け取った非常に分厚い配達証明付の封書(「堀越捜査一課長殿、必親展」と明記の封書)の内容手紙よりなる記述である。堀越捜査一課長が以前に渋谷署長の任にあった時に発生した「昭和二十×年十二月二十二日火曜日、午後二時ごろ、渋谷区栄通りの東和銀行渋谷支店から一千万円入りの輸送袋が盗まれた事件」、その未解決で迷宮入りの事件の真相を五年後の今日、一千万円盗難の実行犯(犯人に当たる人物は告白手紙送付の時点で、すでに亡くなっている。だから犯罪告白してももはや逮捕されることはない)による犯行手口の詳細の真相告白の手紙なのであった。

かつて東和銀行より一千万円強奪の盗難にまんまと成功した男、この手紙の書き主たる犯人が今更ながらに犯行の詳細を「堀越捜査一課長殿」宛の封書手紙にてわざわざ教えようとする理由は、

「この事件の犯人は、常軌を逸して頭のいいやつでした。そして、常識はずれの手段を発明したのです。老練な警察官は非常に広い捜査学上の知識と、多年の実際上の経験を持っておられます。しかし、そこにはまだ隙(すき)があります。常軌を逸した犯人の着想は、あなた方の盲点にはいる場合があるのです。あなた方は犯罪捜査についてのあらゆる知識をお持ちですが、犯罪がひとたび常軌を逸してしまうと、それはあなた方の知識外になります。そういう意味で、この事件の真相は、警察官一般にとって、重要な参考資料となるのではないかと思います。この手紙を書きます理由はまだほかにもあるのですが、そういう捜査上の参考資料としてだけでも、あなたの御一読を煩(わずら)わすねうちは充分にあると信ずるからです」(「堀越捜査一課長殿」)

「この事件の真相は、警察官一般にとって、重要な参考資料となるのではないかと思います」などと、今後の警察の初動捜査の向上に寄与し協力するような礼儀を尽くした一見、丁寧な手紙の告白記述でありながら、実のところ警察の捜査の不手際、注意不足の散漫を「心理の盲点」として単に嘲笑(あざわら)い愚弄(ぐろう)しているかのようにも思えて、丁寧な文面とは裏腹に犯人を取り逃がした警察を内心馬鹿にする本意を暗に匂わせる絶妙な書きぶりは読んで、なかなか痛快である。

下手に詳しく述べると「ネタばれ」になってしまうので滅多なことはここには書けないが、江戸川乱歩「堀越捜査一課長殿」の目玉の読み所は以下の2つであると私には思える。すなわち、

(1)犯人と目されて警察の追跡を受けた「大江幸吉」という男が、自宅アパートに逃げ込んだ後に突如、消失してしまう。以降、彼は行方不明に。この一人の人間の消失トリックは何か。(2)盗まれた一千万円は大江幸吉か逃げ込んだアパートの一室内に巧妙に隠され、警察の必死の家探し捜査にもかかわらず、とうとう発見できなかった。狭いアパート一室内に確かに隠されたにもかかわらず、警察が遂に見つけ出すことができなかった盗まれた一千万円の隠し場所は一体、どこであったか。

特に(2)の「盗まれた一千万円の隠し場所」が、事件発生時の昭和二十年代の日本社会の庶民の生活環境、当時の時代の人々の意識に反映されて絶妙な「心理の盲点」になっている。おそらく昭和二十年代を過ぎて後の時代の人なら、あの室内での隠し場所はもはや「心理の盲点」とはならず、常識的判断からその場所も探し結果、盗まれた現金を見つけ出す確率は相当に高いだろう。この一千万円の隠し場所は探偵推理における、いわゆる「奇妙な味」として私の中で初読時以降も、長く強く印象に残る。

江戸川乱歩「堀越捜査一課長殿」は読後にいつまでも「奇妙な味」を反芻(はんすう)し堪能できる、なかなか味わい深い探偵小説である。