アメジローのつれづれ(集成)

アメリカン・ショートヘアのアメジローです。

大学受験参考書を読む(4)富田一彦「富田の英語長文問題 解法のルール144」

現役の大学受験生のような入試で高得点を獲って志望大学に合格するといった実利的な目的以外の所で大学受験参考書を読んでいると、その参考書を介して勉強そのものが分かるや得点・偏差値が伸びるといった大学受験参考書の、そもそもの本来趣旨以外のこと、執筆の予備校講師や出版の予備校教務や編集者ら受験産業従事者らの本音や意図に時に気付き、それらが見切れてしまうことがある。

大学受験参考書を日々、読んでいて気付くのは、実際に予備校に通って授業に出席するよりも学生が安く購入できて各自勝手に自宅学習できる、一般書店売りの大学受験参考書は明らかに執筆者が「出し惜しみ」して書いている感があるということだ。問題演習や解答解説にて、「部分的にしか書いておらず漏(も)れが多く全体の網羅性に欠ける」や、「明らかにイントロの入り口のみで核心の部分まで深く掘り下げて書いていないので深まりの生彩を欠く」の難点が、書店売りの参考書には多々ある。

これら大学受験参考書が「出し惜しみ」な件に関し、特に該当なのは現役予備校講師が執筆の大学受験参考書である。予備校の講師が書店売りの一般参考書を執筆で出す場合には、おそらく予備校の教務から暗に言われているのだと思う。「誰でも店頭で比較的安価で購入できる利益率の低い書店売りの参考書で教材カリキュラムの全貌を示すのは、予備校本体授業での生徒集めに響くから、できるだけ内容をセーブして」とか、「予備校の授業で生徒にテキストとして渡す完成された教材カリキュラムを、そのまま書店売り参考書として一般提供するのは、学生以外の同業他社の予備校講師にも自身の指導の手の内を明かすことになるので得策でない」とか、「むしろ予備校の本講義に学生が申し込みたくなるような、お試し勧誘アプローチのセールス的内容を書店売りの一般参考書を活用して積極的にやるべき」というようなことを。

当然、執筆の予備校講師の側もこの先、この業界で自分が生き残るためには自身の講座人気や締め切り状況が気になって、結局は書店で参考書を購入して安くすませるよりは、むしろ受験生には予備校に通って自分の講座を取ってもらいたいと考えるのが自然なので、講座を取って実際に出席した人にしか教えない限定秘伝(?)の独自指導や方法まとめが満載の門外不出なオリジナル・テキストがあったりして、特に予備校講師の方は書店売りの一般参考書では内容的に「出し惜しみ」に走る傾向が強いと私は感じる。

しかしながら、富田一彦「富田の英語長文問題・解法のルール144」(2000年)は予備校系の一般書店売りの受験参考書であるにもかかわらず、案外「出し惜しみ」なく、おそらくは予備校の講義で氏が日常的にやっているであろう指導内容をそのままを詳しく書き出し公開した記述で、「非常にフェアな参考書」といった感想を私は持った。英文解釈の日本語訳にまでたどり着く各文の構文解説のみならず、それぞれの設問パターン(語義選択、内容説明、訳文選択、内容一致、大意要約など)に応じた「解法解説」の問題の解き方や考え方まで丁寧に教えてくれる。そこが有益であり、本参考書の良い所だ。

私が強く印象に残っているのは、上巻の第2問での1997年度の津田塾大学・学芸学部、下線部2の和訳である。あそこで「主節を決定する2つの方法」にて、「文法解析からの背理法」と「前文との関係からの特定」の2つの観点から4ページ程も使用して異常にこだわって長々と非常にしつこく構文分析をやる解説記述は、著者ならではの「富田節」の炸裂で圧巻であった。

この「英語長文問題・解法のルール144」は、前著「英文読解100の原則」での「英文読解の原則ルールがピッタリ100なのは不自然過ぎる。話が出来過ぎで、おかしいじゃないか」という受験生からの読者ハガキのツッコミが入ったらしく、そのため「140でもなく、ましてや150でもない、さらには145のキリのよい数字も避けて、わざと中途半端な(?)144のルール」に著者はしているらしい。そうした本書の迷走タイトルも笑いを誘い、良い読後感の醸成(じょうせい)に陰ながら貢献している。