アメジローのつれづれ(集成)

アメリカン・ショートヘアのアメジローです。

再読 横溝正史(24)「女王蜂」

横溝正史「女王蜂」(1952年)の概要は以下である。

「伊豆半島の南方にある月琴島に源頼朝の後裔と称する大道寺家が住んでいた。絶世の美女、大道寺智子が島から義父のいる東京に引きとられる直前、不気味な脅迫状が舞い込んだ。『あの娘のまえには多くの男の血が流されるであろう。彼女は女王蜂である』。この脅迫状には、十九年前に起きた智子の実父の変死事件が尾を引いているらしい。そして、智子の護衛役を依頼された金田一耕助の前で血みどろの惨劇が。 大胆なトリックで本格探偵小説の一頂点をきわめた、驚異の大傑作」

話は、絶世の美女・大道寺智子がいて彼女に求婚する男達が次々と殺される、まるで「女王蜂」に尽くす働き蜂のように、といった内容だ。それに昔の「頼朝伝説」をうまく絡(から)めている。私は昔、初めて小説を読んだとき、「こりゃー間違いなく主人公の智子、すなわち『女王蜂』が犯人だな」と思ったが。

横溝作品の場合、殺人事件が起こっても昨日や今日の偶然で、たまたま発生するものではない。数十年前の昔に起こった悲劇や事件がまずあって、現在作中にて起こっている連続殺人は必ずその昔の出来事と関連を持っている。以前の事件や悲劇に引きずられて今回の殺人は起こるべくして起こるよう運命づけられている。それで自分の一族や父母や祖先がやらかした昔の事件に翻弄(ほんろう)される現在の登場人物たちの悲劇、殺人そのものに「人間の運命」や「人生の悲哀」の背景が加味されて話が非常に重くなる。

例えば「八つ墓村」(1951年)なら、「津山三十人殺し」のような村の悲劇が以前にあって鍾乳洞の秘密があって、それが現在進行中の連続殺人につながるし、「悪魔の手毬唄」(1959年)なら、二十三年前の村での未解決・迷宮入りの殺人事件が確実に引き金になっているわけである。だから、横溝正史の探偵小説の場合、物語の後半で必ず金田一耕助が一見、関係がないようにも思える昔の事件を唐突に調べだしたり、容疑者たちの経歴・出自の調査のために遠方まで出向いて行ったりする。すなわち、「現在の事件解決のための、過去の悲劇への時間的遡及(そきゅう)」がある。それで、いきなり事件現場を離れてしばらく留守にするので金田一の探偵捜査は不可解な感を与えるが、しかし一見無関係で遠回りのようにも思える重要容疑者の過去や出自の洗い出しが、実は事件解決への早道である。

「女王蜂」でいえば作中で今回の「女王蜂」の連続殺人の解決とともに、それと密接な関係を持つ十九年前の皇族・子息の「密室」殺人(だが戦時中という時節柄、それは転落事故として当時は秘密裡に処理された)の真相も、最後に金田一耕助により明らかにされる。それが「現在の事件解決のための、過去の悲劇への時間的遡及」に当たる。

横溝正史という人は性的タブーに関して案外、遠慮なくズバズバ書く人だ。「女王蜂」の全体においても近親相姦の性的タブーのような話になっている。事件の謎解明の手がかりは、「蜂(はち)」ではなくて「蝙蝠(こうもり)」である。