アメジローのつれづれ(集成)

アメリカン・ショートヘアのアメジローです。

再読 横溝正史(4)「本陣殺人事件」

「本陣殺人事件」(1946年)は、横溝正史が創出した私立探偵・金田一耕助が初登場の作品だ。金田一の出自(東北の生まれ)や経歴(アメリカ滞在、麻薬中毒、探偵になったきっかけなど)、はたまた金田一の容姿や服装の説明記述が初登場なため他作品と比べ非常に詳しく丁寧であり、それゆえ「本陣殺人事件」は注目すべき作品価値が高いものであるともいえる。「本陣殺人事件」の大まかな話の内容は次の通りである。

「一柳家(いちやなぎけ)の当主・賢蔵の婚礼を終えた深夜、人びとは恐ろしい人の悲鳴と琴の音を聞いた。離れの座敷の新床の上に、血まみれになって倒れた新郎新婦。その枕元には、家宝の名琴『おしどり』と三本指の血痕の残る金屏風があった。宿場本陣の旧家に起こった、雪の夜の惨劇を描く」

(以下、犯人や犯行動機について直接に明らかにしていませんが、本作にて使われる主なトリックに触れた「ネタばれ」です。横溝の「本陣殺人事件」を未読な方は、これから新たに本作を読む楽しみがなくなりますので、ご注意下さい。)

「本陣殺人事件」にて使われる主要トリックは三つだ。機械トリックを使った密室、絶対に発見されない心理の盲点をついた巧妙な隠し方、そして物語の語り手が犯人である、もしくは犯人や犯行の結末をあらかじめ知っている者が読者に直接に語りかける叙述トリックの三つである。

最初の機械トリックの密室は、いわゆる「凶器消失」タイプの密室で、作中にて横溝は同タイプの凶器消失トリックの海外作品、ドイルのシャーロック・ホームズ「ソア橋」(1922年)に言及している。あの凶器消失の機械トリックを使うことで「本陣」にて結果的に犯行現場が「密室」になる仕掛けは、全くの破綻なく非常に理にかなった密室生成である。また機械トリックにおける小道具の使用が、いかにも日本的なものばかりで(日本刀、琴爪、琴柱、鎌など)、特に密室を作る際に機器の作動で不可避に発音してしまう機械トリックの弱点を、琴の音色の日本的情緒の風味添えにし犯罪の不気味さの怪奇演出に転ずる、「機械トリックのマイナス要素を逆に犯罪演出効果のプラス要素に変えてしまう」横溝の手並みは実に見事という他ない。

次の絶対に発見されない心理の盲点をついた巧妙な隠し方は、ポオの「盗まれた手紙」(1844年)以来の海外探偵小説にある古典由来の伝統テーマだ。本作では「飼い猫の墓」に絡(から)み、一度探して「そこにはない」と既に認知した場所は再び探さない人間心理の盲点をつき、「そこにはないこと」を皆に確認させておいて、その後にわざと再度そこに隠すという「一番安全な隠し場所」の策術が使われている。

最後の叙述トリックは物語の語り手が犯人、いわゆる「信頼できない語り手」と呼ばれるものである。「本陣殺人事件」の物語を終えるに当たり、本編の最後で横溝は語り手にクリスティの「アクロイド殺し」(1926年)の叙述トリックについて、わざわざ言及させている。ただ「本陣」の場合、話の記述の語り手が犯人でないため、実は正統な叙述トリックではない。というのも通常、叙述トリックの「信頼できない語り手」の場合、話の記述者の語り手自身が犯人で「事件の発生から解決の結末まで読者に説明記述する語り手が、まさか犯人であるはずがない」という先入観による思い込みが読み手にあるため誤読を誘って読者が犯人の意外性にまんまとやられ、そのミスディレクション(誤誘導)に引っかかること自体の面白さが叙述トリックの魅力であるからだ。と同時に叙述トリックは犯人である語り手が一見、正直・公正に語っているように見えて、自身と関係ある自分が犯人だと疑われる事柄に関し、わざと都合よく無視して触れなかったり、あえて曖昧(あいまい)にボカしたりで恣意的操作を施して語って記述してしまう。だから「信頼できない語り手」の叙述トリックには常にアンフェアな不満が読後に残る。

横溝は、そういった叙述トリックの読後に残る語り手による都合のよい恣意的語りのアンフェアさをよく知っていて、それをひっくり返したい。そういった発想が横溝の中にまずあって、そのため「本陣」の最後にて「私はわざと二人の男女を殺したとは書かなかったのである。…現場のことを書いところで、そこに男女二人が血みどろで倒れていた光景は云々と書いたが、血みどろで殺されていたとは書かなかった」と語り手自身の過剰でクドい説明にて、「私はクリスティ女史の『アクロイド殺し』のように決して嘘は語らなかったし曖昧さも回避した。どこまでも正確に語った」正直・公正なフェアプレイの主張になる。

だが、よくよく考えてみると、横溝の「本陣殺人事件」では確かに語り手は最初から相当に注意して正確に誤魔化しなく公正に語って記述してはいるが、語り手自身が犯人ではないし、「本陣」の場合、語り手の叙述によって読者は一応だまされる、というか確かに錯覚の誤誘導させられるのだけれど、それは犯人に関してではなくて、いわば「事件の性質」についてのミスディレクションでだまされるだけなので何だか傍流の叙述トリックという印象が私は、どこまでも拭(ぬぐ)えない。叙述トリックが肝心な犯人正体に関する以外のもので薄手なため、単に「語り手が誤魔化しなく公正に語った」というだけの物語記述者の「正直者の告白」でしかないような印象で終わる。最初から犯人の正体についての錯覚核心の叙述トリックの体をなしていないので、最後のクリスティ「アクロイド殺し」云々で叙述トリックに挑戦するのは無理がある、こじつけのようにも私には思えるのだが。しかしながら、元からある叙述トリックの「信頼できない語り手」のアンフェアさを何とかひっくり返しフェアプレイにして探偵小説の伝統を壊したい横溝のギラキラした野心が、そこには確かにあるはずで、その横溝正史の探偵小説家としての野心を私は高く買いたいし、やはり評価したい。

以上のように横溝の「本陣殺人事件」は、機械トリックの密室、巧妙な隠し方、そして「大変に信頼できる語り手」の傍流な叙述トリックもどきの三点により主に構成されているわけだが、なかでもその中心となるのは機械トリックの密室と言ってよい。そして横溝は作中にて、探偵の金田一耕助と探偵推理マニアである容疑者との間で「探偵小説問答」をやらせ、そこで機械トリックの密室について「密室の殺人を扱った探偵小説も沢山あるが、たいていは機械的なトリックで、終わりへいくと、がっかりさせられるんですよ。…つまりは針金だの紐だのを使ってですね。あとから錠だの閂(かんぬき)だのをおろしておいたというんです。こういうのはどうも感心しませんね」と述べる金田一に対し、容疑者の男に次のように反論させている。

「例えばカーという作家がありますね。…『プレーグ・コートの殺人』など、やはり機械的トリックですが、それをカモフラージュするために、苦心惨憺(くしんさんたん)、凝(こ)りに凝っているので、僕は、大いに作者に同情を持っているんです。機械的トリック必ずしも軽蔑したものじゃありませんよ」

この探偵小説マニアの容疑者の発言は作中の金田一に対する反論であると同時に、「本陣殺人事件」を今まさに読んでいる読者へ向けての発言でもあって、また彼の考えは、そのまま他ならぬ作者・横溝正史の考えでもあるわけだ。つまりは、合理的で破綻はないけれど読み進めて最後にタネ明かしされてみれば何だか無味乾燥で、いつも面白味に欠ける一般的な探偵小説における密室の機械トリックに関し、「機械的トリック必ずしも軽蔑したものじゃありませんよ」の探偵小説マニア容疑者の発言が、物語中の台詞であると同時に、そのまま「本陣」の読み手に対する直接的な語りかけというメタ構造の仕掛けになっており、「なぜ『機械トリックの密室が必ずしも軽蔑したものじゃありませんよ』と、そんなことが言えるのか」、今まさに「本陣」を読んでいる読者のこうした疑問に対し、その答えは作中の容疑者にそのように言わせた作者の横溝が書いた「本陣殺人事件」という探偵小説そのものが、「機械トリックの密室は必ずしも軽蔑したものじゃありませんよ」ということを実際に証明し、現実世界の読者は「本陣」を読み進めていくうちに現実の中で、確かに「機械トリックの密室は必ずしも無味乾燥ではなく、苦心惨憺、凝りに凝った書き方の工夫次第では大変に面白くなること」を身をもって体感するというメタな仕組みになっているわけである。すなわち、普通は犯人が作中の探偵や警察や物語を読む読者に対し、これ見よがしに密室を作って誇示し挑戦する密室殺人のトリック発想とは全くの逆を行く、本当は密室殺人などやりたくなくて離れの庭に犯人の足跡をわざわざ残しておいたのに、たまたま事件当夜に雪が降って足跡が消され不幸にも偶然に「密室」になってしまった、犯人からしてみれば誠に不本意な大誤算の「止むを得ざる密室」の成立であり、はたまた、なぜあんな細かで精密な機械トリックの「密室」殺人を犯人は断行しなければならなかったのか、犯人側にある常軌を逸した犯罪動機の異常さである。

「密室の殺人を扱った探偵小説も沢山あるが、たいていは機械的トリックで、終わりへいくと、がっかりさせられる」と一般に評される従来型の無機質、面白味に欠ける機械トリックの密室に横溝は以上のような「密室」生成の大誤算や異常な殺人動機を付け加えて「本陣殺人事件」を書く。おそらくは、それこそが横溝が「本陣」作中にて容疑者に言わせた「苦心惨憺、凝りに凝っていれば機械的トリック必ずしも軽蔑したものじゃありませんよ」の内実だと私は思う。

加えて、冒頭の最初の書き出しから「三本指の男」=「生涯の仇敵」たる、いかにも怪しい謎の男を登場させ、「この男が犯人なのか!?」のミスディレクションで読者を散々に引っ掻き回して混乱させる探偵小説の常套(じょうとう)の手法も見事である。

横溝正史は相当にデキる頭のキレる探偵小説の書き手なので、作中にて使うトリックも一つだけでは不十分で凡庸退屈であることをよく知っている。だから「本陣殺人事件」では中心の柱となる機械トリックの密室以外にも、巧妙な隠し方や叙述トリックもどきら必ず複数のトリックを仕込んで複合技で仕掛けてくる。しかも、それぞれのトリックを吟味改良し、従来型の叙述トリックの弱点克服や機械トリックの密室生成の逆発想など新たな要素を取り入れ探偵小説を創作する。まさに偉大な大横溝(おお・よこみぞ)である。「本陣殺人事件」は、横溝の全作品の中でベスト3の上位に確実に入る極上な出来栄えだと私には思える。